名デザイナーたち 〜ミッドシップ革命からDFVエンジン登場まで〜

F1今昔物語 → 列伝 → 当ページ(2007年9月23日UP)

 チームとマシンの一覧表

 人名をクリックすると、プロフィールにジャンプします。太字は、コンストラクターズ・チャンピオンのことです。
 表中のマシンは、その年に設計した"主要なもの"にすぎません。マイナーなものを同年に設計した場合もあります。また、こう表すと一人で設計したように見えますが、何人かの技術者(監督なりアシスタントなり)と共同で仕事したものも含んでいます。

C.チャップマンO.マドックT.ラッドR.トーラナック
1957ロータス 8クーパー T431957
1958ロータス 12クーパー T451958
1959ロータス 16クーパー T511959
1960ロータス 18クーパー T53BRM P481960
1961ロータス 21クーパー T55BRM P48/571961
1962ロータス 25クーパー T60BRM P57ブラバム BT31962
1963ロータス 25クーパー T66BRM P57ブラバム BT71963
1964ロータス 33クーパー T66BRM P261ブラバム BT111964
1965ロータス 33BRM P261ブラバム BT111965
1966ロータス 43BRM P83ブラバム BT201966
1967ロータス 49BRM P83ブラバム BT241967
1968ロータス 49Bブラバム BT261968
1969ロータス 63ブラバム BT26A1969
1970ロータス 72ブラバム BT331970
1971ロータス 72Cブラバム BT341971
1972ロータス 72D1972
1973ロータス 72D1973
1974ロータス 72E1974
1975ロータス 72E1975
1976ロータス 771976
1977ロータス 781977
1978ロータス 791978
1979ロータス 791979
1980ロータス 811980
1981ロータス 871981
1982ロータス 911982


 プロフィール

 上の一覧では割愛したデザイナーのものもあります。
 「通算○勝」とは、F1に限定したものです。この数字は、共同開発のことを考えると、おおよその目安でしかありません。ドライバーの通算○勝よりも、ずっと不明確なものです。

■ トニー・ラッド Tony Rudd
 1923年3月8日〜2003年8月23日
 1951年、エンジニアとしてBRM入り。苦節の'50年代は、 Peter Berthon のもとで修行を積んだ。'60年代になると、すぐに同チーム興隆の立役者となった。BRMでの仕事の後、ロータスの要職を'90年まで勤めた。通算12勝。

■ カルロ・キティ Carlo Chiti
 1924年12月29日〜1994年7月7日
 元々アルファロメオのエンジニア(GT部門)だった。1957年を最後にフェラーリに移った。
 1.5リッター時代初年度の1961年、フェラーリ156で両タイトルを獲得した。1963年、フェラーリの内部分裂により、ATSを結成した。
 F1での仕事の後、再びアルファロメオに戻り、1975年まで同社のセミ・ワークスチーム、アウトデルタ(Autodelta)を率いた。その後技術者に戻った。'70年代後半、ブラバムに供給されたエンジンは、彼の設計によるものである。アルファロメオがF1に復帰すると、再びマシンの設計を担当した。さらに、1984年にモトーリ・モデルニに移り、しばらくして再度F1に登場した。通算10勝。
 1958〜1962 フェラーリ
 1963 A.T.S.
 1979〜1981 アルファロメオ

■ ロン・トーラナック Ron Tauranac
 1925年1月13日オーストラリア生まれ
 1962年、J.ブラバムと共にブラバムを創設。マシン名は二人の頭文字からBT○○とした。
 F1での活躍は表の通り。
 以後、ラルトで下位カテゴリーを戦い続けた。一方、F1においても、トロージャンの「T103」、セオドールの「TR1」などを設計した。通算13勝。

■ オーウェン・マドック Owen Maddock
 1925年6月25日〜2000年6月23日
 ジョン・クーパー監督の指揮のもと、同チームの名車の数々を設計し、エンジンを後ろに搭載するミッドシップ・レイアウトの礎を築き上げた。通算14勝。

■ コリン・チャップマン Colin Chapman
 1928年3月9日〜1982年12月16日
 '50年代半ば、BRMやヴァンウォールのコンサルタントを勤めた。1956年には、ヴァンウォールを借りて1戦のみ出場しもした。1957年、F2で自チームのロータスが成功して、翌年F1にステップアップした。
 F1での活躍は表の通り。ウイングカー時代の最後まで、長く活躍した。その間、「25」でモノコック・シャシー、「49B」でウイング装着、「72」で楔形サイドラジエター、「78」「79」でグラウンドエフェクトなど、現在にまで連綿と受け継がれるような革新的新技術をいくつも開発した。また、それまでナショナルカラーだったF1マシンに、スポンサーカラーを持ち込んだのも、彼のアイデアによる。
 1982年末、心臓発作で死去。通算67勝(プライベーターの勝利を除く)。

■ エリック・ブロードレイ Eric Broadley
 1928年9月22日生まれ
 1961年に、ローラ(LOLA)社を設立し、フォーミュラ、スポーツカーを問わず、広汎なカテゴリーに車体を供給した。F1への登場は以下の通り。
 1962〜1963 チームとして参戦、デビュー戦でポールポジションを奪取した
 1967年 ホンダにシャシー供給、このとき1勝
 1974〜1975 G.ヒルのチームにシャシー供給
 1985〜1986 K.ハース(Haas)にシャシー供給
 1987〜1991 ラルースにシャシー供給
 1993年 スクーデリア・イタリアにシャシー供給
 1997年 チームとして少し参戦

■ 佐野 彰一
 1939年生まれ
 ホンダの第一期のF1プロジェクトにおける設計者。中村良夫監督の指揮のもと、「RA271」を設計した。横置きV型12気筒という奇抜な形のエンジンの搭載を、入社4年目の若干26歳で成し遂げた。続く「RA272」は、1965年の最終戦メキシコGPで勝利をあげた。

 この時代の、主要なチームごとの、主要な設計者の一覧

フェラーリロータスBRMクーパーブラバム
1958V.ヤーノC.チャップマンP.バーソンO.マドック1958
1959C.キティC.チャップマンP.バーソンO.マドック1959
1960C.キティC.チャップマンT.ラッドO.マドック1960
1961C.キティC.チャップマンT.ラッドO.マドック1961
1962C.キティC.チャップマンT.ラッドO.マドックR.トーラナック1962
1963M.フォルギエーリC.チャップマンT.ラッドO.マドックR.トーラナック1963
1964M.フォルギエーリC.チャップマン / L.テリーT.ラッドO.マドックR.トーラナック1964
1965M.フォルギエーリC.チャップマン / L.テリーT.ラッドO.マドックR.トーラナック1965
1966M.フォルギエーリC.チャップマン / L.テリーT.ラッドD.ホワイトR.トーラナック1966
1967M.フォルギエーリC.チャップマン / M.フィリップT.ラッドD.ホワイトR.トーラナック1967
1968M.フォルギエーリC.チャップマン / M.フィリップT.サウスゲートD.ホワイトR.トーラナック1968

 主な参照先

「Engineering F1」
http://engineeringf1.free.fr/en/index.html
左枠のメニュー内の"Careers"より。

「ChicaneF1」
http://www.chicanef1.com/main.pl
左枠メニュー内の"Designers"より。




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