名デザイナーたち 〜ビッグビジネス化とウイングカーの時代〜

F1今昔物語 → 列伝 → 当ページ(2007年11月20日UP)

 チームとマシンの一覧表

 人名をクリックすると、プロフィールにジャンプします。太字は、コンストラクターズ・チャンピオンのことです。
 表中のマシンは、その年に設計した"主要なもの"にすぎません。マイナーなものを同年に設計した場合もあります。また、こう表すと一人で設計したように見えますが、何人かの技術者(監督なりアシスタントなり)と共同で仕事したものも含んでいます。
M.フィリップM.フォルギエーリG.コパックD.ガードナーG.マーレイ
1963フェラーリ 156/631963
1964フェラーリ 1581964
1965フェラーリ 15121965
1966フェラーリ 3121966
1967ロータス 49フェラーリ 3121967
1968ロータス 49Bフェラーリ 312マクラーレン M7A1968
1969ロータス 63フェラーリ 312マクラーレン M7C1969
1970ロータス 72フェラーリ 312Bマクラーレン M14Aティレル 0011970
1971ロータス 72Cフェラーリ 312B2ティレル 001〜0031971
1972ロータス 72Dフェラーリ 312B2ティレル 002〜0061972
1973ロータス 72Dフェラーリ 312B3マクラーレン M23ティレル 005〜006ブラバム BT421973
1974パーネリ VPJ4フェラーリ 312B3マクラーレン M23ティレル 005〜007ブラバム BT441974
1975パーネリ VPJ4フェラーリ 312Tマクラーレン M23ティレル 007ブラバム BT44B1975
1976パーネリ VPJ4Bフェラーリ 312T2マクラーレン M23ティレル 007、P34ブラバム BT451976
1977フェラーリ 312T2マクラーレン M26ティレル P34ブラバム BT45B1977
1978ティレル 008フェラーリ 312T3マクラーレン M26ブラバム BT46、46B1978
1979ティレル 009フェラーリ 312T4マクラーレン M28ブラバム BT48、491979
1980ティレル 010フェラーリ 312T5マクラーレン M29ブラバム BT491980
1981ティレル 011フェラーリ 126CKブラバム BT49C1981
1982ティレル 011フェラーリ 126C2ブラバム BT501982
1983ティレル 012フェラーリ 126C2Bブラバム BT52、52B1983
1984ティレル 012フェラーリ 126C3ブラバム BT531984
1985ティレル 014ブラバム BT541985
1986ティレル 015ブラバム BT551986
1987ティレル DG016マクラーレン MP4/31987
1988ティレル 017マクラーレン MP4/41988


 プロフィール

 上の一覧では割愛したデザイナーのものもあります。
 「通算○勝」とは、F1に限定したものです。この数字は、共同開発のことを考えると、おおよその目安でしかありません。ドライバーの通算○勝よりも、ずっと不明確なものです。

■ デレック・ガードナー Derek Gardner
 1931年9月19日〜2011年1月11日
 4輪駆動で有名なハリー・ファーガソン・リサーチ社出身。'60年代後半にロータスやマトラから4輪駆動車が走ったとき、彼も携わっていたと思われる。
 そのマトラとの関係から、1970年のティレルより、F1マシン・デザイナーとして彼は初めて業界に登場した。彼はタイヤに当たる空気に関心が高かったようで、まず前輪を覆い隠すスポーツカー・ノーズを開発した。彼のマシンは、J.スチュワート/F.セベールの活躍もあって'71年、'73年とタイトルに輝いた。彼はデビュー数年でトップ・デザイナーとなった。
 その後、タイヤと空気に対する彼の探究は1976年の6輪車「P34」に結びついた。この6輪車はスウェーデンGPで1勝をあげ、F1史に異彩を放った。翌年、6輪車の開発は思うように進まず、彼はこの年を以って、レース界から去った。その後はクラッチの会社の研究部に所属したようであった。
 この他、現代へと受け継がれるエンジン上部の箱、インダクションポッドも元々は彼の発想による。通算20勝。

■ モーリス・フィリップ Maurice Phillipe
 1932年4月30日〜1989年6月5日
 1966年ロータス入り。C.チャップマンと共に、楔形サイドラジエターの「72」など数々の名車を開発した。
 続いて、パーネリを経たのち、ティレルの設計者として、ターボエンジンの時代まで長く仕事を続けた。

■ マウロ・フォルギエーリ Mauro Forghieri
 1935年1月13日生まれ
 若くしてフェラーリ社に入社し、C.キティのアシスタントを勤めた。フェラーリ特有の"お家騒動"により、キティがA.T.Sを結成すると、フェラーリは若いフォルギエーリにマシン開発の全権を委ねた。彼の仕事には、車体設計だけではなく、エンジンの開発等も含まれる。しかも、F1だけでなくGT部門もと言うから、相当な大役である。
 '73年、あまりの不振に一度チームを追い出されたこともあった。
 '82年以降は、エンジンの開発を専らとした。1987年、長らく所属したフェラーリを去り、ランボルギーニへ移籍した。同社では、ラルースやロータス向けのF1エンジンを開発した。'91年の一年間、彼が設計したモデナ・ランボ「291」がF1を走ったこともある。
 彼がフェラーリに在籍したのは28年にもなる。その間、コンストラクターズタイトルを7回獲得した。フェラーリ復活の旗印「312T」、カモノハシ「312T4」など、数々の名車をつくりあげた。通算54勝。

■ ゴードン・コパック Gordon Coppuck
 1936年12月8日生まれ
 1966〜1972年は、マクラーレンのアシスタントとして、カンナムやインディでの活動を含めて修行を積んだ。
 1973年に、R.ベラミーの後を継いで同チームの設計担当となると、名車「M23」を設計した。翌年、E.フィッティパルディの活躍と相まって、初の両タイトルをマクラーレンにもたらした。
 1980年末、ロン・デニスのプロジェクト4がやってくると、間もなくチームを去った。以後、スピリット(F1)やマーチ(F1)、ポルシェ(CART)などで、手腕を発揮した。通算23勝(アシスタント時代を含む)。

■ ラルフ・ベラミー Ralph Bellamy
 1938年2月4日生まれ
 1970〜1972 マクラーレン
 1973〜1977 ロータス
 他ブラバム、フィッティパルディ、エンサイン、ラルース-ローラなど。
 R.ハードの後を継いで、マクラーレン黎明期の設計を担当した。ロータス時代は、C.チャップマンと共にウイングカーの先駆けとなる「78」を開発した。

■ ロビン・ハード Robin Herd
 1939年3月23日生まれ
 1966〜1969 マクラーレン
 1970〜1977 マーチ
 1978 ATS
 1981〜1982 RAM(マーチ)
 1991〜1992 フォンドメタル
 1993〜1994 ラルース
 F1登場前、ロイヤル・エアクラフト社でコンコルドの設計・開発に携わっていたことがある。マクラーレン創生期のマシンを設計(カンナムも含む)し、この間4勝した。
 DFVエンジンのコスワースがF1チームを立ち上げたとき、彼がマシン設計を担当したが、出走はかなわなかった。直後、マーチのメンバーの一人(MARCHの「H」)となった。ウイングカーが登場するまで、彼が設計したマーチの"キット・カー"は、多数の新人・新興チームに用いられた。
 '77年を最後にマーチは一旦F1活動を終了した。その後、マーチとR.ハードのマシンは、下位カテゴリーやアメリカのインディ・CARTで、大活躍した。
 そのまたのち、彼は「フォメット-1」というプロジェクトを立ち上げ、フォンドメタルやラルースで久しぶりにF1用マシンを設計した。通算7勝。

■ トニー・サウスゲート Tony Southgate
 1940年3月25日生まれ
 1962〜1969 ローラやブラバムやイーグルで下積み
 1970〜1974 BRM
 1975〜1977 シャドウ
 1978〜1980 アロウズ
 1981〜1982 セオドール
 1983〜1984 オゼッラ
 Arrowsの「S」の人。通算5勝(BRMとシャドウで)

■ ゴードン・マーレイ Gordon Murray
 1946年6月18日生まれ
 1968〜1972 ブラバムで下積み。
 1973年より、若くしてブラバムの設計主任となった。以後、ターボエンジンの時代まで、コンストラクターのタイトルこそ取れなかったものの、時代を代表する数々の名車を設計した。
 その中には、1978年のファン(換気扇)のついた「BT46B」、1981年のハイドロニューマティック・サスペンションの「BT49C」など、ルールの盲点をついたマシンもある。
 1983年には、燃料タンクを小さくして給油ピットインをレース行程に組み入れた「BT53」を、続いて1986年には、超低車高で有名な「BT55」を設計した。
 翌年からマクラーレンに移り、1988年、超低車高のコンセプトを継承する「MP4/4」を、S.ニコルズ/N.オートレイらと設計した。このマシンは、シーズン16戦15勝という無敵の強さを発揮した。
 彼のF1でのキャリアはここまでで、以後、マクラーレンのロード・カーの設計に移った。通算37勝。

■ デイブ・ワス Dave Wass
 1947年4月15日生まれ
 1962〜1972 BRMで下積み。
 1973〜1977 シャドウ このとき1勝
 1978〜1986 アロウズ
 1987〜 ベネトンで個々の部品の設計を担当。
 Arrows 「W」の人。

■ ルノー・スポール・デザインチーム
 ルノーは、1977〜1985年に参戦した。その間、スタッフがチームを組んでマシンの設計に当たった。主なメンバーに、F.キャスタン、A.ド・コルタンツ、M.テツ、J-C.ミジョーがいた。
 1985年末、ルノー公団の大規模な人員整理により、当時の監督G.ラルースや設計者のM.テツらはリジェへ移った。

 この時代の、主要なチームごとの、主要な設計者の一覧

フェラーリロータスブラバムティレルマクラーレン
1968M.フォルギエーリC.チャップマン / M.フィリップR.トーラナックR.ハード1968
1969M.フォルギエーリC.チャップマン / M.フィリップR.トーラナックR.ハード1969
1970M.フォルギエーリC.チャップマン / M.フィリップR.トーラナックD.ガードナーR.ベラミー1970
1971M.フォルギエーリC.チャップマン / M.フィリップR.トーラナックD.ガードナーR.ベラミー1971
1972M.フォルギエーリC.チャップマン / M.フィリップD.ガードナーR.ベラミー1972
1973M.フォルギエーリC.チャップマン / R.ベラミーG.マーレイD.ガードナーG.コパック1973
1974M.フォルギエーリC.チャップマン / R.ベラミーG.マーレイD.ガードナーG.コパック1974
1975M.フォルギエーリC.チャップマン / R.ベラミーG.マーレイD.ガードナーG.コパック1975
1976M.フォルギエーリC.チャップマン / R.ベラミーG.マーレイD.ガードナーG.コパック1976
1977M.フォルギエーリC.チャップマン / R.ベラミーG.マーレイD.ガードナーG.コパック1977
1978M.フォルギエーリC.チャップマン / P.ライトG.マーレイM.フィリップG.コパック1978
1979M.フォルギエーリC.チャップマン / P.ライトG.マーレイM.フィリップG.コパック1979
1980M.フォルギエーリC.チャップマン / P.ライトG.マーレイM.フィリップG.コパック1980
1981M.フォルギエーリC.チャップマン / P.ライトG.マーレイM.フィリップJ.バーナード1981
1982M.フォルギエーリ /
H.ポスルスウェイト
C.チャップマン / P.ライトG.マーレイM.フィリップJ.バーナード1982

 主な参照先

「Engineering F1」
http://engineeringf1.free.fr/en/index.html
左枠のメニュー内の"Careers"より。

「ChicaneF1」
http://www.chicanef1.com/main.pl
左枠メニュー内の"Designers"より。

「よりぬき no race, no life」
http://www.dragonlion.biz/uk/uk_top.html




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