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  F1今昔物語 2011年 ダイジェスト

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 ■ シーズン前
 年20戦で争われる予定だったが、2010年末にチュニジアから飛び火していった中東諸国の民主化デモの影響で、開幕戦のバーレーンGPが中止(あるいは延期)となった。
 F1のタイヤは、今季からブリジストンに代わってピレリの独占供給となる。同社の供給は1991年以来のことである。
 2月6日、テストで好調だったR.クビサがイタリアのラリーイベントに参加。そして、ガードレールが車内を縦に貫くという恐ろしいクラッシュに遭った。彼は右腕複雑骨折などの大怪我を負い、2月16日まで手術が繰返された。一時は右腕切断の必要性も浮上したらしい。しかし、やがて危機的状況を脱してリハビリに移った。今季の出場は絶望的となり、ルノーは代役としてN.ハイドフェルドの起用を発表した。
 3月11日、日本の東北地方と関東を襲う巨大地震が発生した。各ドライバー、関係者は被災地の方々へのお悔やみと励ましの言葉を述べた。当サイトは日本人向けを意識しているので、被災した方を考慮してGPDAの言葉へのリンクを貼っておく。http://response.jp/article/2011/03/15/153277.html
 昨季からの大きな技術的変化として、「KERSの復活」「アジャスタブル(調整可能)リアウイングの導入」がある。後者は、前の車に1秒以内に迫ったときにリアウイングの角度を寝かせて最高速を上げるというアイデアである。この装置を使うことはメディアでは「DRSを使う」などと言われている。また、2009年〜2010年にとかく話題となったダブル・ディフューザーやFダクトは全面的に禁止された。またルール上の変化として107%ルールの復活がある。予選Q1でトップタイムの107%以下のドライバーは決勝に出走できない。
 参戦チーム・ドライバーの話題としては、下位チームでの盛んな新人起用と、N.ヒュルケンベルグのシート喪失などが挙げられる。全体的に見て変化は少ない。フェラーリの長いマシン名はイタリアの建国150周年を意識したものである。

チーム/マシン名 エンジン ドライバー 前年は? タイヤ
レッドブル RB7 ルノー 1、セバスチャン・ベッテル
2、マーク・ウェバー
残留
残留
PI
マクラーレン MP4/26 メルセデス 3、ルイス・ハミルトン
4、ジェンソン・バトン
残留
残留
PI
フェラーリ F150th Italia フェラーリ 5、フェルナンド・アロンソ
6、フェリペ・マッサ
残留
残留
PI
メルセデスGP MGP W02 メルセデス 7、ミハエル・シューマッハ
8、ニコ・ロズベルグ
残留
残留
PI
ルノー R31 ルノー 9、ニック・ハイドフェルド
10、ヴィタリー・ペトロフ
復帰
残留
PI
ウィリアムズ FW33 コスワース 11、ルーベンス・バリチェロ
12、パストール・マルドナド
残留
PI
フォース・インディア VJM04 メルセデス 14、エイドリアン・スーティル
15、ポール・ディ・レスタ
残留
PI
ザウバー C30 フェラーリ 16、小林可夢偉
17、セルジオ・ペレス
残留
PI
トロ・ロッソ STR6 フェラーリ 18、セバスチャン・ブエミ
19、ハイメ・アルグエルスアリ
残留
残留
PI
ロータス T128 ルノー 20、ヘイキ・コバライネン
21、ヤルノ・トゥルーリ
残留
残留
PI
HRT F111 コスワース 22、ナレイン・カーティケイヤン
23、ヴィタントニオ・リウッツィ
復帰
フォース・インディア
PI
ヴァージン MVR-02 コスワース 24、ティモ・グロック
25、ジェローム・ダンブロジオ
残留
PI

 ■ 3月25日 〜 3月27日 第1戦 オーストラリア
 日本では地震の惨状が覚めやらぬ中、今年もF1が始まった。フェラーリはノーズ部分に「がんばれ! 日本」と書かれたステッカーを貼った。このオフシーズンにはオーストラリア(洪水)とニュージーランド(地震)でも自然災害が猛威を奮っており、これらを鑑みて決勝前に1分間の黙祷が捧げられた。日本国旗が半旗で掲げられた。
 時間を戻して金曜、土曜とレッドブルが一歩抜きんでた速さを見せた。マクラーレンはテストで不調だったものの、開幕戦では立て直してきた。予選ではS.ベッテルが他を圧倒する速さでPPの座についた。HRTの二人が107%ルールによって決勝に臨めなくなった。
 11チーム22台で争われる決勝レース。現地時間で17時というトワイライトレースである。スタートではベッテルが無難にトップを守った。アロンソとバトンが後退。後方ではグラベルに飛び出したマシンが見られた。ベッテルは1周だけで2位に2.4秒の差をつけた。ハミルトン、ウェバー、ペトロフ、バトン、N.ロズベルグ、小林可夢偉、アロンソ、P.ディ・レスタというトップテンである。
 M.シューマッハとアルグエルスアリがダメージを負ってピットイン。2周目、アロンソが小林可夢偉をオーバーテイク。ベッテルとハミルトンの差は3秒前後で推移している。バトンがマッサに再三詰まっている。11周目にウェバーがハードタイヤに交換した。同じ周、バトンがマッサに仕掛けてショートカット。マッサに順位を譲りたいところだが、アロンソがマッサの真後ろに陣取った。バトンはスピードダウンを躊躇する。そのままアロンソはマッサを抜いた。バトンには当然ドライブスルーペナルティが科された。翌周以降、そのフェラーリ勢とベッテルがピットインした。16周目、ハミルトンもピットイン。復帰後、ベッテルとの差が6秒前後に開いた。19周目、ベッテル、ハミルトン、ウェバー、ペトロフ、アロンソ、マッサ、S.ペレス、N.ロズベルグ、小林可夢偉、バリチェロの順位。
 21周目、ピットインを繰り返したM.シューマッハがリタイヤ。23周目、ターン3でバリチェロがN.ロズベルグのインに突っ込んだ。N.ロズベルグはリタイヤとなり、バリチェロにドライブスルー・ペナルティ。25周目のホームストレートでバトンが小林可夢偉をオーバーテイクした。KERSと可変リアウイング(DRS)という専用アイテムを二つとも駆使した、今季を象徴するオーバーテイクである。このようにバトンは少しずつ順位を取り戻していく。ベッテル、ハミルトン、ウェバー、ペトロフ、アロンソ、マッサ、バトン、小林可夢偉、ブエミ、スーティルの順位。
 26周から2/3のピットインが行われた。ウェバーとフェラーリ勢がこの3回ストップ作戦を採っている。ペトロフが当然のごとく3位に浮上。続いて30〜37周目頃に2/2のピットインが行われた。小林可夢偉は1回ストップ作戦のS.ペレスの後ろに位置づけることとなった。ベッテル、ハミルトン、ペトロフの上位3台は同時ピットインである。ベッテルは悠々と先頭で復帰した。38周目の時点で、先頭ベッテル、9秒ほど後方にハミルトン。続いてウェバー、アロンソ、ペトロフ、マッサ、バトン、S.ペレス、小林可夢偉、ブエミという順位である。
 41周目、ウェバーが3/3のピットイン、しかし作業ミスとアウトラップでのコースオフを喫する。翌周にアロンソが同じくピットイン。ウェバーの前で復帰した。48周目、マッサが最後のピットイン、順位を落としたが55周目にファステストラップを記録するなどして気を吐いた。ベッテル、ハミルトン、ペトロフ、アロンソ、ウェバー、バトン、S.ペレス、小林可夢偉、マッサ、ブエミの順位。ただ一人1回ストップ作戦のS.ペレスがタイヤを上手く使っている。
 そのままの順位でレースが終了した。チーム、ドライバーによってタイヤ劣化の傾向が全く異なるレースとなった。そんな中でベッテルが独走勝利、またペトロフが初の表彰台を達成した。ベッテルは昨季から数えると3連勝となる。レース後、ザウバーのマシンのリアウイングに寸法違反が発覚したため、ドライバーの二人は失格、以下順位繰り上げとなった。このことで新人のデビュー戦初入賞がS.ペレスからP.ディ・レスタに移った。

 ■ 4月8日 〜 4月10日 第2戦 マレーシア
 前回から2週間を経るとレッドブルの優位は小さくなったものの、ベッテルが再びPPを獲った。拮抗するマクラーレンと共に上位4台を占めた。
 気温28度、路面温度31度の曇り空、決勝レースがはじまった。ルノー勢のスタートがよく、ベッテルとハミルトンが先頭を争うなか、アウトからハイドフェルドが割って入った。ウェバーは悪癖のスタート失敗が出て9番手に落ちた。さらにはターン9で小林可夢偉に抜かれる。しかしバックストレートで抜き返した。ベッテル、ハイドフェルド、ハミルトン、バトン、ペトロフ、マッサ、アロンソ、M.シューマッハ、ウェバー、小林可夢偉という順位で2周目に向かった。
 3周目、可夢偉がまたウェバーを抜いた。バリチェロがホームストレートでパンクを喫し、1周かけてピットインを行った。スーティルもピットイン。5周目、フェラーリ勢がペトロフを抜く。6〜8周目、可夢偉とウェバーが激しく順位を争う。その影響でウェバーのタイヤがダメになり、10周目にピットイン、新しいソフトタイヤ(オプションタイヤ)に交換した。12周目にハミルトンが同じくピットイン。ベッテルは2位以下に5秒ほどの差をつけていたが、タイヤが持たずに13周目にピットインした。可夢偉がM.シューマッハをオーバーテイク。このころ雨が降ってきて、観客がレインコートを用意した。ピットインの難しいタイミングであるが、各車ドライタイヤで走行を続けた。ブエミがピットレーンでスピード違反を犯し、10秒ストップのペナルティを科された。20周目の順位は、ベッテル、ハミルトン、アロンソ、バトン、ハイドフェルド、ウェバー、マッサ、ペトロフ、ディ・レスタ、M.シューマッハである。
 雨が上がった。ハミルトンはベッテルよりも速いペースで走っている。ベッテルらレッドブル勢のKERSが今回も故障していることが無線から報じられた。22周目、ウェバーが再びピットインの第一号となり、各車がバラつきながらタイヤ交換を行った。ハミルトンだけハードタイヤ(プライムタイヤ)に賭けた。28周目、可夢偉がM.シューマッハをまたオーバーテイク。30周目の順位は、ベッテル、ハミルトン、バトン、アロンソ、ハイドフェルド、ウェバー、マッサ、小林可夢偉、ペトロフ、ディ・レスタである。
 ハミルトンのハードタイヤのタイムが伸びない。32周目、ペトロフが可夢偉をオーバーテイク。同じ周、ウェバーがいち早くピットインしてハードタイヤに交換した。36周目、可夢偉が2/2のピットイン。直後に3回ストップ組の3回目のピットインが行われた。ハミルトンとバトンの順位が逆転した。42周目、ウェバーだけ4回目のピットインを行った。直後の順位は、ベッテル、バトン、ハミルトン、アロンソ、ハイドフェルド、マッサ、ペトロフ、ウェバー、小林可夢偉、ディ・レスタである。
 プライムに変えてからタイムの上がらないハミルトンをアロンソが攻め立てた。ハミルトンは数回進路を変更して耐える。アロンソは遂にハミルトンのリアにフロントウィングを当ててしまう。ピットインして7位まで後退した。46周目のことであった。レースはまだまだ動く。50周目、ウェバーがマッサをオーバーテイク。ハミルトンはアロンソとの接触後に更にタイムが鈍り、残り4周というところでピットインした。53周目、ペトロフがコースオフし、バンプに乗って大きくジャンプした。これでステアリングが壊れ、リタイヤとなった。
 レースが終わった。ベッテルが昨季からの連勝を4に伸ばした。ハイドフェルドが13回目の表彰台である。レース後、ハミルトンの進路変更にやはりお咎めが出た。さらにアロンソの衝突もアロンソに非があるとされ、それぞれ20秒加算のペナルティとなった。これで可夢偉が7位に繰り上がり、今季初の入賞を改めて果たした。
 新参戦のピレリタイヤの使い方を皆が手探りで模索している。何周か走ると崖を転がり落ちるようにタイムが落ちていくときがある。大雑把に見ると、ソフトタイヤで他車とのバトルを演じると7〜8周くらいで崖の時間を迎え、静かに使うと長く持つような印象がある。しかし各チーム、ドライバーによって傾向はバラバラである。そんな中でもフェラーリやザウバーはタイヤに優しいマシンで、ウェバーがタイヤに厳しい走りをすると見られる。

 ■ 4月15日 〜 4月17日 第3戦 中国
 今回もベッテル好調でイベントが進んだ。金曜土曜と全セッションをトップで通過し、予選では結局2位以下を0.7秒引き離す圧倒的タイムで3戦連続(開幕から数えて)のPPの座についた。時間を戻して、チームメイトのウェバーはチームの判断で柔らかいタイヤ使わなかったこととKERSの故障が重なり、まさかのQ1落ちという結果に終わった。続くQ2セッションではペトロフのマシントラブルで赤旗が振られ、トロロッソ勢がQ3に進出するなど中団チームのグリッドに若干の影響を及ぼした。Q3では、ハミルトンが戦略的にPPを狙わず柔らかいタイヤを1セット温存する作戦を採って3位につけた。
 決勝日、ハミルトンがガレージを出ようとすると、燃料漏れらしきトラブルが生じてマシンが動かなかった。結局、残り60秒で欠場という時間まで立ち往生するという冷や汗を味わった。
 気温21度、路面温度26度という涼し気な天候のもとで決勝レースがはじまった。ベッテルがスタートを失敗し、マクラーレンの2台が一気に1コーナーに飛び込んでワンツー体制を築いた。退いたベッテルはさらにN.ロズベルグにも並ばれるが3位の位置は守った。バトン、ハミルトン、ベッテル、N.ロズベルグ、F.マッサ、F.アロンソ、P.ディ・レスタ、A.スーティル、M.シューマッハ、J.アルグエルスアリの順で1周目を終えた。
 このレースはタイヤ戦略の違いや個々人のミスによって、アチコチで順位変動が展開されたレースとなった。全ての出来事を書き尽くすのは難しいので、こちらのページで特別にレース経過を表にした。
 最終ステイントは当にタイヤ耐久サバイバルであり、しかも勝ち組と負け組の差が激しかった。特に固いタイヤ(プライムタイヤ)で20周以上走り切ろうとした者は、残り10周辺りで大きくペースダウンした。ベッテルやフェラーリ勢、ディ・レスタがこれに当たる。一方で小林可夢偉は26周を持ちこたえた。プライムタイヤでの走行を短く留めたハミルトン、ペトロフらは最後に順位を上げた。それから予選で沈んで新品の柔らかいタイヤ(オプションタイヤ)を3セット用いることのできたウェバーは、格段にペースが違った。彼は11周目の時点で勝者ハミルトンと51秒差があったが、最終的に7秒差まで縮めた。42周目のFLは下位に1.4秒差をつけるという驚異的なものだった。軽い燃料と唯一の新品オプションタイヤという条件が重なった結果である。
 毎回、雨でも降っているかのようにタイヤ戦略に当たり外れが生じるレースが続く。が、3戦目にしてピレリタイヤの特性を掴み出した者が現れた。ハミルトンは戦略的に、ウェバーは怪我の功名で偶然にである。予選を捨ててでも新品のオプションタイヤを温存し、追い抜きを繰り返して上位に浮上するという作戦に、初めて光が当てられた。オーバーテイクのシーン自体はDRSやKERSによって拵えられたわざとらしさを感じなくもない。しかし燃料がイコールという状況のもと、レースの経過に合わせていろんな場所・人によってペースの違いが生じて順位変動に繋がるというのは、歓迎してもいいことかもしれない。

 ■ 5月6日 〜 5月8日 第4戦 トルコ
 予選はいつもの感じでベッテルがぶっちぎって4戦連続PP。レッドブル勢はタイヤ温存のためにQ3で1回しかアタックしないという余裕が見られた。可夢偉がQ1セッション中にマシントラブルに見舞われ、ノータイムの最下位となった。ダンブロジオが黄旗区間の追い越しで5グリッド降格。
 ピレリはスーパーソフト、ソフト、ミディアム、ハードの4つのタイヤを持っている。今回持ち込れたのはソフト・タイヤとハード・タイヤである。レースでは柔らかい方(今回のソフト・タイヤ)はオプションタイヤ、固い方は(今回のハード)はプライム・タイヤと呼ばれる。
 決勝日、グロックがピットスタートを選んだ。レース前は4回ストップが主流になるのでは言われた。
 レースはまたしてもアチコチで順位変動が見られる展開となったため、今回もこちらのページに特別にレース経過を設けた。一言でまとめると、ベッテルがスタートに成功し、DRSで迫られる1秒以内のスペースから逃れ続けたことで、独走して勝ったレース、、、ということになる。スタート時の位置関係を維持し、誰にも順位をおびやかされることがなかったのは彼だけである。言い換えれば、下位ではそれだけ順位変動があったということだ。
 タイヤ戦略はやはり4回ストップが正解で、3回ストップ作戦を採った面々(バトン、ブエミ、可夢偉、バリチェロら)は最終ステイントで苦しい思いをすることになった。しかし最後尾スタートの小林可夢偉は、それを読んだ上でチームにポイント獲得を約束していた。ブエミ戦でのパンクがなければ7位にはなっていたと話す。
 ピレリタイヤがもたらすレース展開の問題点として、、、
・タイヤ戦略の影響が大きく作用することによる予選の価値の低下
・オーバーテイクのインフレ化(順位変動は増えたがバトルは増えない)
…などが挙げられるようになった。軽い気持ちでレースを見るには賑やかでいいかもしれないが、深く実相を知ろうとするのは大変なシーズンである。

 ■ 5月20日 〜 5月22日 第5戦 スペイン
 10年連続でPPが勝つという記録が続いているカタロニアである。アロンソがフェラーリと2016年までの契約を結び、気持ちを新たに地元GPに挑む。また、スーティルが前GP後にとあるレース関係者との付き合いで暴力沙汰に巻き込まれ、刑事起訴されるかしないかというトラブルを抱えた。
 土曜日。フリー走行でハイドフェルドのマシンがトラブルで炎上し、予選はノータイムの最下位となった。コバライネンがQ2に進出した。Q3ではタイヤ温存のために皆1回しかアタックしない、、、どころか走りもしない者まで遂に出現した。当然10番グリッドになったのはM.シューマッハである。PP争いはベッテルにKERS不調のトラブルがあり、チームメイトのウェバーに連続PPを阻止される結果となった。これまで予選5位が続いたアロンソは2列目の4位につけることに成功した。
 決勝日は気温26度、路面温度34度という快晴である。ピレリが今回持ち込んだのはハードとソフトタイヤである。今までより硬くした新しいハードタイヤという発表があった。カタロニアはホームストレート後が中速コーナーであるため、これまでのような追い抜きができない。FIAはDRSを長めにとって1コーナーでの追い抜きが期待できるように設定した。レース経過はこちらのページにまとめた。先に振り返っておくと、ベッテルはKERSが不調で、N.ロズベルグは序盤に無線が壊れ、DRSも不調だったという。
 見物だったシーンはまずレーススタート。レッドブル同士が右に左に牽制し合う横をアロンソが一気に駆け上がってトップで1コーナーに飛び込んだ。スタンドは大歓声であった。
 アロンソという蓋を抱える格好になったレッドブル勢は早めのタイヤ交換で動く。この動きに合わせたアロンソは、タイヤを使い切ったため最後プライムで20周以上走ることになった。言わば予選2列目と首位走行で力を使い果たした形となった。
 レースの2番目の見所はバトンがウェバーとアロンソを抜いた36周目であろう。前述したように抜きにくいサーキット上でこれは見事であった。他にも下位から3回ストップ作戦で浮上した者にハイドフェルドと小林可夢偉がいる。バリチェロはハイドフェルドと同じくQ3落ちで新品タイヤが豊富という条件で決勝に臨んだわけだが、全く浮上できなかった。こういう存在もあるのである。
 追い抜きに関してはよく判断がつかない。簡単に生じたり延々と生じなかったりした。1コーナーが中速コーナーであると、DRSで追いつくことはできるが、ブレーキング勝負は生じないため追い抜きにはならない。そんな印象であった。
 3つ目の見所は後半のレッドブル対マクラーレンの高速バトルである。レースペースにおいては、マクラーレンがレッドブルと互角かそれ以上だったと見て間違いないだろう。35周目以降のベッテルとハミルトン、48周目以降のバトンとウェバーは同じタイヤの条件(新品・ユーズド含めて)である。
 ハードタイヤで20周以上走るというのは、元々のペースも悪い上に伸びていかないという当に地獄行脚であり、アロンソの他にブエミとペトロフがこの選択を採ったが、やはり入賞圏内から脱落した。メルセデス勢も同様であり、ハイドフェルドは「あと1〜2周で彼らを捉えられた」と語った。
 連続PPは阻止されたものの、サーキットの連続ポール・トゥ・ウィンも止める形でベッテルが今季4勝目を遂げた。チェッカーを受けたのが4台というのは極めて少ない事例である。今回は追い抜きは少なかったけれども、裏では様々な駆け引きがあって、見応えのあるレースであった。抜きにくいサーキットの中で、作戦とチャンスを活かして抜いた者と延々と抜けなかった者、守り切った者と簡単に抜かれた者というふうに、人の実力がはっきりと分かれた。抜きにくさのために、引き締まったバトルが見られたと言える。小林可夢偉は今回も最後尾から変則の3ストップ(ほとんど2ストップ)で4戦連続の入賞を果たし、通算の入賞率が50%に達した。ペレスも初入賞を成し遂げザウバーはダブル入賞である。

 ■ 5月26日 〜 5月29日 第6戦 モナコ
 マルドナドが2戦連続でQ3に進出した。ペレスがヌーベルシケインで大クラッシュを演じ、決勝を欠場することになった。この事故で赤旗が振られ、アタックしていなかったハミルトンに大きく影響し予選7位、シケインカットのためグリッドは9位となった。
 ピレリが持ち込んだのはソフトとスーパーソフトである。スーパーソフトの使用は今季初である。DRS使用区間は最終シケイン後から1コーナーのサン・デボーデまでである。全く使わないか、トンネルでも使うかどうかなど、安全性の面からドライバーと関係者の間で少しもめた。
 レース経過のページ
 今回はタイヤの耐久性が確保されたことで、ピット戦略が各チーム/ドライバーでバラバラとなった。上位3人が1回、2回、3回に分かれたことが象徴的である。終盤に赤旗中断があり、その間にタイヤ交換も行えたので実質+1回と言える。このとき上位3台は拮抗していて、タイヤが最後まで持つかどうか注目が集まっていた最中だったため、赤旗は勝負に水を差した形になった(安全のためだから仕方ないが)。
 勝者ベッテル側からすれば、33周目のセーフティーカー出動時と48周目のバトンがタイヤ交換したときに、難しい判断に迫られたと思われる。結局どちらの機会も居残りを選び、変則の1回ストップでレースを走り切ってしまった。最後の中断はベッテルにとっては僥倖であった。バトン視点では、1回目のSC出動によって作戦が大きく狂った。引き起こしたのはチームメイトのハミルトンである。アロンソ視点では、最後の赤旗中断によって勝利のチャンスを奪われる形となった。
 小林可夢偉は一時は表彰台も期待できる位置を走り続け、モナコでは日本人最高となる5位入賞を果たした。絶えず前が塞がれていたためペースがいかなるものだったかは分からない。グラフだけ見ると中団勢のトップの順位であることが信じられない。最後にウェバーにも抜かれてしまった。展開をよく読んだ結果と言える。入賞は当たり前で波乱があればさらに上位へ浮上するという、今後の活躍がさらに期待される力を示した。

 ■ 6月10日 〜 6月12日 第7戦 カナダ
 ペレスは本戦にエントリーしたものの金曜のフリー走行後に体調不良を訴え、本戦も欠場となった。代わりにマクラーレンのリザーブドライバーであるP.デ・ラ・ロサが出走する。
 タイヤの耐久性が心配されたモントリオール。ピレリが持ち込んだのは今回もソフトとスーパーソフトである。しかしタイヤは問題なく機能した。ただし決勝の予報は大雨である。DRS区間は本戦から2か所に増設というルール変更があり、ヘアピン後のバックストレートと、シケインを抜けてからのホームストレートの2か所となった。それぞれストレート後に低速コーナーということで、追い抜きの回数はかなり多くなると思われる。
 予選はベッテルが今季6回目のPP。フェラーリ勢が好調で2位3位につけた。また、下位集団ではHRTの二人がそれぞれヴァージン勢を上回るタイムを見せた。
 決勝日の天候は雨模様であった。スタート時は止んでいたがセーフティーカー先導でレーススタートとなった。カナダGPでウェット状態というのは2000年以来のことである。
 レース経過のページ
 今回のレースは雨脚やタイヤ選択によって18周くらいの4つのパートに分けることが出来る。なのでグラフも4つ用意した。各時間帯で取り扱うペースは異なるが、一目盛り0.5秒間隔の10秒幅に統一した。
 パート1は霧雨のなかのレース。ベッテルが1〜2秒ずつ下位を引き離し続けた(そのたびにSCでキャンセルされ続けたが)。フェラーリとメルセデスのドライバー同士のタイムが拮抗していることから、これがウェット状態でのマシンの差だったのかもしれない。マクラーレンがどうだったのかはハミルトンがチームメイトをも巻き込んで暴れたので分からない。中堅チームの中では可夢偉のペースが一番よい。追い抜きを繰り返したのも納得である。
 パート2は土砂降りの状態から始まる。1枚目から全体を10秒引き下げた。あちこちに川ができるほどの大雨と数周きりのレースのため、語ることは少ない。レースはそのまま赤旗中断となった。2時間強のあいだ何度もペースカーが路面をチェックしていた。
 パート3は路面が乾いていく状態。ここからザウバー勢の走りを上位チームのグラフに移した。全車インターミディエイトでの争い。小林可夢偉の活躍に期待した人が多かったであろう。彼は全体でも上位のペースを繰り返した。中堅チームより上なのはもちろん、チームメイトにも明確な差をつけていて、期待通りの健闘であったと言える。ここではM.シューマッハも往年の走りを見せていた。
 パート4はドライタイヤのレース。土曜までのパフォーマンスと唯一比較できる場面。バトンが他を圧倒したのはこのパートだけである。3枚目と4枚目のグラフでは値が7.5秒違うのだがバトンの線の位置は全く変わっていない。このことからも異常なハイペースであることが分かる。可夢偉はここに来て土曜までの中堅チームでも下方のペースに戻ってしまった。ハイドフェルドやN.ロズベルグに追突されるなど、コーナーからの立ち上がりがとても遅かった。
 荒れた展開が恒例のカナダGP。SC出動が6回というのは過去最多で、幾ら何でも…という気もする。勝者バトンはドライブスルーも含め、6回もピットインしている。これもおそらく過去最多(近年では間違いなく)である。最下位からの逆襲勝利というのも管理人の記憶にはない。セーフティーカーによって差がキャンセルされ続けたためとは言え、極めて劇的な勝利となった。カーティケイヤンはシケイン不通過があり、レース後に20秒加算されて14→17位に後退した。しかしHRTは予選でも決勝でもヴァージンよりよいパフォーマンスだったと見られる。

 ■ 6月24日 〜 6月26日 第8戦 ヨーロッパ
 予選でマルドナドのトラブルで赤旗が振られた。レッドブルがフロントロー。ベッテルがPP。8戦で7回目と手の付けられない速さ。
 DRSは2か所で使用可能。12コーナー前と14コーナー後のストレート。タイヤはソフトとミディアム。ミディアム・タイヤは今季初登場である。路面温度が46度を超える晴天。
 ペトロフとペレスがミディアム・タイヤを選択してレースが始まった。レース経過のページ
 本戦は全車完走のレースとなった。これは1961年オランダGP、2005年イタリアGP以来、史上3回目の出来事である。内容としては、N.ロズベルグ(7位)を境に上位陣と中団のペースに大きな違いが出た。周回遅れになった/ならないも7〜8位が境目である。なので二つに分けてレースを見てみる。
 まず上位陣。レース序盤は4台のペースに差がなかったが、ハミルトンのタイヤの劣化が早くてまず脱落となった。残る3人もレース中盤までペースに差はない。しかし、アロンソはウェバーを意識してタイヤが持つ状態でピットインせざるを得なかった。ベッテルはアロンソがピットインしたら自身もピットインすればよかった。言わば、アロンソ/フェラーリはウェバーの前に出るのが今回はやっとだったということだろう。モナコGPのように上位で作戦が異なるのでないと、PPベッテルが独走する展開は崩れそうにない。
 次に中団勢。小林可夢偉はレース後にペースがよくなかったと語った。でもモナコGPでは中団勢で抜きん出たタイムでもないのに5位入賞を果たした。今回は作戦がよくなかったと言わざるを得ない。グラフを見るとタイムがよくなかったのは第2ステイントのミディアムタイヤのみであることが分かる。これで22周走ったのがいけなかった。逆に作戦がよかったのはアルグエルスアリ。全車完走のなかで予選より大幅に順位を上げたのは彼だけである。

 ■ 7月8日 〜 7月10日 第9戦 イギリス
 N.カーティケイヤンの代わりに、HRTからD.リカルドが出走することになった。ブロウン・ディフューザーという、オフスロットルのときに排気ガスを使ってダウンフォースを得る技術がある。去年辺りにレッドブルが開発し、マシンにステッカーを貼って他チームに真似されないよう隠したほど有効な技術であるらしい。やがてシーズンが進むに連れて取り沙汰されるようになり、今季前半半ば辺りからルノーやフェラーリが真似しだした。その技術が本戦で禁止となった。これは数週間前に通達されていたことである。しかし、全チームに平等に使用を規制するのは構造上難しいことが判明し、イベント中に規制の仕方が二転三転するという混乱を招いた。
 またシルバーストンには昨年に続いて改修が加えられ、スタート位置、ピットの位置が変わった。施設の老朽化に伴い、新しい複合パドック「ウイング」が建設されたのである。DRSゾーンは1か所、4コーナー〜ターン6の間である。2年前までは走ることがなかった部分である。ピレリが持ち込んだタイヤはソフトとハードである。
 予選はセッションが始まれば雨、終われば晴れ、という気まぐれな天気に翻弄され、ウェバーが今季2度目のPPの座についた。上記のルール変更のタイムへの影響も分かりにくくなってしまった。しかしフェラーリがレッドブルとの差を小さいものにしたような印象を受ける。
 決勝日もぐずついた天気のため、全車インターミディエイトを装着してフォーメーションラップに向かった。気温22度、路面温度20度の元でレースが始まる。
 レース経過のページ。新しいシルバーストンではピットインの周のタイムが前方で計測されるのか、異常に速くなっている。グラフではいったん山をつくってからピット作業の谷に落ち込むようになっているので注意されたい。またパドック新設とは関係ないと思うが、今回はピット作業のトラブルが相次いだ。王者ベッテルを始め、小林可夢偉、ディ・レスタ、バトンらが被害に遭った。
 レースはフェラーリのアロンソが今季初勝利を遂げた。レースペースで注目したいのは、第3ステイントでマッサのペースがウェバーを上回っていたこと。フェラーリのマシン自体が速かったことの証しと言える。ディフューザー規制の影響かもしれない。
 イベント後ほどなくして、今回狙ったような規制は撤廃され、ほぼ以前の状態で走ってもよいことが発表された。

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 ■ 7月22日 〜 7月24日 第10戦 ドイツ
 インド人で昨年HRTでシーズン前半を走ったK.チャンドックが、ロータスからJ.トゥルーリと交代で出場することになった。
 予選はウェバーが2戦連続のPP。2009年に続いてニュルブルクリンクでの連続PPでもある。ハミルトンが8戦ぶりに2位の位置に戻ってきた。ベッテルがフロントローを逃すのは15戦ぶりのこととなる。小林可夢偉がQ1落ち。ブエミのマシンの燃料に違反があったとして、彼は予選結果から除外されることになった。
 DRS使用区間は1か所でターン11〜13の間である。ピレリはソフトとミディアムタイヤを用意した。
 フォーメーションラップ直前にポツポツと雨が落ちてきた。しかし路面に影響を与えるほどではない。気温13度、路面温度15度という低温状態でレースが始まる。レース経過のページ
 本戦は上位3人のペースが拮抗した熱戦となった。スタートでのウェバーの悪癖が出て第1ステイントはハミルトンが、第2ステイントは早めに動いたウェバーが先頭を走った。ここまでは誰が勝ってもおかしくない展開だった。1位と2位の差が初めて2秒以上になったのは34周目である。アロンソが先頭でピットアウトしかけたが、ハミルトンがそれを許さなかったあの辺りである。ここでのハミルトンのペースが素晴らしかった。グラフのペースが、定規で線を引いたように真っ直ぐに横に伸びているのは、これ以上は速く走れない限界の走り、当に燃料が減った分だけタイムが縮まるような、ドライバーの力の集中した走りだったと想像できる。最後のタイヤ交換でもハミルトンはアロンソより先に動いて差を拡げることに成功している。これは、ベッテルの独走のように相手の動きを見てから余裕を持ってピットインするのとは異なる。勝負どころで自分から動き、かつ最大限の力を発揮したことで手にした勝利であり、彼の性格のいい所が出たレースであった。

 ■ 7月29日 〜 7月31日 第11戦 ハンガリー
 ベッテルは初日はイマイチだったものの、その晩にスタッフが徹夜で作業を行うと調子を取り戻し、3戦ぶりにPPの位置に戻ってきた。予選は3強の上位6台が0.6秒以内に連なる接戦であった。ブエミは前GPでのハイドフェルドをリタイヤに追いやった接触の影響で5グリッド降格となる。2戦連続で最下位付近からの出走となる。
 ピレリが用意したのはスーパーソフトとソフトタイヤである。くねくねと曲がってばかりのハンガロリンクでは、DRS区間はホームストレートのみと定められた。
 決勝日は3戦連続で分厚い雲が覆う不安定な天候となった。ハンガロリンクがウェット状態になるのは1986年の初開催から2回きりしかない。最初のウェットレースとは2006年である。このときはバトンが初優勝を達成した(第3期ホンダの唯一の勝利でもある)のであった。
 全車インターミディエイトタイヤを装着してレースに臨む。気温17度、路面温度18度と、冷え性(路面が熱くないとタイヤに熱を加えにくい)の傾向があるフェラーリには不利な天気が続く。
 レース経過のページ。ウェット、ドライ、一時的にウェットと路面状態が大きく変わるレースとなった。同じく雨が翻弄したカナダGPと違い、今回は飛び抜けて速いというドライバーはいなかった。結局のところ、ペースのいい悪いよりも、大きな運転ミスをしないことと天候に合わせて的確にタイヤ交換することが勝敗を左右した。ウェットレースでのこうした技術において、バトンの右に出る者はいない。バトンは昨年の2勝も含め、ブラウンGP以外であげた勝利は全て雨絡みである。
 中団勢も事情は同じである。大きく順位を上げたディ・レスタ、ブエミのタイヤ戦略は勝者バトンのそれとピッタリ同じであった。いろんな戦略があった中で、最も速くゴールできたのは彼らの戦略だった。
 その意味でザウバーの小林可夢偉の戦略は間違っていた。最後のオプションタイヤは他の中団勢と遜色ないタイムを出していたので、その投入のタイミングだけが問題だった。そして彼が交換を考え始めるタイミングは、雨が強まるときと重なっている。判断の難しい状況であった。いわば天候に翻弄されたレースであった。ザウバーのマシンは中団グループ内での速さの優位を失いつつあるので、今後はレースの展開をよく読むことが一層重要となってくる。
 この一戦で前半戦が終わり、F1は約1ヶ月の夏休みに入る。ここ5戦で4つも雨絡みのレースが続いた。フェラーリのS.ドメニカリは「F1史上最も湿った7月だったのではないか?」とコメントした。そしてそのいずれのレースでもベッテルは勝利を逃した。このことでベッテルには、"PP独走でなければ勝てない""勝負になると弱い"というような評価が定着しつつある。

 ■ 8月26日 〜 8月28日 第12戦 ベルギー
 ルノーがN.ハイドフェルドに代わり、B.セナを起用した。
 金曜土曜と雨が降り、ドライ状態のデータがとれない。予選の後半だけは路面が乾き、ベッテルが連続PP。しかしレッドブルのタイヤにはブリスターが発生した。時間は前後するが、M.シューマッハが予選開始直後にトラブルに見まわれ最後尾、バトンは周回数判断を誤ってQ2落ちした。マルドナドは予選でハミルトンと接触があったため、5グリッド降格となる。
 DRS区間はオールージュ〜ケメルストレートの間である。ピレリが持ち込んだタイヤはソフトとミディアムである。
 決勝日は晴れ。ドライでのデータが未知のまま各車レースに挑む。レッドブルはタイヤを交換でき(ピットスタートせずに)ないか提案したり、開始1時間前までピレリのスタッフと討論するなど、タイヤへの不安が大きいようだった。レース経過のページ
 しかし結果はレッドブルのワンツーフィニッシュとなった。今回のレースは最終ステイント以外、タイヤ選択がそれぞれ異なった。ドライでのデータがとれなかった影響が大きい。ベッテルは「序盤はレーシングというより調査と科学という感じだった」と語った。
 予選を失敗したバトンとM.シューマッハの二人は、ミディアムタイヤでスタートして数周でソフトに履き替え、交換義務も果たした。そして後半に他車と違うペースで上位に浮上するという作戦を採り、それぞれ成功した。ウェバーは予選のタイヤでスタートしたが、既にブリスターが発生していたため、彼も数周でのピットインとなった。しかし彼だけはミディアムでのロングランを2回続けた。フェラーリとベッテルは前半をソフトで繋いだが、13周目のセーフティーカー出動時にベッテルだけタイヤの交換を済ませた。
 ベッテルの勝利が確かになったのは、この交換時のことだと言ってよい。再開時の僅差の内に2周で先頭に立ち、そのリードを最後まで守った。これまでの、独走して後方の様子を見てからピットインという傾向とは異なる、自ら動いて手繰り寄せた勝利であった。

 ■ 9月9日 〜 9月11日 第13戦 イタリア
 現在では頭ひとつ飛び抜けた高速サーキットであるモンツァでの一戦である。最高速に劣るレッドブルの不利が予想された。実際、金曜初日はマクラーレン勢がトップだったのだが、以後はレッドブルのベッテルがセッションを制していった。予選も1位で今季10回目のPP。地元のフェラーリ勢は土曜フリー走行でマッサが3番手に入るのがやっとであり、表彰台も難しそうであった。
 DRSゾーンは2か所、ホームストレートと、レズモ〜アスカリシケイン間である。ピレリが持ち込んだタイヤはソフトとミディアム。
 決勝日は晴れで、気温30度、路面温度42度という例年通りのコンディションである。レース経過のページ
 レースは、スタートでアロンソが先頭に立ったものの、安全走行解除後にベッテルが先頭に立ち、あとはいつもの展開となった。脅威となるマクラーレン勢が序盤、それぞれアロンソとM.シューマッハに前を塞がれてしまったことが大きかった。ベッテルはスピードトラップ、すなわち最高速の順位が予選は最下位、決勝でも20位(序盤リタイヤの存在を考えるとこれも最下位)ながら、ポール・トゥ・ウィンといういつもと同じ結果を残した。エンジンではなく空力で、シケインの立ち上がりやパラボリカの脱出などでタイムを稼いでいた模様である。レース後のレポートでK.チャンドックは「エンジン至上主義者のエンツォ・フェラーリが見ても、ちっとも感動しなかっただろう」と述べた。
 中団勢の争いでは、アクシデントを生き抜きペースも無難だったトロロッソが2台入賞を果たした。ザウバーはマシントラブルはもちろんのこと、レースでの失速が目立ち、遂にコンストラクターズの6位からも陥落した。またB.セナが終盤の目を見張るペースアップによって、キャリア初の入賞を遂げた。

 ■ 9月23日 〜 9月25日 第14戦 シンガポール
 下位の順位次第ではベッテルの連覇が決まる一戦である。
 金曜日。縁石が不安定であることが判明し、セッションを短縮して改修が行われた。
 土曜日。予選Q2で小林可夢偉がクラッシュを喫した。ペトロフがQ1落ちした。リウッツィは前GPスタート直後のクラッシュの責任で5グリッド降格となっているが、予選最下位だったので無用のペナルティとなった。このサーキットの予選タイムはモナコに次ぐ程に遅い。ハンガリーよりもずっと低速で走るサーキット、低速コーナーへの進入と抜け出しが重要な、要するにレッドブルに優位なサーキットである。ベッテルが予約した指定席のようなPPの座についた。
 ピレリが持ち込んだタイヤはスーパーソフトとソフトタイヤ。DRS区間はターン5〜ターン7の部分の一か所である。
 決勝日は晴れのナイトレース。夜とはいえ気温31度、路面温度34度という暑い天候のなかでのレースとなる。レース経過のページ
 レースはベッテルの勝利のパターンで進んだ。29周目のアクシデントによる安全走行も、通常なら差がキャンセルされるところなのに、周回遅れを3台も挟むという幸運に恵まれ、安全に再スタートを切った。ベッテルは全周回1位という危なげない勝利を遂げた。バトンが全周回2位で続き、タイトル決定は鈴鹿に持ち越しとなったが、形だけのものであろう。
 中団はタイヤ戦略が異なるため、純粋に速さを比べることはできない。ルノー勢は元々遅かったうえにペトロフがKERSに不調を抱え、B.セナがレース序盤でウォールに接触したため、勝負にならなかった。ディ・レスタがメルセデス勢より上位でゴール出来たのは、セーフティーカーのタイミングに拠る。しかし、安全走行後にレースの半分をソフトタイヤで走り切った(メルセデスと同じ作戦)のは評価できる。小林可夢偉は安全走行でのピットインのタイミングを誤り、続いて青旗無視も重なるという不運にも見舞われた。ザウバーは序盤ペレスがフォース・インディア勢と同じ速さだったので、それなりの力はあった。なので、以前のとおり予選で前に出ることとレースの展開をよく読んで動くことが重要ということに変わりない。

 ■ 10月7日 〜 10月9日 第15戦 日本
 7ヶ月前、大きな災害に見舞われた日本…。福島の原発事故で発生した放射能の影響には本国だけでなく世界中が注目した。例えば、栃木県のもてぎで開かれるMotoGP第15戦に向けて、夏ごろ、幾人かのライダーがレースを棄権する考えを一時的に示したりした。今週末のF1イベントでも、レッドブルの食事体制に変な噂が持ち上がってはチームが否定するという騒ぎがあった。
 数字上、ベッテルが1ポイントでも取れば、2位につけるバトンがどうなろうともタイトルが決定する。
 金曜土曜とマクラーレン勢の特にバトンががいつになく好調で首位を維持した。しかし予選は0.009秒差でベッテルが制した。バトンは2位。N.ロズベルグとペレスがマシントラブルによって走行が叶わず、後方に沈んだ。Q3ではタイヤ温存のため4人がアタックを行わなかった。走ったのは上位3チームの6人だけであった。タイム計測をしなかった4人のうち小林可夢偉だけはコースに出てピットに戻るという行動を起こしていたため、4人の先頭、つまり7番手でスタートすることになった。
 ピレリが持ち込んだタイヤはソフトとミディアム。DRS区間はホームストレートの一箇所のみと定められた。
 決勝日。国歌斉唱は南相馬市の女子学生による合唱団によって行われた。これは小林可夢偉が招待したものである。その他、ベッテルがヘルメットに「絆」の文字を入れたり、M.シューマッハが同じく日の丸を入れたり、エクレストンが被災者3000人を招待したりといったありがたい行いが見られた。
 レース経過のページ。レースはバトンが初めて力でベッテルをねじ伏せたと言える結果になった。タイヤ戦略もピタリと同じな上で勝ったのだから、本当にバトンの方が力が上だったということである。ベッテルが記者会見で「タイトなレースだった」と語ったように、ロータスをも含む19台が同一周回でチェッカーを受けた。これは今季ではかなり特殊な結果である(レース半ばに安全走行で差がキャンセルされたこともあるが…)。
 とは言え中団勢のタイムには大きなばらつきが見られた。その中で目を見張る活躍を見せたのが新人のペレスだった。小林可夢偉はセーフティーカー出動のときにピットインを行い、そのまま最後まで走り切らざるを得なくなった。シーズン前半はこのようなロングランが上手く決まった時もあったが、それはもう昔のことで今回はチームメイトに対してかなり劣るパフォーマンスとなった。

 ■ 10月14日 〜 10月16日 第16戦 韓国
 マクラーレンは本戦で700戦目の参戦となる。土曜予選ではそのハミルトンが今季初のPPの座についた。レッドブルの開幕からの連続PPに終止符が打たれたのであった。
 DRS区間は2〜3コーナー間のバックストレート1か所と定められた。ピレリが持ち込んだタイヤはスーパーソフトとソフト・タイヤである。
 決勝日。天候は曇り空で、気温21度、路面温度24度というコンディションである。レース経過のページ
 レースは、いつもより差は築けなかったけども、ベッテルが優位なままの独走勝利となった。スタートで先頭に立てない展開はドイツGP以来だが、1周目でいつものパターンに戻してしまった。ウェバーも3位に入ったことで、コンストラクターズ・タイトルもレッドブルに決まった。中団勢ではトロロッソがダブル入賞を果たし、ザウバーに迫ってきた。
 ペトロフはM.シューマッハへの追突の件で次戦の5グリッド降格が決まった。2回目の韓国GPは多額の損失を計上し、地元住民からも思うような人気を得られず、存続が危ぶまれている。

 ■ 10月28日 〜 10月30日 第17戦 インド
 ☆ブッダ・インターナショナル・サーキット … 首都デリーの南西50kmにある、グレーター・ノイーダ地区に、H.ティルケらによって建設された。10月18日までメディアに正式公開されなかったため、準備に手間取っているという憶測があがった。3コーナーのように入口が広く出口が狭いコーナーがあるのが特徴。完成したばかりのため路面が砂で汚れている。
 初開催となるインドGP。HRTは同国の出身であるN.カーティケイヤンを復帰させた。ピレリはソフトとハードタイヤを持ち込んだ。しかしハードタイヤのグリップに各チーム問題を抱えている。ソフトより数秒遅いのである。金曜フリー走行で犬がコースに闖入し、赤旗が振られるハプニングがあった。黄旗無視でハミルトンやペレスの3グリッド降格が決まった。
 土曜日。トロロッソが2台ともQ3に進出。マッサが何度もコースオフを繰り返し、Q3では縁石の外にあるオレンジ色の盛土でサスペンションを折ってクラッシュしてしまった。PPは指定席に座るようにベッテルが射止めた。開幕前は高速サーキットになるとも言われたが、予選の速度は219.86kmであった。これは今季開催されるサーキットの中で7〜8番目くらいの速さ(トルコとカナダの間)となる。
 決勝日。DRSゾーンはバックストレート(3〜4コーナー)とホームストレート(16〜1コーナー)の2か所。ハミルトンやペレスのグリッド降格の他、ペトロフが前GPでのアクシデントの影響で5グリッド、HRTの2台もギア交換や他車の妨害で5グリッドずつの降格となっている。アメリカのインディカーとMotoGPで2週間のうちに2人が事故によって亡くなったため、レース前に黙祷が捧げられた。
 レース経過のページ。ベッテルとバトンの全周回ワンツー走行でレースが終わった。ベッテルは最終周にチームの安全策を無視してFLを記録し、完全勝利を達成した。ベッテルの今季のリーダーラップ率は70%に達し、'92年のマンセルを上回っている。
 ハミルトンとマッサの接触は、モナコ、シンガポール、日本、インドで4回目であり、さらにトルコではピットレーンで2回交錯し、イギリスでは序盤にハミルトンがコースオフ、終盤に接触を覚悟したバトルがあった。この二人は接近戦を演じるときの倫理的認識にズレがあるのではないだろうか? 中団勢は依然混沌とした争いで、ルノーと小林可夢偉が競争力を失っている。

 ■ 11月11日 〜 11月13日 第18戦 アブダビ
 金曜土曜とマクラーレンがセッションを制したが、予選はベッテルの勝ちでマンセルの年間14回の記録に並んだ。小林可夢偉がペレスに0.366秒も差をつけられてしまった。マルドナドが9基目のエンジン交換で10グリッド降格となる。
 

 ■ 11月25日 〜 11月27日 最終の第19戦 ブラジル
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