名デザイナーたち 〜ターボ・エンジンからハイテク・空力の時代〜

F1今昔物語 → 列伝 → 当ページ(2007年11月20日UP)

 チームとマシンの一覧表

 人名をクリックすると、プロフィールにジャンプします。太字は、コンストラクターズ・チャンピオンのことです。
 表中のマシンは、その年に設計した"主要なもの"にすぎません。マイナーなものを同年に設計した場合もあります。また、こう表すと一人で設計したように見えますが、何人かの技術者(監督なりアシスタントなり)と共同で仕事したものも含んでいます。

G.ドゥカルージュH.ポスルスウェイトP.ヘッドR.バーンJ.バーナードA.ニューウェイ
1974ヘスケス 3081974
1975ヘスケス 308B1975
1976リジェ JS5ウルフ-ウィリアムズ FW051976
1977リジェ JS7ウルフ WR1〜41977
1978リジェ JS9ウルフ WR5〜6ウィリアムズ FW061978
1979リジェ JS11ウルフ WR7〜9ウィリアムズ FW071979
1980リジェ JS15フィッティパルディ F7、F8ウィリアムズ FW07B1980
1981リジェ JS17フェラーリ 126CKウィリアムズ FW07Cトールマン TG181マクラーレン MP4/11981
1982アルファロメオ 182フェラーリ 126C2ウィリアムズ FW08トールマン TG181、183マクラーレン MP4/1B1982
1983ロータス 94Tフェラーリ 126C3ウィリアムズ FW08Cトールマン TG183Bマクラーレン MP4/1C1983
1984ロータス 95Tフェラーリ 126C4ウィリアムズ FW09、09Bトールマン TG184マクラーレン MP4/21984
1985ロータス 97Tフェラーリ 156/85ウィリアムズ FW10トールマン TG185マクラーレン MP4/2B 1985
1986ロータス 98Tフェラーリ F186ウィリアムズ FW11ベネトン B186マクラーレン MP4/2C1986
1987ロータス 99Tフェラーリ F187ウィリアムズ FW11Bベネトン B187フェラーリ F1871987
1988ロータス 100Tティレル 017ウィリアムズ FW12ベネトン B188フェラーリ F188、639マーチ CG8811988
1989ラルース‐ローラ LC89ティレル 018ウィリアムズ FW12Cベネトン B189フェラーリ F640マーチ CG8911989
1990ラルース‐ローラ LC90ティレル 019ウィリアムズ FW13Bベネトン B190フェラーリ F641/2レイトンハウス CG9011990
1991ティレル 020、ザウバーウィリアムズ FW14ベネトン B191ベネトン B191ウィリアムズ FW141991
1992リジェ JS37フェラーリ F92Aウィリアムズ FW14Bベネトン B192フェラーリ F92Aウィリアムズ FW14B1992
1993リジェ JS39ザウバー C12ウィリアムズ FW15Cベネトン B193フェラーリ F93Aウィリアムズ FW151993
1994リジェ JS39ティレル 022ウィリアムズ FW16、16Bベネトン B194フェラーリ 412T1ウィリアムズ FW161994
1995ティレル 023ウィリアムズ FW17ベネトン B195フェラーリ 412T2ウィリアムズ FW171995
1996ティレル 024ウィリアムズ FW18隠棲フェラーリ F310ウィリアムズ FW181996
1997ティレル 025ウィリアムズ FW19フェラーリ F310Bアロウズ A18マクラーレン MP4/121997
1998ティレル 026ウィリアムズ FW20フェラーリ F300アロウズ A19マクラーレン MP4/131998
1999ウィリアムズ FW21フェラーリ F399マクラーレン MP4/141999
2000ウィリアムズ FW22フェラーリ F1-2000マクラーレン MP4/152000
2001ウィリアムズ FW23フェラーリ F2001マクラーレン MP4/162001
2002ウィリアムズ FW24フェラーリ F2002マクラーレン MP4/172002
2003ウィリアムズ FW25フェラーリ F2003-GAマクラーレン MP4/17D2003
2004ウィリアムズ FW26フェラーリ F2004マクラーレン MP4/192004
2005フェラーリ F2005マクラーレン MP4/202005
2006フェラーリ F248 F1レッドブル RB22006


 プロフィール

 上の一覧では割愛したデザイナーのものもあります。
 「通算○勝」とは、F1に限定したものです。この数字は、共同開発のことを考えると、おおよその目安でしかありません。ドライバーの通算○勝よりも、ずっと不明確なものです。

■ ジェラール・ドゥカルージュ Gerard Ducarouge
 1941年10月23日フランス生まれ
 1967〜1974年まで、マトラで広汎なカテゴリーのマシンを設計した。この間、ル・マン24時間での優勝も達成した。
 1976年、リジェ(エンジンはマトラ)参戦の際、初代マシンを設計した。1979年の「JS11」では、前半フロントロー4回という速さを示した。
 その後、アルファロメオを経て、1983年途中からロータスに移った。C.チャップマンというカリスマ亡き後の同チームの技術面を引っ張った。1987年の「99T」ではアクティブ・サスペンションに挑戦した。
 ロータス以後、ラルースやリジェのマシンを設計した。通算24勝。

■ ハーベイ・ポスルスウェイト Harvey Postlethwaite
 1944年3月4日〜1999年4月13日
 ポストレスウェイトと表記されることも多い。バーミンガム大学で博士号を取得した本当の学者。1970年から数年間、マーチで修行を積んだ。マーチでの縁故から、プライベーターのヘスケスに引き抜かれ、初めてマシンを設計した。この時代、J.ハントが1勝をあげた。
 ヘスケスはウルフ‐ウィリアムズに売却され、彼も同チームに移った。ウルフが独自にF1に参戦した1977年は、デビュー・チームにも関わらず、3勝をあげた。1981年、調子の上がらないフェラーリに引き抜かれた。フェラーリ時代には、2度のタイトルに輝いた。
 1990年のティレル「019」では、J-C.ミジョーと共に、アンヘドラルウイングを発明した。ノーズ先端から「への字」に下るコンセプトは、現在主流である吊り下げ型フロントウイングの原型となった。
 ザウバーの初代マシンの設計にも携わっている。1999年、ホンダのF1プロジェクト参加中に急逝した。通算14勝。

■ パトリック・ヘッド Patrick Head
 1945年6月5日生まれ
 1970〜1977年まで、ローラで下積み。この頃、J.バーナードやF.ウィリアムズと出会った。一時期、レース業界から離れたこともあった。
 1978年、新生ウィリアムズの共同オーナーとなり、同チームのマシン設計も担当した。数年後にウィリアムズはトップチームの一つとなった。以後、彼は一貫して技術主任(テクニカル・ディレクター)と共同オーナーであり続けた。
 よって、彼のキャリアはウィリアムズ・チームの軌跡とまったく同じである。2005年、エンジニア・ディレクターへ降格された。通算113勝。

■ ロリー・バーン Rory Byrne
 1944年1月10日南アフリカ生まれ
 学生時代は化学を専攻した。'60年代後半に、母国でマシン・デザインの仕事をはじめた。工学の実習をしたことがないので、いきなり製図を広げ、ペンを握ってマシンの設計に打ち込んだことになる。1973年に渡英し、更なる研鑚を積んだ。1977〜1980年は、トールマンでF2マシンを設計した。
 1981年、トールマンがついにF1に進出し、バーンのF1キャリアも同時にスタートした。以降の活躍は表の通り。
 ベネトン時代の1995年、ドライバーのM.シューマッハ、技術主任のR.ブラウンらと力を合わせ、初のタイトルを獲得した。そして、いったんタイに隠棲した。
 すぐにM.シューマッハらの要請を受け、1997年、フェラーリで仕事を再開した。2004年まで同チームのマシンデザインにおける中心的役割を担った。その間、再び、ドライバーM.シューマッハ、技術主任R.ブラウンらと力を合わせ、記録的にかつてない黄金時代を築いた。
 2005年以降は現場に携わらず、コンサルタントに移った。通算104勝。

■ ジョン・バーナード John Barnard
 1946年9月26日生まれ
 1968年〜1980年まで、ローラやマクラーレン、パーネリで下積みを積んだ。1980年、アメリカのインディ500において、彼が設計したシャパラルのマシンが優勝した。
 1981年、ロン・デニスのプロジェクト4に招かれ、彼設計のマシンがF1に登場した。首脳陣との折り合いがつかず、シーズン途中にチームを去ることが何度かあった。1992年にトヨタ(TOM'S)のF1プロジェクトにも携わったこともある。「FDD」や「B3テクノロジーズ」といったデザイン・オフィスを設けて仕事をする。
 彼が発明した有名な技術が三つある。1981年のカーボンファイバー製モノコック、1989年のセミ・オートマチック・ギアボックス、1991年のハイノーズ/吊り下げ型フロントウイングである。それぞれが、"ロータスの革新的新技術"に匹敵するような、F1を代表する主流な技術となった。
 上記の表のその後は、プロスト・チームの技術コンサルタントを数年間勤め、2003年からMotoGPの世界に移った。通算53勝。

■ スティーブ・ニコルズ Steve Nichols
 1947年2月20日アメリカ生まれ
 1980〜1989 マクラーレン
 1991〜1992 フェラーリ
 1993 ザウバー
 2002 ジャガー
 1988年、16戦15勝をあげたMP4/4を、G.マーレイ、N.オートレイらと設計した。だがそれ以降は良作に恵まれていない。通算18勝。

■ グスタフ・ブルナー Gustav Brunner
 1950年9月12日オーストリア生まれ
 1978〜1985 ATSやマーチでF1マシン、他にF2やGTなどの設計
 1986〜1987 フェラーリ
 1988〜1993 リアル、ザクスピード、マーチ、ミナルディで技術主任
 1994〜1997 フェラーリ
 2度のフェラーリ在籍中、チーフ・ディレクターとして、J.バーナード設計のマシンの、改変作業に当たった。"彼設計"と言えるのかどうか分からないが、そのマシンは13勝をあげた。
 その後、ミナルディの設計をつとめて、2002年に初参戦のトヨタへ移った。

■ ニール・オートレイ Neil Oatley
 1954年6月12日生まれ
 1978〜1982 ウィリアムズで下積み
 1985〜1986 ハース-ローラでアシスタント
 1988〜2002 マクラーレン
 1989年以降、マクラーレンのチーフ・デザイナーとして、マシンの設計を担当し続けた。
 A.ニューウェイが加入してくると、中心的な立場からは降りたようだが、現在でもマクラーレンで仕事を続けている。通算34勝(マクラーレン時代のみ)。

■ ロス・ブラウン Ross Brawn
 1954年11月23日生まれ
 1978〜1986 ウィリアムズやハース‐ローラで、アシスタントなど下積み
 1987〜1988 アロウズ
 1989〜1991 TWRジャガー
 1992〜1996 ベネトン
 1997〜2006 フェラーリ
 2008〜 ホンダ
 マシンを設計したのはアロウズ時代のみで、フェラーリでの技術主任としての役割が、なんと言っても有名である。特にレース中のピット戦略など作戦の組み立てが彼の主な仕事である。レース後半、勝利が確実になると、バナナを食べはじめることで知られている。
 2008年よりホンダのプリンシパル(レース全般の主任)を担当することが決まった。

■ エイドリアン・ニューウェイ Adrian Neway
 1958年12月26日生まれ
 '90年代を代表する設計者の一人。大学で航空工学を学んだ。1983年〜1987年、マーチでスポーツカー・インディカーの設計を担当し、若くして名声を上げた。
 1988年、マーチから彼の設計したマシンがF1に初めて登場した。この年はマクラーレンMP4/4が強かったのは、言うまでもないことである。日本GPにおいて、彼のマシンはNAエンジンでありながら、ターボエンジン搭載のMP4/4を抜き去るという快挙をなした。
 1991年からウィリアムズでの仕事が始まった。翌年に初のタイトルを得た。1994年、彼設計のマシンに乗ったA.セナが事故死し、殺人罪で訴追されるという苦難に遭った。
 1997年、マクラーレンに移籍し、再び翌年にタイトルをものにした。
 2006年にレッドブルへ移籍し、現在も一線で活躍している。現在のところ、通算100勝。

 この時代の、主要なチームごとの、主要な設計者の一覧

 この時代は、空力専門の設計者(aerodynamicist)をはじめ、大人数で設計することが多いです。F1マシンは、一人で設計できるものではなくなりました。よって、この表は、あくまでも主要な人物にすぎません。
フェラーリマクラーレンウィリアムズベネトンロータスティレル
1982M.フォルギエーリ /
H.ポスルスウェイト
J.バーナードP.ヘッドC.チャップマン /
P.ライト
M.フィリップ1982
1983H.ポスルスウェイトJ.バーナードP.ヘッドG.ドゥカルージュM.フィリップ1983
1984H.ポスルスウェイトJ.バーナードP.ヘッドG.ドゥカルージュM.フィリップ1984
1985H.ポスルスウェイトJ.バーナードP.ヘッドG.ドゥカルージュM.フィリップ1985
1986H.ポスルスウェイトJ.バーナードP.ヘッドR.バーンG.ドゥカルージュM.フィリップ1986
1987H.ポスルスウェイト /
J.バーナード
S.ニコルズP.ヘッドR.バーンG.ドゥカルージュM.フィリップ1987
1988J.バーナードG.マーレイ /
S.ニコルズ
P.ヘッドR.バーンG.ドゥカルージュM.フィリップ1988
1989J.バーナードN.オートレイP.ヘッドR.バーンF.ダーニーH.ポスルスウェイト1989
1990J.バーナード他N.オートレイP.ヘッドR.バーン /
J.バーナード
F.ダーニーH.ポスルスウェイト1990
1991S.ニコルズ他N.オートレイP.ヘッド /
A.ニューウェイ
R.ブラウン /
R.バーン
F.コパック他G.ライトン1991
1992H.ポスルスウェイト /
S.ニコルズ他
N.オートレイP.ヘッド /
A.ニューウェイ
R.ブラウン /
R.バーン
P.ライト他G.ライトン1992
1993J.バーナードN.オートレイP.ヘッド /
A.ニューウェイ
R.ブラウン /
R.バーン
C.マーフィーH.ポスルスウェイト1993
1994J.バーナードN.オートレイP.ヘッド /
A.ニューウェイ
R.ブラウン /
R.バーン
C.マーフィーH.ポスルスウェイト1994
1995J.バーナードN.オートレイP.ヘッド /
A.ニューウェイ
R.ブラウン /
R.バーン
H.ポスルスウェイト1995
1996J.バーナードN.オートレイP.ヘッド /
A.ニューウェイ
R.ブラウンH.ポスルスウェイト1996
1997R.ブラウン /
R.バーン
N.オートレイP.ヘッド /
A.ニューウェイ
P.シモンズH.ポスルスウェイト1997
1998R.ブラウン /
R.バーン
A.ニューウェイP.ヘッドP.シモンズH.ポスルスウェイト1998
1999R.ブラウン /
R.バーン
A.ニューウェイP.ヘッドP.シモンズ1999


 主な参照先

「Engineering F1」
http://engineeringf1.free.fr/en/index.html
左枠のメニュー内の"Careers"より。

「ChicaneF1」
http://www.chicanef1.com/main.pl
左枠メニュー内の"Designers"より。

「よりぬき no race, no life」
http://www.dragonlion.biz/uk/uk_top.html




「列伝」のメニューに戻る

「F1今昔物語」のホームに戻る


inserted by FC2 system