リーダーラップとリーダーディスタンス

F1今昔物語 → アラカルト → 当ページ(2008年8月11日UP)

 説明

 F1の決勝レースにおいて、先頭を走りながらコントロールラインを通過すると、その周はリーダーラップとして記録されます。先頭で通過した者をラップリーダーとも呼びます。それで、シーズンを通してのリーダーラップ数が、ファンの間で話題になるときがあります。
 ところが、F1はサーキットによって1周の長さと総周回数に違いがあります。例えば、モナコGP(モンテカルロ)が100周で争われる一方、ドイツGP(ニュルブルクリンク)が15周で争われた時代がありました。1958〜1967年です。
 おそらく、リーダラップが数え上げられるようになったのは、「先頭を走った距離」に価値を与えんがためだと思われます。ところが、1周の長さと周回数の違いによって、リーダラップ数では「先頭を走った距離」を公平に測ることができません。上記の例で言うと、モナコGPで一生懸命走って全周回1位を達成すると100周がリーダーラップとして数え上げられる一方、ドイツGPで同じように全周回1位を達成しても、15周しか数えられません。
 そこで管理人は、リーダー・ディスタンスというものを考えました。計算は簡単で、リーダーラップに1周の距離を掛けたものです。これなら、当に「先頭を走った距離」です。厳密に言うなら、1周の間にデッドヒートで先頭争いが行なわれたとき、この計算では正確ではありませんが…。
 全走行距離に対して、一人のドライバーの首位走行距離の割合を示すこともできます。これはリーダー・ディスタンス率です。

 各年度のLL王とLD王

 シーズンを通してのリーダーラップ率、リーダーディスタンス率が最高の者を、LL王・LD王としています。
 年度ごとに開催数が異なっても、できるだけ公平に見れるように、率で表しています。同じ理由から、'50年代のインディ500の結果を除いて計算しています。
 「○○%」のセルにカーソルを合わせると、「○○周/○○周」「○○km/○○km」というように内訳がポップアップ表示されます。
LL王LD王
1950G.ファリーナ50.4%G.ファリーナ50.8%
1951J-M.ファンジオ43.4%J-M.ファンジオ40.3%
1952A.アスカリ77.9%A.アスカリ77.3%
1953A.アスカリ78.0%A.アスカリ66.1%
1954J-M.ファンジオ41.8%J-M.ファンジオ53.5%
1955J-M.ファンジオ65.0%J-M.ファンジオ73.1%
1956S.モス47.9%J-M.ファンジオ42.0%
1957J-M.ファンジオ53.5%J-M.ファンジオ44.3%
1958S.モス40.5%S.モス39.1%
1959S.モス32.3%S.モス27.5%
1960J.ブラバム40.8%J.ブラバム46.6%
1961W.フォン・トリップス31.8%P.ヒル31.3%
1962G.ヒル51.3%G.ヒル51.3%
1963J.クラーク71.5%J.クラーク72.1%
1964J.クラーク44.6%J.クラーク39.5%
1965J.クラーク51.1%J.クラーク62.0%
1966J.ブラバム31.9%J.ブラバム35.1%
1967J.クラーク39.4%J.クラーク39.7%
1968J.スチュワート27.7%J.スチュワート32.3%
1969J.スチュワート47.8%J.スチュワート51.0%
1970J.スチュワート29.1%J.イクス26.8%
1971J.スチュワート49.8%J.スチュワート49.6%
1972J.スチュワート39.8%J.スチュワート38.0%
1973R.ペテルソン40.4%R.ペテルソン39.7%
1974N.ラウダ34.6%N.ラウダ30.4%
1975N.ラウダ39.0%N.ラウダ39.0%
1976J.ハント34.1%J.ハント36.9%
1977M.アンドレッティ24.6%M.アンドレッティ22.6%
1978M.アンドレッティ43.5%M.アンドレッティ45.0%
LL王LD王
1979G.ヴィルヌーヴ28.9%G.ヴィルヌーヴ25.9%
1980N.ピケ24.5%A.ジョーンズ24.2%
1981A.プロスト21.8%A.プロスト24.7%
1982A.プロスト27.2%A.プロスト24.6%
1983N.ピケ34.7%N.ピケ34.5%
1984A.プロスト34.5%A.プロスト34.7%
1985A.セナ26.2%A.セナ27.7%
1986N.マンセル31.6%N.マンセル31.2%
1987N.マンセル41.2%N.マンセル38.4%
1988A.セナ53.6%A.セナ56.3%
1989A.セナ46.3%A.セナ47.4%
1990A.セナ52.4%A.セナ52.9%
1991A.セナ47.7%A.セナ44.9%
1992N.マンセル66.8%N.マンセル67.7%
1993A.プロスト41.3%A.プロスト43.2%
1994M.シューマッハ60.6%M.シューマッハ57.3%
1995M.シューマッハ40.4%M.シューマッハ42.0%
1996D.ヒル47.3%D.ヒル45.1%
1997J.ヴィルヌーヴ33.0%J.ヴィルヌーヴ31.6%
1998M.ハッキネン56.7%M.ハッキネン55.9%
1999M.ハッキネン38.3%M.ハッキネン38.7%
2000M.シューマッハ51.2%M.シューマッハ50.2%
2001M.シューマッハ50.4%M.シューマッハ49.7%
2002M.シューマッハ51.2%M.シューマッハ53.4%
2003M.シューマッハ29.7%M.シューマッハ29.9%
2004M.シューマッハ60.7%M.シューマッハ61.2%
2005K.ライコネン28.5%K.ライコネン29.8%
2006F.アロンソ40.7%F.アロンソ39.6%
2007L.ハミルトン30.1%F.マッサ28.5%

 LL王とLD王が異なるケース

 大抵の場合、LL王とLD王は同じ人で、似たような割合にもなります。でも、LL王とLD王が異なるケースもあります。それが赤字で示した以下のシーズンです。
 ここに挙げたのは主なラップリーダーです。

1956年 総ラップ数…468周 総周回距離…3190.1km
S.モスJ-M.ファンジオ
LL(周)LD(km)LL(周)LD(km)
2241144.51411341.2
47.9%35.9%30.1%42.0%
 この年は、S.モスが100周のモナコGPで全周回1位を、J-M.ファンジオが22周のドイツGPで全周回1位を成し遂げました。そのため、S.モスのLLが多く、J-M.ファンジオのLDが長くなっています。LL王とLD王が食い違う典型例です。

1961年 総ラップ数…490周 総周回距離…2988.0km
W.フォン・トリップスS.モスP.ヒル
LL(周)LD(km)LL(周)LD(km)LL(周)LD(km)
156787.8132726.894936.6
31.8%26.4%26.9%24.3%19.2%31.3%
 この年は、W.フォン・トリップスが75周のオランダGPで全周回1位を成し遂げましたが、イタリアGPで事故に遭い、亡くなってしまいました。そのイタリアGP(1周10キロで43周)を制したP.ヒルがタイトルと共に、LD王の座にもつきました。

1970年 総ラップ数…917周 総周回距離…4457.5km
J.スチュワートJ.イクスJ.リント
LL(周)LD(km)LL(周)LD(km)LL(周)LD(km)
2671016.82261193.6186931.8
29.1%22.8%24.6%26.8%20.3%20.9%
 この頃になると、サーキットごとの1周の長さ・周回数の違いは小さくなってきます。J.スチュワートが短距離多周回サーキットで長く首位を走りましたが、最終戦でJ.イクスの首位走行距離が上回りました。しかし、チャンピオンになったのはJ.リントです。中盤に4連勝したものの、イタリアGPで事故死し、首位走行の争いには加われませんでした。

1980年 総ラップ数…890周 総周回距離…4267.0km
N.ピケA.ジョーンズ
LL(周)LD(km)LL(周)LD(km)
218892.82011033.9
24.5%20.9%22.6%24.2%
 この頃になると、ますますサーキットごとの1周の差は小さくなります。40〜80周で争われました。特筆するほどのものでない、わずかな食い違いが積み重なって、LL王とLD王が異なる結果になりました。

2007年 総ラップ数…1065周 総周回距離…5170.2km
F.マッサK.ライコネンF.アロンソL.ハミルトン
LL(周)LD(km)LL(周)LD(km)LL(周)LD(km)LL(周)LD(km)
300 1473.5 2141159.1 203963.1 3211447.7
28.2%28.5%20.1%22.4%19.1%18.6%30.1%28.0%
 今現在、ほとんどのサーキットは約50周〜約70周で争われています。30年近く、LL王とLD王の食い違いはありませんでした。そんなことは、もはや過去の遺物かと思っていたところ、2007年に食い違いが発生しました。
 記憶に新しいこの年、タイトルと名のつくものは何もかもこの4人で争われました。この4人が、96〜7%の割合で先頭を走っていました。
 LL王は安定して上位を走っていたL.ハミルトンのものに、LD王はポイントでは最も低いF.マッサのものになりました。F.マッサとL.ハミルトンの首位走行距離の差は、わずか25.8kmです。最後のブラジルGPで言うと、ちょうど6周ほどの距離になります。あの一戦で、L.ハミルトンは最長首位走行距離の座をも失っていたのでした。K.ライコネンがもっと早く先頭に立っていたら、こんな結果にはならなかった、、、という出来事でもあります。
 タイトルは、ご存知の通り、K.ライコネンのものでした。

 おまけ 総周回距離の変遷

 F1が1シーズンに走る総距離をグラフにしました。横軸は年次です。紫の線が開催数、山吹色の線が総周回距離です。1984〜1994年は年16戦だったので横一線になっています。
 F1世界選手権は、初年度、7戦で合計2435kmを走ることでスタートしました。以後、開催数の増加に伴って、1シーズンで走る総周回距離も増加していきます。最初の頃は、1レースで500kmを走るなど、今より長い距離で争われたので、紫と山吹色の間隔が大きく見えます。
 '60年代も1レースが400km近くで争われました。それが1971年になって、最大でも320km前後に抑えられました。1973年に開催数がグッと増えて15戦になり、総周回距離も増えました。1977年にはシーズンで5000km走りました。以後、開催数14〜16、1レース300〜320kmで推移しました。
 1995年から開催数が16を超えるのが頻繁になり、シーズンで5000km以上走るのが増えています。今現在のレースは、モナコ以外どのレースも300km強を1時間半で走ります。
 気になったので、1950年から2007年末までの全周回距離を計算してみました。24万8692kmでした。F1は60年近くかけてこれだけ走ったわけです。この世で最も速いという光(電磁波)は、1秒間に約30万km進みます。F1があと10年ほどシーズン5000kmを続けると、30万kmに達します。
 F1が60年近くかけて走り続けた約25万km…。そのあいだ1周1周、いろんな人々の想いがつまっていて、そのため心をくすぐるドラマがあって、管理人はその歴史を調べるのに10年も費やした、、、というこの距離を、光は0.83秒で通り過ぎてしまいます。そして、その光というものは、この世に生じてから、上記のスピードで、もう大体137億年も突っ走り続けているのだとか…。自然科学が明らかにする物質の世界とは、なんと広大で味気なくて人間とかけ離れた世界なのだろうか…と空恐ろしくなります。
 話が完全に脱線しましたので、今回の企画はこれでお終いにします。




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