プロフィール
- 上の一覧では割愛したデザイナーのものもあります。
- 「通算○勝」とは、F1に限定したものです。この数字は、共同開発のことを考えると、おおよその目安でしかありません。ドライバーの通算○勝よりも、ずっと不明確なものです。
- ■ ジェラール・ドゥカルージュ Gerard Ducarouge
- 1941年10月23日フランス生まれ
- 1967〜1974年まで、マトラで広汎なカテゴリーのマシンを設計した。この間、ル・マン24時間での優勝も達成した。
- 1976年、リジェ(エンジンはマトラ)参戦の際、初代マシンを設計した。1979年の「JS11」では、前半フロントロー4回という速さを示した。
- その後、アルファロメオを経て、1983年途中からロータスに移った。C.チャップマンというカリスマ亡き後の同チームの技術面を引っ張った。1987年の「99T」ではアクティブ・サスペンションに挑戦した。
- ロータス以後、ラルースやリジェのマシンを設計した。通算24勝。
- ■ ハーベイ・ポスルスウェイト Harvey Postlethwaite
- 1944年3月4日〜1999年4月13日
- ポストレスウェイトと表記されることも多い。バーミンガム大学で博士号を取得した本当の学者。1970年から数年間、マーチで修行を積んだ。マーチでの縁故から、プライベーターのヘスケスに引き抜かれ、初めてマシンを設計した。この時代、J.ハントが1勝をあげた。
- ヘスケスはウルフ‐ウィリアムズに売却され、彼も同チームに移った。ウルフが独自にF1に参戦した1977年は、デビュー・チームにも関わらず、3勝をあげた。1981年、調子の上がらないフェラーリに引き抜かれた。フェラーリ時代には、2度のタイトルに輝いた。
- 1990年のティレル「019」では、J-C.ミジョーと共に、アンヘドラルウイングを発明した。ノーズ先端から「への字」に下るコンセプトは、現在主流である吊り下げ型フロントウイングの原型となった。
- ザウバーの初代マシンの設計にも携わっている。1999年、ホンダのF1プロジェクト参加中に急逝した。通算14勝。
- ■ パトリック・ヘッド Patrick Head
- 1945年6月5日生まれ
- 1970〜1977年まで、ローラで下積み。この頃、J.バーナードやF.ウィリアムズと出会った。一時期、レース業界から離れたこともあった。
- 1978年、新生ウィリアムズの共同オーナーとなり、同チームのマシン設計も担当した。数年後にウィリアムズはトップチームの一つとなった。以後、彼は一貫して技術主任(テクニカル・ディレクター)と共同オーナーであり続けた。
- よって、彼のキャリアはウィリアムズ・チームの軌跡とまったく同じである。2005年、エンジニア・ディレクターへ降格された。通算113勝。
- ■ ロリー・バーン Rory Byrne
- 1944年1月10日南アフリカ生まれ
- 学生時代は化学を専攻した。'60年代後半に、母国でマシン・デザインの仕事をはじめた。工学の実習をしたことがないので、いきなり製図を広げ、ペンを握ってマシンの設計に打ち込んだことになる。1973年に渡英し、更なる研鑚を積んだ。1977〜1980年は、トールマンでF2マシンを設計した。
- 1981年、トールマンがついにF1に進出し、バーンのF1キャリアも同時にスタートした。以降の活躍は表の通り。
- ベネトン時代の1995年、ドライバーのM.シューマッハ、技術主任のR.ブラウンらと力を合わせ、初のタイトルを獲得した。そして、いったんタイに隠棲した。
- すぐにM.シューマッハらの要請を受け、1997年、フェラーリで仕事を再開した。2004年まで同チームのマシンデザインにおける中心的役割を担った。その間、再び、ドライバーM.シューマッハ、技術主任R.ブラウンらと力を合わせ、記録的にかつてない黄金時代を築いた。
- 2005年以降は現場に携わらず、コンサルタントに移った。通算104勝。
- ■ ジョン・バーナード John Barnard
- 1946年9月26日生まれ
- 1968年〜1980年まで、ローラやマクラーレン、パーネリで下積みを積んだ。1980年、アメリカのインディ500において、彼が設計したシャパラルのマシンが優勝した。
- 1981年、ロン・デニスのプロジェクト4に招かれ、彼設計のマシンがF1に登場した。首脳陣との折り合いがつかず、シーズン途中にチームを去ることが何度かあった。1992年にトヨタ(TOM'S)のF1プロジェクトにも携わったこともある。「FDD」や「B3テクノロジーズ」といったデザイン・オフィスを設けて仕事をする。
- 彼が発明した有名な技術が三つある。1981年のカーボンファイバー製モノコック、1989年のセミ・オートマチック・ギアボックス、1991年のハイノーズ/吊り下げ型フロントウイングである。それぞれが、"ロータスの革新的新技術"に匹敵するような、F1を代表する主流な技術となった。
- 上記の表のその後は、プロスト・チームの技術コンサルタントを数年間勤め、2003年からMotoGPの世界に移った。通算53勝。
- ■ スティーブ・ニコルズ Steve Nichols
- 1947年2月20日アメリカ生まれ
- 1980〜1989 マクラーレン
- 1991〜1992 フェラーリ
- 1993 ザウバー
- 2002 ジャガー
- 1988年、16戦15勝をあげたMP4/4を、G.マーレイ、N.オートレイらと設計した。だがそれ以降は良作に恵まれていない。通算18勝。
- ■ グスタフ・ブルナー Gustav Brunner
- 1950年9月12日オーストリア生まれ
- 1978〜1985 ATSやマーチでF1マシン、他にF2やGTなどの設計
- 1986〜1987 フェラーリ
- 1988〜1993 リアル、ザクスピード、マーチ、ミナルディで技術主任
- 1994〜1997 フェラーリ
- 2度のフェラーリ在籍中、チーフ・ディレクターとして、J.バーナード設計のマシンの、改変作業に当たった。"彼設計"と言えるのかどうか分からないが、そのマシンは13勝をあげた。
- その後、ミナルディの設計をつとめて、2002年に初参戦のトヨタへ移った。
- ■ ニール・オートレイ Neil Oatley
- 1954年6月12日生まれ
- 1978〜1982 ウィリアムズで下積み
- 1985〜1986 ハース-ローラでアシスタント
- 1988〜2002 マクラーレン
- 1989年以降、マクラーレンのチーフ・デザイナーとして、マシンの設計を担当し続けた。
- A.ニューウェイが加入してくると、中心的な立場からは降りたようだが、現在でもマクラーレンで仕事を続けている。通算34勝(マクラーレン時代のみ)。
- ■ ロス・ブラウン Ross Brawn
- 1954年11月23日生まれ
- 1978〜1986 ウィリアムズやハース‐ローラで、アシスタントなど下積み
- 1987〜1988 アロウズ
- 1989〜1991 TWRジャガー
- 1992〜1996 ベネトン
- 1997〜2006 フェラーリ
- 2008〜 ホンダ
- マシンを設計したのはアロウズ時代のみで、フェラーリでの技術主任としての役割が、なんと言っても有名である。特にレース中のピット戦略など作戦の組み立てが彼の主な仕事である。レース後半、勝利が確実になると、バナナを食べはじめることで知られている。
- 2008年よりホンダのプリンシパル(レース全般の主任)を担当することが決まった。
- ■ エイドリアン・ニューウェイ Adrian Neway
- 1958年12月26日生まれ
- '90年代を代表する設計者の一人。大学で航空工学を学んだ。1983年〜1987年、マーチでスポーツカー・インディカーの設計を担当し、若くして名声を上げた。
- 1988年、マーチから彼の設計したマシンがF1に初めて登場した。この年はマクラーレンMP4/4が強かったのは、言うまでもないことである。日本GPにおいて、彼のマシンはNAエンジンでありながら、ターボエンジン搭載のMP4/4を抜き去るという快挙をなした。
- 1991年からウィリアムズでの仕事が始まった。翌年に初のタイトルを得た。1994年、彼設計のマシンに乗ったA.セナが事故死し、殺人罪で訴追されるという苦難に遭った。
- 1997年、マクラーレンに移籍し、再び翌年にタイトルをものにした。
- 2006年にレッドブルへ移籍し、現在も一線で活躍している。現在のところ、通算100勝。
この時代の、主要なチームごとの、主要な設計者の一覧
- この時代は、空力専門の設計者(aerodynamicist)をはじめ、大人数で設計することが多いです。F1マシンは、一人で設計できるものではなくなりました。よって、この表は、あくまでも主要な人物にすぎません。
| フェラーリ | マクラーレン | ウィリアムズ | ベネトン | ロータス | ティレル | |
1982 | M.フォルギエーリ / H.ポスルスウェイト | J.バーナード | P.ヘッド | | C.チャップマン / P.ライト | M.フィリップ | 1982 |
1983 | H.ポスルスウェイト | J.バーナード | P.ヘッド | | G.ドゥカルージュ | M.フィリップ | 1983 |
1984 | H.ポスルスウェイト | J.バーナード | P.ヘッド | | G.ドゥカルージュ | M.フィリップ | 1984 |
1985 | H.ポスルスウェイト | J.バーナード | P.ヘッド | | G.ドゥカルージュ | M.フィリップ | 1985 |
1986 | H.ポスルスウェイト | J.バーナード | P.ヘッド | R.バーン | G.ドゥカルージュ | M.フィリップ | 1986 |
1987 | H.ポスルスウェイト / J.バーナード | S.ニコルズ | P.ヘッド | R.バーン | G.ドゥカルージュ | M.フィリップ | 1987 |
1988 | J.バーナード | G.マーレイ / S.ニコルズ | P.ヘッド | R.バーン | G.ドゥカルージュ | M.フィリップ | 1988 |
1989 | J.バーナード | N.オートレイ | P.ヘッド | R.バーン | F.ダーニー | H.ポスルスウェイト | 1989 |
1990 | J.バーナード他 | N.オートレイ | P.ヘッド | R.バーン / J.バーナード | F.ダーニー | H.ポスルスウェイト | 1990 |
1991 | S.ニコルズ他 | N.オートレイ | P.ヘッド / A.ニューウェイ | R.ブラウン / R.バーン | F.コパック他 | G.ライトン | 1991 |
1992 | H.ポスルスウェイト / S.ニコルズ他 | N.オートレイ | P.ヘッド / A.ニューウェイ | R.ブラウン / R.バーン | P.ライト他 | G.ライトン | 1992 |
1993 | J.バーナード | N.オートレイ | P.ヘッド / A.ニューウェイ | R.ブラウン / R.バーン | C.マーフィー | H.ポスルスウェイト | 1993 |
1994 | J.バーナード | N.オートレイ | P.ヘッド / A.ニューウェイ | R.ブラウン / R.バーン | C.マーフィー | H.ポスルスウェイト | 1994 |
1995 | J.バーナード | N.オートレイ | P.ヘッド / A.ニューウェイ | R.ブラウン / R.バーン | | H.ポスルスウェイト | 1995 |
1996 | J.バーナード | N.オートレイ | P.ヘッド / A.ニューウェイ | R.ブラウン | | H.ポスルスウェイト | 1996 |
1997 | R.ブラウン / R.バーン | N.オートレイ | P.ヘッド / A.ニューウェイ | P.シモンズ | | H.ポスルスウェイト | 1997 |
1998 | R.ブラウン / R.バーン | A.ニューウェイ | P.ヘッド | P.シモンズ | | H.ポスルスウェイト | 1998 |
1999 | R.ブラウン / R.バーン | A.ニューウェイ | P.ヘッド | P.シモンズ | | | 1999 |
主な参照先
- 「Engineering F1」
- http://engineeringf1.free.fr/en/index.html
- 左枠のメニュー内の"Careers"より。
- 「ChicaneF1」
- http://www.chicanef1.com/main.pl
- 左枠メニュー内の"Designers"より。
- 「よりぬき no race, no life」
- http://www.dragonlion.biz/uk/uk_top.html
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