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  F1今昔物語 2009年 ダイジェスト

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 ■ シーズン前
 年17戦で争われる。カナダGPとフランスGPが開催されなくなって、新たにアブダビGPが加わった。フランスGPはF1においては最も由緒あるGPの一つで、今まで開催されなかったのはル・マンの大事故の影響による1955年のみである。
 主なレギュレーションの変更点に、「KERS(カーズ)と呼ばれるブレーキの運動回収システムの使用が許可されたこと」、「エンジンの交換はシーズンを通じて8回まででそれ以上はペナルティを科すこと」「溝付きタイヤの撤廃およびスリックタイヤの復活」がある。空力面でも細かな変更があり、その最も目立つ影響として、リアウイングが異様に小さく高くなった。
 またポイント制の見直しも考えられている。開幕直前になって「今季から最多勝のドライバーがチャンピオン」というルールが設けられては反対に遭って中止になったりした。
 昨年12月の突然の撤退報道以後、ホンダチームの行く末は宙に浮いたままだったが、3月になって元プリンシパルのロス・ブラウンが買い取ることに決まった。新たにブラウンGPとして生まれ変わる。さらにテストで他の追随を許さない好タイムをいきなり連発したため、二重の驚きをもたらした。
チーム/マシン名 エンジン ドライバー 前年は? タイヤ
マクラーレン MP4/24 メルセデス(V8) 1、ルイス・ハミルトン
2、ヘイキ・コバライネン
残留
残留
BS
フェラーリ F60 フェラーリ(V8) 3、フェリペ・マッサ
4、キミ・ライコネン
残留
残留
BS
BMW F1.09 BMW(V8) 5、ロバート・クビサ
6、ニック・ハイドフェルド
残留
残留
BS
ルノー R29 ルノー(V8) 7、フェルナンド・アロンソ
8、ネルソン・ピケJr
残留
残留
BS
トヨタ TF109 トヨタ(V8) 9、ヤルノ・トゥルーリ
10、ティモ・グロック
残留
残留
BS
トロ・ロッソ STR4 フェラーリ(V8) 11、セバスチャン・ブルデー
12、セバスチャン・ブエミ
残留
新人
BS
レッドブル RB5 ルノー(V8) 14、マーク・ウェバー
15、セバスチャン・ベッテル
残留
トロ・ロッソ
BS
ウィリアムズ FW31 トヨタ(V8) 16、ニコ・ロズベルグ
17、中嶋一貴
残留
残留
BS
フォース・インディア VJM02 メルセデス(V8) 18、エイドリアン・スーティル
19、ジャンカルロ・フィジケラ
残留
残留
BS
ブラウンGP BGP001 メルセデス(V8) 20、ジェンソン・バトン
21、ルーベンス・バリチェロ
残留
残留
BS

 ■ 3月29日 第1戦 オーストラリア
 予選、ブラウンGP勢がテストの勢いそのままにフロントローを独占した。
 トヨタ勢のリアウイングに違反があり、予選タイムを抹消され、ピットスタートを強いられた。ハミルトンもギアボックス交換により5グリッド降格で、18番手からスタートする。
 決勝スタート、バリチェロが大きく遅れ、1コーナーで接触を起こした。ハイドフェルドやウェバーが犠牲になってピットへ向かった。コバライネンはリタイヤ。バトン、ベッテル、マッサ、クビサ、ライコネン、N.ロズベルグ、バリチェロ、中島一貴の順で1周目を終える。4周目、ハミルトンが9位まで浮上してきた。ライコネンのソフトタイヤの摩擦が激しく、順位を落としていく。フェラーリ勢、クビサなどソフトタイヤ勢が10周目過ぎにピットインを敢行した。どうも今回のレース、ソフトタイヤは10周ほどしか持たないようである。14周目、バトン、ベッテル、N.ロズベルグ、バリチェロ、中島一貴、ピケJr.、ブエミ、フィジケラの順である。
 17周目、ベッテルとN.ロズベルグ(作業ミスあり)が1/2のピットインを行った。翌周、中島一貴がクラッシュ! セーフティーカーが出動した。今年はSC絡みのルールが変わった。まずマシンは制限されたスピードで走るだけで、前車とのギャップは変わらない。また、SC走行中のピットインの規制もない。こうして、給油のタイミングということもあり、各車がピットに駆け込んだ。フィジケラが止まる位置を去年の最後尾と勘違いして進みすぎ、クルーに戻してもらった。
 レース再開直後、1コーナーでピケJr.がブレーキトラブルによりコースアウトし、リタイヤとなった。27周目、バトン、ベッテル、マッサ、クビサ、ライコネン、トゥルーリ、バリチェロ、ブエミ。32周目、マッサがピットインを行った。40周目前後に2/2回目のピットインが行われた。45周目、ライコネンがスピンして壁に接触した。47周目、マッサがトラブルによってガレージに収められた。バトン、ベッテル、バリチェロ、クビサ、アロンソ、グロック、N.ロズベルグ、フィジケラ。ソフトタイヤを嫌って、長めの第2ステイントをとっていた者が上位にいる。
 終了間際、ソフトタイヤで長めに走っていたベッテルやN.ロズベルグのペースが悪くなった。ベッテルの後方にクビサが迫ってきた。56周目、両者は接触し、共にリタイヤして表彰台を失う羽目に陥った。大きくなったフロントウイングが影響したのかもしれない。セーフティーカーが出動して先導したままレースが終わった。このとき、トゥルーリとハミルトンの間で追い抜きがあったり無かったりで揉めた。
 また、クビサとの接触によって、ベッテルには10グリッド降格のペナルティが、また大破したマシンで走行を続けたためレッドブルにも5万ドルの罰金が科せられた。ブラウンGPは初戦でフロントローからワンツーフィニッシュという最高の結果を得た。これは1954年のメルセデス以来3度しかない事態である。3位はマクラーレンなので、メルセデスエンジンが表彰台を占めた形になった。セバスチャン・ブエミも初戦で入賞を果たした。

 ■ 4月5日 第2戦 マレーシア
 前GPの2回目セーフティーカー出動時の揉め事で、スチュワードに虚偽の報告をしたとしてハミルトンが失格処分を受けた。
 予選でトゥルーリとベッテルがブラウンGP勢の間に割って入った。しかしベッテルは前述のとおり10グリッド降格で、バリチェロもギヤボックス交換で5グリッド降格する。フェラーリ勢はタイムに安心して走らないというミスを犯し、マッサがQ1落ちした。
 本番数日前という段階で、決勝スタート時間が3時間ずらされ、ヨーロッパで生放送が可能な夕方5時の決勝スタートとなった。スコール来襲の予報があり、各車雨を見据えながらレースが行われた。スタートでフロントローのバトンとトゥルーリが遅れ、1コーナーをN.ロズベルグが先頭で回った。またアロンソがKERSの力もあって一気に3番手に浮上するが、1周目が終わるまでにブラウンGP勢に抜かれた。コバライネンがコースアウトでリタイヤした。クビサもマシンが動かない。N.ロズベルグ、トゥルーリ、バトン、バリチェロの4台が速く、アロンソ、ライコネン、ウェバーらが渋滞を作って続いた。
 重くて遅いアロンソがKERSで加速するため、下位の者がなかなか渋滞状態から抜け出せない。15周目にN.ロズベルグから上位陣が続々ピットインした。18周目のライコネンは、深溝のエクストリームウェット・タイヤ(以下レインタイヤとする)でコースに戻った。まだ路面が濡れてないどころか雨粒も見えない時点での交換は愚策で、タイムの出ないライコネンは15位まで脱落するだけでなく、タイヤを無駄に消耗していった。1回目のピットインが終わると、バトン、N.ロズベルグ、トゥルーリ、バリチェロの順番になった。
 22周頃に遂に雨が降ってきた。各車が一斉にレインタイヤに変更する。ライコネンも再び履き替えた。しかし雨は小振りで、浅溝のインターミディエイト・タイヤを選んだ者らが順位を上げていった。
 28周目にバリチェロが、29周目にバトンがたまらずインターに履き替えた。がここで豪雨に変わった。翌周に再びウェットタイヤを履きにピットインする。厚い雲に雷を伴った凄まじい雨で、辺りは真っ暗になった。全車がレインタイヤ装着にピットインしたため、順位が全く把握できなくなった。国際映像がカラーバーになる場面さえあった。
 30周目、ベッテルがスピンしてリタイヤを喫した。ハイドフェルドが一回で適切なタイヤを選んだため、上位に浮上した。やがてセーフティーカーが出動し、さらにレースは赤旗中断となった。40分以上雨の様子を見たが、レース可能な天候にならないまま日没を迎えたため、31周終了の時点でレースが終わった。全周回の75%を消化していないため、与えられるポイントは半分となる。
 バトンがファステストラップを記録したのだが、意外にも彼の長いキャリアで初の出来事である。昨年、N.ハイドフェルドが更新した最遅FL記録がまた更新(156戦目)された。

 ■ 4月19日 第3戦 中国
 今季はブラウンGP、トヨタ、ウィリアムズのマシンのディフーザーの形状に問題ありと開幕前から騒がれていたが、4月15日に「問題なし、合法である」との決定が下った、
 レッドブルが予選の最後に好タイムをマークし、ベッテルが自身2度目のPPを飾った。グロックがギアボックスを交換し、そしてクビサとともにピットスタートとなった。
 天気は雨で、セーフティーカー先導でレースが始まった。8周目、軽タンで予選2位のアロンソが耐え切れずにピットインした。その直後にSCが退いて本来のレースが始まった。ハミルトンがライコネンをいきなりパス。ベッテル、ウェバー、バリチェロ、バトン、トゥルーリ、ハミルトン、ライコネン、ブエミ。
 雨中の接近戦で何台かコースアウトしていく。12周目、5位まであがったハミルトンがスピン。ライコネンもエンジンの調子が悪くペースが上がらない。トゥルーリもブレーキの調子が悪く、ズルズルと順位を落としていく。ベッテル、ウェバー、バリチェロ、バトン、ブエミ、マッサ、トゥルーリ、ライコネンの順で1回目のピットインの時期を迎えた。
 ところが17周目、クビサによるトゥルーリへの激しい追突が発生し、セーフティーカー出動の事態となった。このときレッドブル勢はピットインを済ませており、まだ済ませていないブラウンGP勢は安全走行を強いられて、差を詰めることが適わなかった。また、ブエミによるベッテルへの追突も発生し、ダメージが心配される。ブエミはピットインするが、最終的にポイントを獲得する。波乱は続き、21周目、マッサがトラブルでマシンを止めた。ベッテル、バトン、ウェバー、ライコネン、ハミルトン、バリチェロ、コバライネン、ブルデーの順で安全走行が続いた。
 23周目にレースが再開された。ブルデーがその直前にスピンした。ハミルトンがライコネンを抜いた。雨は一向に止まず、あちこちで川ができてアクアプレーニング現象を引き起こした。中嶋一貴、N.ピケJrらが、しばらくしてアロンソまでもがスピンした。同じ頃、バトンが1コーナーでブレーキミス、ウェバーに2位を献上した。レッドブル勢が初優勝に向けて快調に飛ばしていく。2/2のピットインを終えた後ベッテルは、まだピットインせず燃料の軽いバトンをオーバーテイクするほどの快調ぶりを見せた。44周目、ベッテル、ウェバー、バトン、ブエミ、バリチェロ、ハミルトン、コバライネン、スーティルという順番である。
 終盤、ハミルトンが2度スピンし、コバライネンとスーティルが抜いていった。51周目、スーティルがクラッシュ! フォースインディア初ポイントの夢が途絶えた。
 ベッテルが、レッドブルに75戦目の初優勝をもたらすとともに、自身通算2勝目をあげた。ベネトンとジョーダンとスチュワート以外、'80年代以降のF1では新チームの優勝は見られないのだが、ここ2年でBMW、トロロッソ、ブラウンGPと4チームが優勝を果たしている。一方でフェラーリは3戦連続ノーポイントに終わった。これはF1戦国時代の1981年まで遡る事態である。

 ■ 4月26日 第4戦 バーレーン
 このサーキットは加速と減速を繰り返すレイアウトで、1コーナーまでの距離も長く、KERSが力を発揮しやすいと考えられた。非KERS搭載組のトヨタは軽めの燃料で予選を走り、フロントローを奪い取った。また、スーティルがウェバーのアタックを2周にわたって妨害し、3グリッド降格の処分を受けた。
 スタートでグロックがトゥルーリを交わして先頭に立った。KERS勢のハミルトンやライコネンがジャンプアップした。ハミルトンは一時2位まで上り詰めたが、1周目の内にバトンに抜かれてしまう。グロック、トゥルーリ、バトン、ハミルトン、ベッテル、バリチェロ、ライコネン、アロンソという順番になった。何台か接触があり、マッサ、中嶋一貴、クビサらがピットインした。
 11周目、トヨタ勢は上位陣で最初に給油を行った。グロックの戻った位置が悪く、順位を下げた。13周目、アロンソがトゥルーリをオーバーテイクした。前が開けて飛ばしたバトンは、15周目の給油後に実質的な先頭に立った。こうして1回目の給油が終わると、バトン、トゥルーリ、ベッテル、ハミルトン、バリチェロ、グロック、ライコネン、アロンソという順位になった。
 バトンが独走態勢を築き上げていく。第2ステイントでハードタイヤを選択したのはトヨタ勢のみで、トゥルーリの後ろに後続が加わってきた。ただしバリチェロは3回ストップ作戦で、26周目にピットインを行った。
 33周目、グロックが2/2のピットインを行う。以後、ライコネンがペースを上げた。37周目、バトン、トゥルーリ、ハミルトンが同時にピットインした。順位は変わらずコースに戻る。しかしベッテルはこの間にペースを上げ、2位まで順位を上げてコースに復帰した。44周目、ライコネンはピットイン後にグロックとの接近戦になり、KERSのライコネンが前に出た。上位陣はこの順位のままレースを終えた。49周目、中島一貴がクビサとの接触の影響でリタイヤした。
 トゥルーリがファステストラップだったのだが、意外にも彼の長いキャリアにおいて初の出来事である。2戦前に更新された最遅FLの記録が、また更新(206戦目)された。

 ■ 5月10日 第5戦 スペイン
 新パーツ投入で巻き返しを図るフェラーリとマクラーレン。予選ではライコネンがQ1で、マクラーレン勢もQ2までで脱落した。唯一マッサが4位に上り詰めた。
 スタートでバリチェロがスルスルと前に出た。2コーナーでクラッシュが発生し、トゥルーリ、スーティル、トロ・ロッソ勢がリタイヤとなった。セーフティーカーが出動した。6周目に、バリチェロ、バトン、マッサ、ベッテル、ウェバー、アロンソ、N.ロズベルグ、グロックの順で再開した。コバライネンがギアボックストラブルでスローダウンした。
 18周目〜20周目にかけて、バトン、バリチェロ、マッサとベッテルという順でピットインが行われた。その間ライコネンがスローダウン。25周目、バリチェロ、バトン、マッサ、ベッテル、ハイドフェルド、ハミルトン、ウェバー、アロンソという順番になった。
 31周目、バリチェロらが早めに2回目のピットインを行った。3回ストップ作戦である。バトン、マッサ、ベッテル、バリチェロ、ウェバー、アロンソ、N.ロズベルグ、ハイドフェルドという順番になった。
 43周目、マッサとベッテルが同時にピットインを行ったが順位は変わらない。48周目にバトンがピットイン、バリチェロが3回目のピットインを終えると、バトンが前に立っていた。マッサはハードタイヤによる第3ステイントのペースが悪く、ピットインを遅らせたウェバーに抜かれてしまった。さらに終盤マッサにガス欠の懸念が生じ、安全走行に切り替えて順位を落とした。

 ■ 5月24日 第6戦 モナコ
 ハミルトンがギアボックス交換で最後尾へ、またグロックがピットスタートを選んだ。
 レーススタートでライコネンがバリチェロにかわされてしまった。ブラウンGP勢がワンツー体制を築き、ライコネン、ベッテル、マッサ、N.ロズベルグ、コバライネン、ウェバーと続いた。ベッテルのペースが前より4秒も遅く、大渋滞をつくった。
15周目、ベッテルがクラッシュを演じた。1/2のピット作業後、バトン、バリチェロ、ライコネン、アロンソ、マッサ、ウェバー、N.ロズベルグ、コバライネンという順番になった。アロンソが1回ストップ作戦を採っている。
 51周目、コバライネンがクラッシュし、ブルデーが得点圏内に浮上した。バトンおよびブラウンGP勢は安定した走りで、ワンツーフィニッシュを遂げた。

 ■ 6月7日 第7戦 トルコ
 PPはベッテル。決勝は気温33度、路面温度49度という予想を上回る暑さのなか行われた。
 バリチェロがスタートをミスってポイント圏外に後退した。ライコネンに接触があった。1周目でベッテルがコースオフ、バトンに首位の座を明け渡してしまった。バトン、ベッテル、ウェバー、トゥルーリ、ロスベルグ、マッサ、アロンソ、クビサ。7周目、バリチェロがコバライネンを抜こうとしてスピンし、さらに後退した。
 1回目のピットストップでは大きな順位変動は起きなかった。第2ステイントの25周目頃、ベッテルがバトンとの差を詰めてきた。中嶋一貴を始めとして、何台か1回ストップ作戦を採っている。ベッテルはバトンを抜けぬまま、2/3回目のピットインに入った。終盤、ポイント圏内を走る中島一貴だったが、ピット作業でタイヤ装着に手間取り、脱落してしまった。
 ベッテルのミスにも助けられ、バトンが7戦6勝という結果を築き上げた。シーズン4連勝はこれまでのケースでは全てその年のチャンピオンへとつながっているが、今季はどうであろうか…。

 ■ 6月21日 第8戦 イギリス
 中嶋一貴が予選で自己最高の5番手につけた。PPは2戦連続でベッテルなのだが、バトンが6番手とこれまでと違う雰囲気でレースが始まった。
 ベッテル、バリチェロ、ウェバー、中島一貴、ライコネン、N.ロズベルグ、トゥルーリ、バトンという順番で第1ステイントが進む。1回目のピット作業戦でウェバーがバリチェロの前に出た。以降、レッドブル勢が安定したペースで下位を引き離していった。中嶋一貴はピットインの度に順位を落とす残念な結果に終わった。

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 ■ 7月12日 第9戦 ドイツ
 M.ウェバーが132戦目にして初のPPに輝いた。フォースインディアのスーティルが初のQ3進出で7位につけたことも注目される。一方でトヨタのグロックは他者の進路を妨害したということでペナルティを受け、最終的にピットスタートを選んだ。
 スタートでKERS組のマクラーレン、フェラーリが順位をあげた。ハミルトンがコースアウトからパンクを誘発し、ピットインして最後尾に落ちた。また、ウェバーとバリチェロがトップの座を争い、接触の末にバリチェロが先頭に立った。バリチェロ、ウェバー、コバライネン、バトン、マッサ、ベッテル、ライコネン、スーティル、N.ロズベルグという順位になった。
 コバライネンのペースが悪く、渋滞が出来た。ブラウンGP勢は3回ストップ作戦を採り、早めにピット作業を行った。上述の接触はウェバーに非があるとされ、彼に14周目にドライブスルーペナルティが科せられた。しかし、コバライネン以下を突き放していたことが幸いし、ウェバーはトップで戦線に復帰した。
 20周目すぎに上位陣の1/2のピットインが盛んに行われた。ピットインを引っ張って一時は2位まで浮上したスーティルだったが、ピットアウト後にライコネンと接触してしまい、マシンにダメージを負ってポイント圏外に後退していった。30周目すぎにブラウンGP勢が2度目のピットインを行うと、ウェバー、ベッテル、マッサ、N.ロズベルグ、バリチェロ、バトン、コバライネン、アロンソという順番になった。
 終盤、アロンソがファステストラップを記録し、ブラウンGPの二人に迫っていった。最後のピット作業では大きな順位変動はおきず、レッドブルが2戦連続のワンツーフィニッシュを果たした。
 ウェバーは132戦目(131戦目という数え方もある)にしての初優勝で、チェッカーを受けた直後に絶叫をあげて喜びを示した。これまで予選で好位置につけると、決まってトラブルや自身のミスで後退していく彼だったが、鬱憤を晴らしたというところだろう。バリチェロが持っていた最遅優勝記録も更新された。

 ■ 7月26日 第10戦 ハンガリー
 ブルデーがトロロッソを解雇され、スペイン人のハイメ・アルグエルスアリが代役で走ることになった。彼は1990年3月23日生まれで最年少出走記録が更新された。予選ではマッサを不幸が襲った。前を走るバリチェロのパーツが外れ、彼のヘルメットを直撃したのである。彼は病院で手術を受けることになり、決勝を欠場した。またQ3ではタイム計測器が故障し、一時どんな順位であるのか誰にも分からないという混乱が生じた。
 スタートでKERS組のハミルトンやライコネンが順位を上げ、ベッテルが混乱の中で順位を落とした。アロンソ、ウェバー、ハミルトン、ライコネン、N.ロズベルグ、コバライネン、ベッテル、中嶋一貴という順番でレースが始まった。2周目、スタートで出遅れたバトンが中嶋一貴を抜いた。5周目、ハミルトンがウェバーをオーバーテイク、続いてアロンソの背後にみるみると迫っていった。
 13周目、3回ストップ作戦のアロンソがいち早くピット作業を行う。が作業ミスで復帰後にタイヤが外れて飛んでいった。再度ピットに向かうが結局リタイヤとなった。ハミルトンがハイペースでトップをひた走る。
 ほか上位陣のピット作業戦では、M.ウェバーにも作業ミスが発生し、ピットレーンであわやライコネンと衝突という事態を招き、順位も落ちた。復帰後、ベッテルのマシンに異常が発生し、ピットインを繰り返してリタイヤとなった。ハミルトン、ライコネン、グロック、ウェバー、コバライネン、N.ロズベルグ、バリチェロ、トゥルーリという順番で第2ステイントが進む。
 2/2のピット作業では、ライコネンにも若干の作業ミスが生じ、ハミルトンはさらに楽になった。その後もハミルトンは順調に飛ばし、復活と確かな実力を示す今季初勝利を遂げた。終盤、中島一貴は最後の最後まで攻め続けたが入賞はかなわなかった。
 レース後の7月29日、BMWが今季限りでの撤退を表明した。相次ぐメーカー系チームの撤退が波紋を呼んだ。

 ■ 8月23日 第11戦 ヨーロッパ 
 前GPの傷が癒えぬマッサに代わり、テストドライバーのルカ・バドエルが出走することになった。一時M.シューマッハが走ると発表され、大きな話題となったが、2月に負った怪我の影響で復帰はかなわなかった。また、ルノーのN.ピケJr.も解雇の憂き目に遭い、代わりにフランス人のロマン・グロージャンが出走する。
 予選でフロントロー独占を成し遂げたマクラーレン。スタートも順調に決め、ワンツー体制でレースを率いた。バトンが若干スタートで遅れ、ペースも上がらず、ズルズルと順位を落としていった。ハミルトン、コバライネン、バリチェロ、ライコネン、ベッテル、N.ロズベルグ、アロンソ、ウェバー。
 1回目のピット作業戦でバリチェロがコバライネンの前に出た。ベッテルにマシントラブルが生じ、2戦連続ノーポイントという結果になった。25周目、ハミルトン、バリチェロ、コバライネン、ライコネン、N.ロズベルグ、アロンソ、ウェバー、フィジケラ。バトンは未だ9位とポイント圏外である。
 37周目、ハミルトンが急にピットに駆け込んできた。しかしクルーは何も用意していない。チーム内の連絡ミスのようである。このドタバタの隙にバリチェロが先頭に立った。ウェバーも作業に手間取って順位を落とした。各車2/2のピットインを終えると、バリチェロ、ハミルトン、ライコネン、コバライネン、N.ロズベルグ、アロンソ、バトン、クビサという順位になった。
 バリチェロがフェラーリ時代の2004年中国GP以来84戦ぶりの勝利を遂げた。84戦ぶりというと、R.パトレーゼの99戦に次ぐ史上2番目のブランクである。

 ■ 8月30日 第12戦 ベルギー
 今季はシーズン中のテストが禁止されている。その影響からか、ここ数戦、サーキットごとに各チームのマシンの仕上がりがバラバラである気がする。この予選では突然フォースインディアのフィジケラがPPの座についた。2位にトゥルーリ、3位にハイドフェルドで、バトンやマクラーレン勢はQ2落ちした。それにしても、上位3名は前GPでの予選順位が16、18、11位であるから、極端な話しである。
 スタートで4番手バリチェロがまたエンジンストールを起こした。トゥルーリは1コーナーの攻防でフロントウィングを破損し、こちらも後退していった。フィジケラがトップを守る。オールージュからケメルストレートまでの間に、KERSの力でライコネンが2番手まで浮上。後方では新人のグロージャンがバトンに追突し、アルグエルスアリとハミルトンもクラッシュ、4台ともリタイヤとなった。この影響でセーフティーカーが出動した。フィジケラ、ライコネン、クビサ、グロック、ウェバー、ハイドフェルド、N.ロズベルグ、ベッテル。
 5周目のレース再開時、ライコネンのKERSが威力を発揮し、ケメルストレート・エンドにてフィジケラをオーバーテイクした。ベッテルもN.ロズベルグを抜いた。バリチェロもポイント圏内を目指してオーバーテイクを繰り返す。
 12周目、クビサから上位陣がピットインを開始した。ライコネンとフィジケラの差は1〜2秒で安定している。14周目、同時にピットインするも順位は変わらず。続いて、ウェバーがピットレーンでハイドフェルドの進路を塞いでしまった。アウトラップ中に譲り返したものの、のちにドライブスルーペナルティを科せられた。22周目、トゥルーリがマシンをガレージに収めた。この時点で、ライコネン、フィジケラ、アロンソ、クビサ、コバライネン、ベッテル、ハイドフェルド、バリチェロの順番である。
 24周目、1回ストップ作戦のアロンソがピットインした。しかし1周目の混乱の影響でホイールが装着できない。数周後にリタイヤとなった。1位、2位が1秒差以内の一騎打ちを繰り広げている。31周目にまたしても同時ピットインを行った。ベッテルがピットインを遅らせ、前を走るクビサがピットインすると猛烈にプッシュし始めた。35周目、自身のピットアウト後に3位につけた。
 42周目、バリチェロのマシンからほのかな白煙が上がり始めた。オイル漏れのためでありレースを続行する。ライコネン、フィジケラ、ベッテル、クビサ、ハイドフェルド、コバライネン、バリチェロ、N.ロズベルグ。
 レースはこのままの順位で終わった。ライコネンがおよそ1年半ぶりとなる勝利を遂げた。フォースインディアが初ポイントを記録、それも勝者とのガチンコ対決の末の2位表彰台であった。フィジケラはまだまだ走れることを示し、調子の上がらないバドエルに代わってのフェラーリ加入の話しが持ち上がった。

 ■ 9月14日 第13戦 イタリア
 前GPでの活躍が認められ、フィジケラが念願のフェラーリ入りを果たした。空いたフォースインディアにはヴィタントニオ・リウッツィが乗る。本戦ではメルセデス・エンジンが絶好調であり予選で6台すべてが上位に居並んだ。フォース・インディアのスーティルが2位。アルグエルスアリがピットスタートを選んだ。
 スタート後の狭いシケインにてクビサとウェバーに接触があり、後者がリタイヤとなった。ハミルトン、ライコネン、スーティル、バリチェロ、バトン、リウッツィ、アロンソ、コバライネンという順位に落ち着いた。
 16周目にハミルトンから上位陣がピットインを行った。22周目、リウッツィがマシントラブルでリタイヤ。35周目にハミルトン、38周目にライコネンとスーティルが2/2のピットインを行った。しかし順位は変わらない。またスーティルは操作ミスでクルーを弾き飛ばしてしまった。ブラウンGP勢は1回ストップ作戦を採り、2回ストップ勢のピットイン後にワンツー体制を築き上げた。
 3位ハミルトンがバトンに、5位スーティルがライコネンに攻め立てた。ハミルトンが最終ラップで水によるクラッシュを喫した。ブラウンGPが今季4回目のワンツーフィニッシュを遂げた。スーティルが自己最高の4位にFLを記録し、歴史に名を刻んだ。接触されたクルーは無事である模様。

 ■ 9月27日 第14戦 シンガポール
 ルノーに昨年のシンガポールGPでの不正が発覚、F.ブリアトーレとP.シモンズがチームを離脱した。ピットインのタイミングを利用してアロンソを浮上させる為、N.ピケJr.を故意にクラッシュさせたというのだから、決して許されない悪だくみである。レース結果に変更はない。ルノーに執行猶予つきの2年間出場停止命令が下された。
 バトンは相変わらずパフォーマンスに苦しみ、予選12位に沈む。一方のバリチェロは予選5位だが、ギヤボックス交換のため5グリッド降格している。PPはハミルトン。セナのペースよりも早くPP数が増えており、3年目で現役最多が見えてきた。
 スタートで汚れた偶数列のベッテルがやや遅れる。ハミルトン、N.ロズベルグ、ベッテル、ウェバー、グロック、アロンソ、バリチェロ、クビサという順番になった。
 1回目のピットストップ。スーティルが前車追い越し中にスピン。これにハイドフェルドが激突し、セーフティーカー出動となった。ハイドフェルドの連続完走記録が41で途切れた。給油のタイミングでSC出動は2年連続の事態である。アルグエルスアリが給油ホースを繋げたまま焦って発車し、クルーが引きずられた。この光景も奇妙な繰り返し(昨年はマッサ)となった。
 ハミルトン、N.ロズベルグ、ベッテル、グロック、アロンソ、バリチェロ、コバライネン、バトンの順でレース再開。N.ロズベルグはピットアウトの際、白線を踏み越えていて、再開直後の密集状態で悔しいドライブスルーペナルティを科せられた。ハミルトンとベッテルが1秒以内のバトルを演じる。以下、グロック、アロンソ、バリチェロ、コバライネン、バトン、ウェバーと続く。
 ベッテルが早めに2/2のピットインを行った。ここで彼もスピード違反を犯し、痛恨のドライブスルーペナルティを科せられた。ハミルトン、グロック、アロンソ、バリチェロ、コバライネン、バトン、ウェバー、クビサ。
 46周目、ブレーキの故障によりウェバーがクラッシュ。この直後に大勢が2/2のピットインを敢行した。一人ねばったバトンが自己ベストを更新し続ける力の走りを見せ、自身のピット作業後にバリチェロの前に立った。
 レースはハミルトンが制し、グロックが自己最高位の2位、アロンソが今季初表彰台の3位となった。

 ■ 10月4日 第15戦 日本
 予選で3度のクラッシュが相次ぎ、赤旗中断が3回も起きた。すると黄旗区間の減速無視・追い越しも頻発し、ギヤボックス交換の者も含め、計7名のドライバーが5グリッド降格となった。他にも、グロックは体調が優れないまま出場し、予選でクラッシュ、決勝は欠場した。ウェバーがピットスタートを選んだ。
 グリッドは、ベッテル、トゥルーリ、ハミルトン、ハイドフェルド、ライコネン、バリチェロN.ロズベルグ、スーティル、クビサ、バトン…の順である。スタートではトゥルーリが一つ順位を落としたほか大きな混乱はなく、レースが進む。ベッテルが快調に飛ばし、ハミルトン、トゥルーリ、ハイドフェルド、ライコネン、バリチェロと続いた。13周目、スーティルとコバライネンが接触し、立て直す間にバトンが2台を抜き去った。
 1/2のピット作業戦でも特に順位の変動は起きなかった。2/2回目のピットストップで、トゥルーリがハミルトンを逆転した。
 44周目、アルグエルスアリが130Rで激しいクラッシュを演じ、セーフティーカー出動の事態になった。N.ロズベルグがいいタイミングでピットインし、5番手に浮上した。残り4周でレースが再開し、接近戦が演じられたが、順位に大きな変動はなく、ベッテルがそのまま優勝した。トヨタが地元の日本GPで初の表彰台に立った。

 ■ 10月18日 第16戦 ブラジル
 タイトル争いは大詰め。バトンが85ポイントで、バリチェロが14点差、ベッテルが16点差を追いかける。前GPで負傷したグロックに代わり、トヨタから小林可夢偉がデビューすることになった。
 予選を大雨が翻弄した。渋滞や黄旗でまともに走れなかったベッテルがQ1落ちした。バトンはタイヤ選択を誤り、Q2落ちした。
 決勝がスタートすると、とたんにいくつか接触が起きた。ライコネンがウェバーに追突しウイングを失った。フィジケラとコバライネンが絡んで共にスピンした。上位を走るトゥルーリとスーティルが接触からクラッシュしてレースを終えた。両者はマシンを降りたあと、激しい口論を繰り広げた。このクラッシュにはアロンソも巻き込まれ、リタイヤを喫した。セーフティーカーが出動した。ピットでコバライネンが給油ホースをつないだまま発進し、すぐ後ろのライコネンのマシンがオイルを浴びて一瞬炎に包まれた。バリチェロ、ウェバー、N.ロズベルグ、クビサ、ブエミ、中嶋一貴、小林可夢偉、グロージャンの順で安全走行が続いた。
 6周目にレースが再開すると、オーバーテイクが頻発した。クビサがN.ロズベルグを、小林可夢偉が中嶋一貴を抜いた。バトンが数周の内に入賞圏内に入ってきた。バリチェロが独走し、バトンは小林可夢偉に抑えられている。ベッテルは9位を走っている。
 21周目にバリチェロからピット作業がはじまった。24周目、バトンがようやく小林可夢偉を攻略した。26周目、ウェバーがピットイン、渋滞に捕まったバリチェロの前で復帰し、首位の座を確かなものにした。27周目、N.ロズベルグがピットに戻ってきてガレージに収まった。31周目、中嶋一貴がピットアウト直後の小林可夢偉を抜こうとして追突、リタイヤとなった。この時点でウェバー、ベッテル、クビサ、バリチェロ、ハミルトン、ライコネン、バトン、ブエミの順である。
 37周目、ベッテルが遅めのピットインを行い、バトンの後ろで復帰した。43周目、ハミルトンがピットイン。55周目にバトンが、翌周にベッテルが2/2のピット作業を済ませ、ベッテルがバトンの前に出た。ウェバー、クビサ、バリチェロ、ハミルトン、ベッテル、バトン、ライコネン、ブエミの順になった。
 バリチェロがタイヤの不調からペースを落とし、ハミルトン、ベッテルに抜かれた。ついには63周目にピットに向かった。
 こうしてJ.バトンが31人目のワールドチャンピオンの座に輝いた。表彰台の下で、表彰台の3人分以上のはしゃぎようで喜びを示した。ブラジルGPは5年連続でタイトル決定の舞台となった。ブラウンGPのコンストラクターズ・タイトルも決定した。同チームは参戦初年度ながら、両タイトル獲得という快挙である。

 ■ 11月1日 最終の第17戦 アブダビ
 ☆ヤス・マリーナ…ピットアウト・ロードが屋内を走る構造になっている。2009年は夕暮れの状態からレースが始められた。
 スタートで大きな混乱はなし。ハミルトン、ベッテル、ウェバー、バトン、バリチェロ、クビサ、トゥルーリ、ハイドフェルド。後方では小林可夢偉がライコネンをオーバーテイクした。
 16周目、バリチェロから上位陣がピットインを開始する。17周目、小林可夢偉がアウトラップ直後のバトンをホームストレート上でオーバーテイクした。ベッテルがピット作業戦でハミルトンを抜いた。アルグエルスアリが兄貴分のレッドブルのピットにマシンを止め、慌てて発進、翌周にリタイヤしてしまった(ギアボックストラブルらしい)。そしてこの直後、ハミルトンのマシンがピットインしてきてガレージに消えた(ブレーキトラブル)。ベッテル、ウェバー、小林可夢偉*、バトン、バリチェロ、ライコネン*、コバライネン*、ハイドフェルド。*の者が1回ストップ作戦で上位に浮上している。砂漠の街は日没を迎え、ナイトレースに移り変わった。
 1回ストップ作戦組が29周頃からピットインを始めた。小林可夢偉は、ここまで全ドライバー中の最速タイムを連発しまくって3位を快走し、10位で復帰した。32周目、ベッテル、ウェバー、バトン、バリチェロ、ハイドフェルド、トゥルーリ、クビサ、N.ロズベルグという順番である。
 2/2のピットインが終わると、ベッテル、ウェバー、バトン、バリチェロ、ハイドフェルド、小林可夢偉、トゥルーリ、ブエミという順番になった。
 レースはベッテルがそのまま独走した。最後の数周、チェッカーフラッグまでウェバーとバトンが激しく順位を争った。小林可夢偉が2戦目で堂々の初入賞を果たした。

 ■ シーズン後
開催数覇者得点シェア勝率PP率FL率LD率 最多勝PP王FL王LD王
17J.バトン14.8%.353 .235.118 26.2%J.バトン.353J.バトン
S.ベッテル
L.ハミルトン
.235S.ベッテル
M.ウェバー
.176 J.バトン26.2%
2009年ポイント推移の図
 シーズンの前半と後半とでチャンピオンの勢いがこれほどまでに異なる例はない。かつてこちらのページで、「シーズン中に4連勝したら、その年のチャンピオンは固い」という傾向を示したことがある。今季は初めての例外が誕生するのかと心配になるほど、後半のバトンのパフォーマンスは低下した。イギリスGP以降、表彰台は2度だけで先頭を走ることがなかった。しかし予選で中団に埋もれながらも手堅く入賞を続けたことが、タイトル奪取につながった。
 シーズン後半は群雄割拠の様相を呈していて、その結果、複数のPP王やFL王が低率で居並ぶことになった。PP王は4回ずつのバトン、ベッテル、ハミルトンである。その割合が.235というは全史中2番目に低い。しかし何だかんだでハミルトンは、初年度から3年連続でPP王の座についている。FL王は3回ずつのベッテルとウェバーのレッドブル勢である。.176という割合は史上最低である。LD王はバトンで26.2%という割合も1982年以来の低さである。バトンとベッテル、ウェバーが初の3冠部門の覇者になった。
 最終戦が終わってすぐ、ブリジストンやトヨタがF1からの撤退を発表した。この時点で、翌年の日本人ドライバーの起用も未定であり、日本のF1ファンには不安が絶えないオフシーズンの開始となった。とりあえずフジテレビの中継は継続される模様。また、富士スピードウェイでの日本GPも2年で打ち切り('70年代と同じく)になることが決まった。
 新チームの参入が盛んである。シーズン中のことだが、USF1、カンポス、ヴァージンの3チームの参入が既に決まっている。BMWが撤退して空いた枠をロータス(マレーシア政府の支援を受けたもの)が得て、こちらも参戦決定となった。また、これまでエンジン供給に留まっていたメルセデスがブラウンGPを買収し、コンストラクターとして'50年代以来久々に参戦することになった。さらにBMWがザウバーへ売却・返還され、トヨタの代わりに参入できることが決まった。来季は13チームで争われる予定。
 加えてドライバーの移籍が盛んに行われている。フェラーリにアロンソが加入し、ライコネンは来季はラリーに参戦することになった。
 12月13日、来季から新しいポイント制度が採用されることに決まった。これまでの1〜8位から拡大し、10位まで「25、20、15、10、8、6、5、3、2、1」というように変わる。相次ぐ新チームの参入によって、下位のチームにもポイントを与える目的であると思われる。それだけでなく単純に考えて、これまでよりも1レースごとのポイントの変動が劇的になると思われる。
 12月17日頃、元ドライバーの片山右京が富士山登頂中に遭難し、同行していた二人が亡くなった。彼だけは無事に生還したものの、数ヶ月間、公的な活動を自粛することとなった。
 12月23日、7度のチャンピオンを獲得したM.シューマッハが、2006年以来4年ぶりにメルセデスから復帰することが決まった。

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