チームの勝利に対する、先発投手の正の貢献度

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  これは何のことなんですか?

 チームの勝率と先発投手の勝率との関係を数字に表したものです。弱いチームで多くの勝ち星を挙げている投手が不憫でならなくて、いろいろ頭をひねったのでした。
 それともう一つ、あるシーズンにおいて、チームの勝率より低い勝率のエースが、チーム最多勝を理由に年棒アップを要求していたのをニュースで見たことがありました。
 それで疑問が湧いてきました。
 「チームの勝率より勝率が低いとは、"チームの足を引っ張った"ということなのではないのか? それで賃上げの要求が通るものなのだろうか…。」
 「がしかし、この人はチーム最多勝でもある…。一体、チームのために大切こととは何なんだろうか…」
 …というような、疑問がです。

  計算方法

 以下は、400勝をあげた金田正一投手の成績です。

ABCDEFGHIJKL
年度チーム金田正一投手架空割合
勝率勝率勝率
1950国鉄4294.309812.4003482.2935.36
1951国鉄4659.4382221.5122438.38713.17
1952国鉄5070.4172425.4902645.36613.78
1953国鉄4579.3632313.6392266.25045.16
1954国鉄5573.4302323.5003250.39010.11
1955国鉄5771.4452920.5922851.35425.64
1956国鉄6165.4842520.5563645.4448.93
1957国鉄5868.4602816.6363052.36625.82
1958国鉄5868.4603114.6892754.33338.10
1959国鉄6365.4922119.5254246.4773.13
1960国鉄5472.4292022.4763450.4055.88
1961国鉄6760.5282016.5564744.5162.14
1962国鉄5179.3922217.5642962.31923.10
1963国鉄6573.4713017.6383556.38522.46
1964国鉄6174.4522712.6923462.35427.58
1965巨人9147.659116.6478041.661-0.26
1966巨人8941.68546.4008535.708-3.35
1967巨人8446.646165.7626841.6243.57
1968巨人7753.5921110.5246643.606-2.18
1969巨人7351.58954.5566847.591-0.44
通算12471308.488400298.5738471010.4567.00
13.39

 背景が灰色の列は、金田投手が所属したチームの成績です。旧国鉄現ヤクルトは当時、万年Bクラスの弱いチームでした。1965年に、金田投手は読売巨人軍に移籍します。V9が始まった年でした。勝率が全く違います。通算記録一覧表投手欄にある「所属チームの勝率」とは、この列の通算の部分のことです。
 背景が緑色の列は、金田投手本人の成績です。
 ここから特殊な計算が始まります。背景が水色の列は、チームの成績から金田投手の成績を引き去ったものです。L列の"割合"とは、「(E÷K-1)×100」です。現実のチームの勝率を、金田投手の成績を引いた架空のチームの勝率で割って、割合を示した、ということです。続いて、「正の」の意味合いを明瞭にするために1を引き、「貢献度」の意味合いを深めるために100を掛けました。
・0以上であればあるほど、金田投手の勝敗がチームの勝敗に占める割合が大きくなります。1953年をご覧ください。チーム45勝の内、金田投手が23勝ですから、極めて高い数値になっています。
・ぴったりゼロだったら、1で割り切れる、ということですから、チームの勝率に影響のない、チームと同じ勝率を挙げたシーズンだったことになります。1965年の、チームの勝率と金田投手の勝率とを見比べてみてください。両者が近しいので、数値も小さくなっています。
・0以下であればあるほど、チームの勝率より低い勝率を残したことになります。1966年が好例です。勝率が同じでも勝敗数が大きくなれば、それだけ数値も大きくなります。もしも「4勝6敗」でなく「24勝36敗」だったとしたら、−3.35だったのが−26.27になります。
 一番右下の太字はシーズンごとの平均です。通算記録一覧表では、この数値を載せています。
 こうして、一応、弱いチームでたくさん勝ち星を挙げると高くなる数値を考えだすことが出来ました。

  上位10傑の数値からわかること

 当サイトで扱っている160勝以上の通算記録一覧表でのトップテンは、以下の通りです。

名前数値勝敗、勝率所属チームの勝率、引退年
野口 二郎13.75237勝139敗 .630.513 阪急ほか 〜1952
金田 正一13.39400勝298敗 .573.488 国鉄、巨人 〜1969
長谷川 良平10.38197勝208敗 .486.392 広島 〜1963
秋山 登9.06193勝171敗 .530.417 大洋 〜1967
稲尾 和久6.68276勝137敗 .668.561 西鉄 〜1969
真田 重蔵5.68178勝128敗 .582.529 松竹、阪神ほか 〜1955
鈴木 啓示5.11317勝238敗 .571.495 近鉄 〜1985
村山 実4.51222勝147敗 .602.529 阪神 〜1972
V.スタルヒン4.48303勝176敗 .633.540 巨人、大映ほか 〜1955
若林 忠志3.53237勝144敗 .622.593 阪神、毎日ほか 〜1953

 おしなべて昔の選手の名が挙がります。皆チームの勝率を大きく上回る勝率を挙げています。名門チームで投げ続けた人、万年最下位チームで投げ続けた人、両方で長く投げた人、様々います。しかし、とにかくチームの勝率を大きく上回っていること、これがこの数値においての肝要事です。
 稲尾投手のように、前半は大活躍、後半は肩の故障で投げられない、そういう投手でも高い数値を挙げることが出来ます。長谷川投手のように、自身の勝率が五割を切っていても、名を連ねることが出来ます。
 多くの勝ち星を挙げるだけでは数値は伸びません。チームの勝率を引き上げる勝率でなくてはいけません。
 例えば、70勝60敗のダミーチームがあったとします。同じ35勝のダミー投手が2人いて、敗戦数をそれぞれ10と50とします。そのときの数値は30.77と−30.77です。また、勝率がいくらチームを上回っていても、勝ち星が少なくてはこの数値は高くなりません。1勝0敗とかでは数値にほとんど影響しません。
 事情はこんな具合ですから、管理人は、この数値を「正の貢献度」と名づけて差し支えないと考えます。

  残った課題

 これで、冒頭で述べた不憫さや疑問を解決することが出来ました。この数値が高ければ、200勝を達成していなくても勝率が5割を切っていても、チームの勝利に対して多大な貢献を為した事実が、如実に現れます。
 でも課題も残っています。以下は、自分がこの目で見た中で唯一大投手と言える巨人の斎藤雅樹投手の貢献度です。

年度チーム勝率斎藤雅樹投手計算割合
1984巨人6754.554401.0006354.5382.83
1985巨人6160.504128.6004952.4853.91
1986巨人7548.61073.7006845.6021.33
1987巨人7643.63900#DIV/0!7643.6390.00
1988巨人6859.53563.6676256.5251.91
1989巨人8444.656207.7416437.6343.56
1990巨人8842.677205.8006837.6484.52
1991巨人6664.5081111.5005553.509-0.31
1992巨人6763.515176.7395057.46710.29
1993巨人6466.492911.4505555.500-1.54
1994巨人7060.538148.6365652.5193.85
1995巨人7258.5541810.6435448.5294.62
1996巨人7753.592164.8006149.5556.81
1997巨人6372.46768.4295764.471-0.94
1998巨人7362.541107.5886355.5341.28
1999巨人7560.55652.7147058.5471.59
2000巨人7857.57831.7507556.5730.92
2001巨人7563.54322.5007361.545-0.24
通算12991028.55818096.6521119932.5462.32
2.47

 斎藤投手は、'89、'90年と2年連続で、最多勝、最優秀防御率のタイトルに輝き、チームも最速で優勝するような好成績を収めました。
 この間、斎藤投手は日本記録の11連続および8連続完投勝利を挙げ、当に鬼神の活躍でした。毎試合、本当に安定感があって、チームの勝利への貢献の手本のように感じられました。
 ところが、この計算には鬼神の貢献が現れているように思えません。「正の貢献度」と言いましたが、強いチームで勝ち星を多く挙げても、数値が伸びません。
 弱いチームに埋もれた投手の貢献に光を当てることは出来ますが、強いチームではたくさんの投手の貢献に埋もれてしまいます。
 悔しいけれどどうしようもないです。"メルカトル図法だと高緯度の面積が大きくなる不具合"とかと同じです。

  先発投手にとって大切なことは何か?

 全シーズンの成績の芳しくないチームをざっと調べてみて、1シーズンの上位10傑を出してみました。ほとんどが独りでチームの勝ち星の半分を達成した事例です。

名前年度数値チームの成績投手の成績
1秋山 登1956年47.01大洋 43勝87敗 .33125勝25敗 .500
2三浦 方義1956年45.60大映 57勝94敗 .37729勝14敗 .674
3金田 正一1953年45.16国鉄 45勝79敗 .36323勝13敗 .639
4長谷川 良平1951年44.44広島 32勝64敗 .33317勝14敗 .548
5野口 二郎1943年42.95西鉄 39勝37敗 .51325勝12敗 .676
6金田 正一1958年38.10国鉄 58勝68敗 .46031勝14敗 .689
7米川 泰夫1951年34.04東急 38勝56敗 .40419勝12敗 .613
8米川 泰夫1954年31.23東映 52勝86敗 .37723勝14敗 .622
9長谷川 良平1951年31.08広島 58勝70敗 .45330勝17敗 .638
10野口 二郎1940年30.71 翼  56勝39敗 .58933勝11敗 .750

 チームの勝利に対する一人の先発投手の、この上ない正の貢献の10例ですが、チームを優勝に導いたものは入りません。

以下準備中
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