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  F1今昔物語 2006年 ダイジェスト

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 ■ シーズン前
 チームの撤退と参入が相次いだ。MF1は元ジョーダン、BMWは元ザウバー、ホンダは元BAR、トロ・ロッソは元ミナルディであり、新たにスーパー・アグリという日本のチームが参入した。
 「ノックアウト方式」と呼ばれる予選方式が導入され、1台につきワンアタックというここ数年の形式から、22台のマシンが一斉に走る予選セッションが復活した。
115分間に22台がアタックし、タイムの遅いものから6台が脱落、17〜22位となる。
2小休憩の後、15分間に残り16台がアタックし、6台脱落、11位〜16位が確定する。ここまでは決勝前に給油が可能である。
3最後は20分間に残り10台が、決勝の燃料でアタックし、PPから10位までを確定する。予選で減った燃料は足される
…というものである。
 エンジン排気量が3リッターV10エンジンから2.4リッターV8エンジンに変更された。
 レース中のタイヤ交換が復活した。
 新王者のアロンソは、シーズン開始前から、翌年のマクラーレンへの移籍が決定している。契約金の交渉が決裂したためと言われている。F.マッサがフェラーリに加入した。バリチェロはホンダへ。
 エイドリアン・ニューウェイがレッドブルに移籍した。

 ■ 3月12日 第1戦 バーレーン
 ライコネンが予選でスピンし、最後尾に下がった。給油やタイヤ交換が盛んに行われ、慌しい予選が懐かしい。
 決勝スタート、フェラーリのワンツー体制にアロンソが割って入った。新王者に挑んだマッサがスピンしてコースオフ。さらに、ピットワークでミス。バトンとモントーヤが好バトル。
 井出がピットで上手く止まれず、クルーに軽く接触。さらに作業ミス。フィジケラがマシントラブルでリタイヤ。
 21周目、ピットアウト後快調なアロンソがミハエルに追いついた。ライコネンがピットインを遅らせて3位に浮上している。
 バトンがまたモントーヤをオーバーテイク。30周目、ヴィルヌーヴのエンジンがブロー。マシンから一瞬火の手が上がり、慌てて降りる。
 36周目にミハエル、39周目にアロンソがピットイン。1コーナーでの際どいバトルをアロンソが制した。
 終了直前、N.ロズベルグがクルサードとクリエンを一呑みした。スタート直後の接触が痛かったが、デビュー戦でファステストラップを記録して鮮烈な印象を与えた。これは最年少のFLでもある。

 ■ 3月19日 第2戦 マレーシア
 予選。フェラーリ勢がエンジン交換で脱落した。他にもラルフ、クルサード、バリチェロがエンジンを交換した。N.ロズベルグが3番手につけた。
 決勝。ライコネンが1周目でコースオフし、グラベルに突っ込んだ。接触があったクリエンもタイヤを傷めた。アロンソがジャンプアップ。
 フィジケラ、バトン、アロンソ、ウェバー、モントーヤ、ハイドフェルド、N.ロズベルグ、トゥルーリの順でレースは進む。
 しかし早々にウィリアムズ勢から白煙があがった。20周目に小雨。マッサがワンストップ作戦で上位へ。23周目、フィジケラ、バトン、アロンソ、マッサ、モントーヤ、ハイドフェルド、ミハエル、バリチェロ。しかしバリチェロはピットで速度違反のペナルティを受けた。
 40周頃に上位陣がピットへ。アロンソがバトンの前に立ち、ルノーのワンツー。ハイドフェルドが白煙。
 また、D.クルサードはこの一戦で、R.パトレーゼの持つ187戦連続出走の記録を超えた。野球で言う、衣笠祥雄やカル・リプケンのような存在となる。彼は、1995年の開幕からずっと決勝出場を果たしている。途中、飛行機事故に遭ったりもした。

 ■ 4月2日 第3戦 オーストラリア
 予選。ホンダのポールポジションは38年ぶりである。
 決勝。悪天候で路面が冷たい。その影響でグリップが効かず、安定したタイムを刻む走行が難しい模様。
 モントーヤがフォーメーション・ラップでスピン。フィジケラがエンジン不発でピットスタート。マッサがスピンしてN.ロズベルグを巻き添えにリタイヤ。セーフティーカー。バトンが抜かれる。4周目、クリエンのクラッシュで再びセーフティーカー。アロンソ、ライコネン、バトン、モントーヤ、ウェバー、ラルフ、ハイドフェルド、ミハエル。琢磨が12位にまで上がった。ミハエルがトロ・ロッソのリウッツィに屈した。
 20周目から上位陣がピットへ。ラルフが速度違反でペナルティ。22周目、ウェバーがマシントラブルでリタイヤ。32周目、ミハエルがクラッシュ、セーフティーカー。37周目、リウッツィのクラッシュで4度目のセーフティーカー。レース再開の度に、タイヤ温度の問題でバトンが順位を落とした。46周目、モントーヤがマシントラブルでリタイヤ。最終周、最終コーナーで5位のバトンから白煙、ゴールできず。
 レース後、トロ・ロッソ初ポイントかと思われたS.スピードが黄旗無視によって降格した。ヒアリングの際にクルサードに対して暴言を吐いたとして罰金というおまけもついた。

 ■ 4月23日 第4戦 サンマリノ
 予選。ミハエルがPP数で単独トップに立った。
 決勝。井出がアルバースに突っ込んでセーフティーカー。トゥルーリが突如ガレージへ。ミハエル、バトン、マッサ、アロンソ、バリチェロ、ラルフ、モントーヤ、ウェバー。
 バトンはスリーストップ作戦を敢行、しかし作業ミスが続き、またもや後退。ミハエル、アロンソ、マッサ、モントーヤ、ウェバー、ライコネン、バトン、フィジケラ。
 残り27周というところで、アロンソがミハエルに追いつき、昨年を髣髴とさせる接近戦の幕があけた。抜き難いサーキットとは言え、ミスしたら終わりである。
 ピットワークでも順位変わらず。両王者にホンダのようなミスはない。
 残り4周までひたすら追いかけ、プレッシャーをかけ続けたアロンソがコースオフして勝負が決した。

 ■ 5月7日 第5戦 ヨーロッパ
 井出が、FIAの方から出場を拒否された。代役はフランク・モンタニー。
 今週末好調なミハエルが、2度目のピットワークでアロンソを交わして連勝した。マッサもついに表彰台に立ち、フェラーリはマクラーレンをポイントで追い抜いた。

 ■ 5月28日 第7戦 モナコ
 予選。トップタイムを叩き出したミハエルは、アロンソのコースを塞ぐような行為を見せた。これでピットレーンからの最後尾スタートになった。
 決勝。ミッドランド勢同士が接触。ライコネンがウェバーを交わす。アロンソ、ライコネン、ウェバー、モントーヤ、バリチェロ、N.ロズベルグ、クルサード、フィジケラ。上位2台の接近戦。
 残り30周というところで、ウェバーのマシンがブロー。ピットレーンの出口付近で白煙、セーフティーカー。
 琢磨がスローダウンでマシンを降りた。スロー走行中にライコネンのマシンもブロー。N.ロズベルグがラスカスでドライビングミス。
 3位走行中のバリチェロが、ピットレーン速度違反で後退。何故か3位が危ない。残り5周でトゥルーリまでリタイヤ。

 ■ 6月25日 第9戦 カナダ
 決勝。フィジケラがフライング。N.ロズベルグとモントーヤが接触。前者がクラッシュ、後者が破損で後退した。セーフティーカー。
 ライコネンがアロンソに喰らいついている。オーバーテイクを仕掛ける場面もあった。F.モンタニーが白煙。バリチェロがガレージへ。モントーヤも白煙。アロンソ、ライコネン、トゥルーリ、ミハエル、フィジケラ、バトン、J.ヴィルヌーヴ、マッサ。
 23周頃に上位が1/2のピット作業へ。ミハエルがトゥルーリをオーバーテイク。ライコネンのピットワークにミス。フェラーリやザウバーがピットインを遅らせた。明けて37周目、アロンソ、ライコネン、ミハエル、フィジケラ、トゥルーリ、マッサ、J.ヴィルヌーヴ、ハイドフェルド。
 50周目にアロンソがピットイン。ライコネンに再びピット作業ミス。結婚とオメデタのニュースを引っさげて快走していたJ.ヴィルヌーヴが、終盤に壁に激突。セーフティーカー出動で差がなくなり、バトルが頻出した。残り2周でミハエルがライコネンを抜いた。
 琢磨は残り2周というところでウォールに激突してレースを終えた。スタートでミッドランド勢を抜き、接触でのピットインがあったものの、終盤にはモンテイロを抑えて14位を走っていた。

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 ■ 7月2日 第10戦 アメリカ
 決勝。マッサがトップへ。アロンソがミハエルに仕掛けるが、ミハエルが堅守。後方で多重クラッシュが発生し、3戦連続でセーフティーカー出動となった。多重クラッシュの内容は、マクラーレン勢の追突、ハイドフェルドが玉突き現象で吹っ飛ぶ、ウェバー、スピード、クリエン、モンタニーが巻き添えを食う。バトンもガレージへ、というもの。こうして8台が消えた。
 マッサ、ミハエル、アロンソ、フィジケラ、バリチェロ、ヴィルヌーヴ、ラルフ、N.ロズベルグ。ニコは21番手からの大ジャンプ・アップ。再スタート後、ルノー勢が激しく戦う。琢磨とモンテイロが接触して両者とも消えた。15周目、フィジケラがアロンソを交わした。24周目、ヴィルヌーヴがブロー。
 直後にピットワークが開始、ミハエルが先頭へ。ミハエル、マッサ、トゥルーリ、フィジケラ、アロンソ、ラルフ、バリチェロ、N.ロズベルグ。トゥルーリが、ピットスタートから一回ストップという作戦を選んで上位を走っており、順位が気になる。
 48周目、1回のみというピットストップを選んだクルサードが、出口でロズベルグとリウッツィを際どく抑えて入賞圏内へ。残り10周というところで、ラルフのマシンにトラブルが発生。
 調子の上がらないアロンソは、無線で珍しく感情的になるほどだった。琢磨は予選18位と健闘したが、フィニッシュできなかった。

 ■ 7月16日 第11戦 フランス
 モントーヤがF1ドライバーとしての引退とアメリカのNASCARへの転向を発表した。テストドライバーのP.デ・ラ・ロサが代走することになった。
 決勝。スタート直後、マッサがアロンソを抑えたが、ツーストップに切り替えたアロンソが、中盤にマッサを逆転した。
 少し単調な展開だったかもしれない。今季は、予選のトップスリーがそのまま表彰台を占めるケースが、半分近くの5回を数える。PPの勝率が72.7%と高い。

 ■ 7月30日 第12戦 ドイツ
 1周目から波乱が多発した。左近のエンジンが不発。ラルフとクルサードが接触。N.ロズベルグがスピンしてリタイヤ。デ・ラ・ロサがスローダウン。ライコネン、ミハエル、マッサ、バトン、フィジケラ、アロンソ、ウェバー、バリチェロ。
 軽めの燃料のライコネンは9周走ってピットイン。ここからフェラーリ勢が後続との差を広げた。ハイドフェルドはガレージに向かった。アロンソを追い詰めていたバリチェロがマシントラブルで消えた。
 32周目、J.ヴィルヌーヴがコーナーをほぼ直進してクラッシュした。ミハエル、マッサ、バトン、フィジケラ、ウェバー、アロンソ、ライコネン、クリエン。ラルフがピット速度違反。ウェバーがフィジケラをオーバーテイク。ピットインした琢磨はそのまま屋内に消えた。
 ライコネン、ウェバー、バトンの3位争いが熾烈で、このレース全体をエキサイティングなものにした。
 レース後、ミッドランド勢のリアウイングに規定違反が見つかり、失格となった。

 ■ 8月6日 第13戦 ハンガリー
 ヴィルヌーヴが怪我から欠場した。代役はポーランド人初のF1ドライバー、R.クビサ。予選。悪質な行為があったとして、タイトル争いの二人にペナルティが科せられ、中位に沈んだ。バトンもエンジン交換で後退。
 決勝はハンガリー初のウェットレースになった。水しぶきが踊るなか、1周目でミハエルもアロンソも見る見るポジションを上げた。オープニングラップで、ライコネン、バリチェロ、デ・ラ・ロサ、ミハエル、フィジケラ、アロンソ、マッサ、クビサ。左近とウェバーがリタイヤ。各車がスリップ・コースオフ・スピンを演じている。バリチェロがタイヤ交換で後退。アロンソがどんどん抜いていく。8周目、ライコネン、デ・ラ・ロサ、アロンソ、バトン、ミハエル、フィジケラ、マッサ、クルサード。
 フィジケラとミハエルが激しく戦い、ミハエルがフロントウイングを落とした。17周目、マクラーレン勢がピットインして、アロンソがトップへ。フィジケラがスピンで脱落。25周目、アロンソがミハエルを周回遅れに。続いて、ライコネンがリウッツィに激しく追突し、両者が消えた。セーフティーカー。雨足が弱まり、タイヤ選択が難しいなか、各車がピットへ。アロンソ、バトン、デ・ラ・ロサ、バリチェロ、ハイドフェルド、クルサード、ミハエル、マッサ。
 32周目にレース再開。ミハエルがほのかに接触、後スピン。日が照ってきて、インターミディエイト・タイヤを履いたマシンに、乾いたレーシングラインを避けて走るものが現れた。バトンとミハエルがペースをあげてきた。残り26周、バトンがアロンソに追いついた。アロンソ、バトン、デ・ラ・ロサ、バリチェロ、ハイドフェルド、ミハエル、クルサード、ラルフ。この辺りで上位陣がピットイン。
 新王者アロンソは2度目のピットインで作業を失敗した。コースを走ることが出来ずリタイヤ、バトンの敵がいなくなった! また、ミハエルにも大きなチャンスが巡ってきた。残り16周、バトンがタイヤ交換。バトン、ハイドフェルド、ミハエル、デ・ラ・ロサ、バリチェロ、クルサード、クビサ、ラルフ。
 ハイドフェルドもタイヤ交換し、4位へ。ミハエルだけがレインで粘っている。が、デ・ラ・ロサとハイドフェルドが迫ってきて、それぞれ戦いになった。残り2周、クルーが頭を抱えた。マシンにダメージを負い、ついにガレージへ…。トゥルーリも白煙でリタイヤした。
 レース後に7位のクビサが重量違反から失格となった。大波乱のレースを制したホンダは39年ぶりの優勝である。第3期としては7年目。バトンは113戦目の初優勝。
 悪事を働いたとされるタイトル争いの二人は、天国と地獄を行ったり来たりしたのち、ほぼ元のポイント差に収まった。アロンソは15位スタートからトップ独走の後リタイヤ、ミハエルは11位スタートから入賞圏内、破損で圏外、回復して2位走行の後リタイヤ、上位の失格で1ポイント獲得であった。ルノーとフェラーリも、途中何度も計算変更を強いられた結果、3ポイント縮まることになった。

 ■ 8月27日 第14戦 トルコ
 ラルフとアルバースがエンジン交換で後退した。
 スタート1コーナーでパーツが飛び散った。多重クラッシュの発生であり、これによってフィジケラとハイドフェルド、ラルフらが後退した。巻き込まれたライコネンは1周でリタイヤ。琢磨もダメージを負い、データ集めの走行に切り替えた。6周目、マッサ、ミハエル、アロンソ、バトン、ウェバー、クビサ、N.ロズベルグ、クリエン。
 13周目、リウッツィが1コーナーでスピンし、マシンを降りられぬような危険な位置で止まった。セーフティーカー導入でピットが慌ただしくなった。ここでフェラーリはピットインが重なり、ミハエルが時間を食った。これでアロンソが逆転した。17周目、マッサ、アロンソ、ミハエル、バトン、N.ロズベルグ、クリエン、デ・ラ・ロサ、トゥルーリで再開。
 第2ステイントでは、後続のトゥルーリとバリチェロのバトルと上位3者による見事なFL合戦(ただしミハエルにコースオフあり)が、レースを盛り上げた。デビュー2戦目のクビサも闘志を見せた。25周目、N.ロズベルグがガレージに向かった。30周目、マッサ、アロンソ、ミハエル、バトン、ラルフ、クビサ、デ・ラ・ロサ、ウェバー。
 第3ステイントは、アロンソとミハエルとの攻防がレースを非常に盛り上げた。最後は0.081秒差だった。フィジケラとラルフは、1周目で後退しながらも、ピット回数を減らし、重いマシンを操りながら見事に入賞した。マッサは初めての大チャンスを初めての好結果に、きちんと結びつけた。アロンソ、ライコネン、モントーヤ以降の新人はシートの維持だけでも大変なのだが、マッサは順調に出世し、最初にウィナーの称号を手にした。

 ■ 9月10日 第15戦 イタリア
 レース後にミハエル・シューマッハの去就が明らかになるとのことで、そちらにも注目が集まった。予選。アロンソに他車の進路妨害があったとしてペナルティが科され、5番手から10番手へ降格となった。
 決勝スタート。ハイドフェルドがミハエルに並びかけたが、ペースが上がらない。ライコネン、ミハエル、クビサ、マッサ、バトン、ハイドフェルド、アロンソ、
 15周目前後、1/2のピットワークが始まり、ミハエルが先頭に立った。20周目、アロンソがバトンを交わした。ハイドフェルドがピットレーンのスピード違反で後退した。中盤になると1/1のピットワークが始まり、30周目の順位は、ミハエル、ライコネン、クビサ、マッサ、アロンソ、バトン、ハイドフェルド、フィジケラとなった。
 2/2のピットワークで、3位争いが大きく動いた。4位マッサの作業の後、クビサとアロンソが同時にピットイン。出口付近まで両者は並んで走ったが、これを制したアロンソが3位に浮上した。ところが、残り10周というところでエンジンから白煙があがった!
 記者会見で、ミハエルは慎重に前置きの言葉を重ねながら、「モンツァでのレースは今年が最後になる」という発言に持っていった。今季限りでの引退を表明したのである。チャンピオンシップは2ポイント差に縮まった。コンストラクターではフェラーリが逆転した。

 ■ 10月1日 第16戦 中国
 予選。雨でBS勢が苦しんだ。
 ウェットコンディションの決勝。序盤はアロンソが逃げフィジケラが抑えるという展開になったが、アロンソはタイヤを磨耗させてしまった。ピットインでタイヤを交換すると、これも失策となってペースが落ちた。
 中盤以降、次第に路面が乾いていく。35周目、アロンソはドライタイヤにスイッチしたが、ここで作業ミスまで発生した。これまでの、ミハエルの中国GPでのツキの悪さが乗り移ってしまったかのよう…。
 終盤に差しかかった42周目、ミハエルが先頭に立った。アロンソはファステストを連発して急激に追い上げたが、終了直前の雨もあって、3.1秒届かなかった。この結果、ポイントは同点、勝利数の関係からミハエルが2年ぶりにポイントリーダーの位置に戻ってきた。
 琢磨は最終周、周回遅れへの変動のとき、他車の順位に影響を与える事故を起こした。これによって今季2度目の青旗無視のペナルティが科され、失格となった。しかし、レース後半に中団グループと同等のペースを見せた。ファステストラップがミッドランド勢を上回っている。

 ■ 10月8日 第17戦 日本
 チャンピオンを争う二人による緊迫した戦いが続いていた37周目、ミハエルのマシンから白煙が上がった。突如力を失ってスローダウンするフェラーリの横を、青のアロンソが通り抜けていく。この瞬間にドライバーズタイトルの大勢はほぼ決したと言える。保管所にマシンを止めると、サルのようなパフォーマンスではしゃぐアロンソ。コメントによると、ミハエルはコンストラクターズタイトル奪還に目標を絞ったようだ。
 日本勢の結果。トヨタは軽い燃料で3回ストップ作戦を選び、2台が入賞を果たした。ホンダはバリチェロが序盤でマシンを壊して後退した。スーパーアグリは、2台が完走した。手を振ってファンに答える琢磨。来年から富士スピードウェイの使用が決まっているので、これまで数々のドラマを生んできた鈴鹿でのF1は、無期限の休みに入る。
 ミハエルのマシンから白煙が上がるのは、一体全体いつぶりのことだろう。思い出すことが難しい。21世紀中はなかった。シーズンの大事な場面でとなると、初めてのことかもしれない。どんなに勝負の懸かったレースでも、エンジンには優しい走りを続けてきたミハエルだが、最後の最後で運命に振られた。
 フィジケラは木曜日に友人を失っており、悲しい気持ちで週末を戦った。表彰台では嗚咽を漏らすほど泣いた。

 ■ 10月22日 最終の第18戦 ブラジル
 決勝。ウィリアムズが同士討ちで、共にリタイヤ。かつてのチャンピオンチームの不本意な幕引きとなった。セーフティーカーが抜けた後、ミハエルがルノー勢に挑む。抜きかけるも、無理が祟ったかタイヤがバーストして最後尾に落ちた。上位を走るトヨタ勢とクルサードがガレージに収まった。
 23周目頃に、1/2のピット作業がはじまる。マッサ、デ・ラ・ロサ、アロンソ、バトン、ライコネン、フィジケラ、バリチェロ、クビサ。デ・ラ・ロサはワンストップ作戦をとった。
 終盤、琢磨がフェラーリやルノーに匹敵するラップタイムを刻み、10番手を走る。有力チームから下位まで、全車のラップタイムが均衡した一戦となった。
 国旗を手にパレードを走り、恋人と熱いキスを交わし、サンバのリズムに身体を揺らすマッサ! 今回はレーシングスーツをブラジルカラーに変えての戦いであった。セナ亡き後、ブラジル国民は自国GPで勝利の国歌を聞く機会を、これまでずっと逸し続けていた。この役目をマッサが果たすとはかなり意外な気がする。それだけマッサが急速に確固たる成長を見せたということだろう。
 ミハエルの最終戦は、タイヤバーストや突然のスローダウンに翻弄され、タイトル争いという点では結果の予想がつく少し寂しい展開となった。しかしどうだったろう。おかげで、ミハエルが中盤を走る何人もの若手と、一人ずつ真剣勝負することになった。最後の締めくくりとして、かなり見ごたえのあるオーバーテイクの数々ではなかったろうか。未来のF1の導き手たちに対する、彼の思いが一点に集中したファステストラップではなかったろうか。

 ■ シーズン後

開催数覇者得点シェア勝率PP率FL率LD率 最多勝PP王FL王LD王
18F.アロンソ19.1%.389 .333 .278 39.6%F.アロンソ
M.シューマッハ
.389 F.アロンソ.333 M.シューマッハ.389 F.アロンソ39.6%

2006年ポイント推移の図
 ルノーが2年連続でダブルタイトルを獲得した。
 バリチェロが、表彰台にのぼらずに30ポイントをあげた。これは歴代最多である。とはいっても年間開催数や得点制度から言って、起こりうる話しではある。そこで、ドライバーの全得点((10+8+6+…1)×18)でのシェアを見ると、4.3%となる。これに並ぶのは近代では'88年のD.ワーウィック(17点、4.3%)、'98年のA.ブルツ(17点、4.1%)くらいである。

 ■ サーキットを去るウィナーたち
ミハエル・シューマッハ Michael Schumacher
生年月日 1969年1月3日
国籍 ドイツ
年次主なチーム順位優勝PPFL出走
1991ジョーダン
ベネトン
126
1992ベネトン31216
1993ベネトン41516
1994ベネトン覇者86814
1995ベネトン覇者94817
1996フェラーリ334215
1997フェラーリ-53317
1998フェラーリ263616
1999フェラーリ52359
2000フェラーリ覇者99217
2001フェラーリ覇者911317
2002フェラーリ覇者117717
2003フェラーリ覇者65516
2004フェラーリ覇者1381018
2005フェラーリ311319
2006フェラーリ274718
916876248


ファン・パブロ・モントーヤ Juan Pablo Montoya
 コロンビア首都、ボゴタの出身。市内に一つだけのカート場で、幼少よりカートに親しんだ。20歳になってからヨーロッパに渡り、F3000でチャンピオンになった。1999年にはルーキーながらCARTを制した。
 2002年のPP王。F1では暴れん坊として知られた。力強いドライビング、鋭いオーバーテイク、接触を始めとした数多くのトラブル、そして失格騒ぎ、、、また、歯に衣着せぬ言動においても当代一であった。何かやらかした後は、甲高い声で話すインタビューがいつも注目を浴びた。
 F1を突然去った理由は明らかにされていない。周囲との軋轢などではなく、単に個人的な判断からのようである。NASCARシリーズでは中堅ドライバーの一人として現在(2010年)も活躍中である。
生年月日 1975年9月20日
国籍 コロンビア
年次主なチーム順位優勝PPFL出走
2001ウィリアムズ613317
2002ウィリアムズ37317
2003ウィリアムズ321316
2004ウィリアムズ51218
2005マクラーレン432116
2006マクラーレン810
7131294


ジャック・ヴィルヌーヴ Jacques Villeneuve
 言わずと知れたジル・ヴィルヌーブの息子である。カナダに生まれ、父と共にヨーロッパに渡った。スイスの寄宿学校に通っていた。このときの教師であるクレイグ・ポロックが後のマネージャーとなる。母の反対もあったものの、十代半ばにして父と同じレーシングドライバーを志す。
 1992年には日本のF3を走った。このときTVゲームの遊びすぎで視力を悪くしたという噂がある。1994年からアメリカのCARTに移り、翌年にはインディ500優勝を含むチャンピオンの座に輝いた。こうした実績を元に1996年からF1に登場した。
 F1のシートを失ってからも、たびたび復帰の話しが持ち上がる。一方でNASCARやル・マンで走ったりもした。音楽が好きで、2006年に「Private Paradise」というCDを制作し、ミュージシャンとなった。
 ウィリアムズ・ルノーの時代以外、目立った活躍がない。勝利はおろかPPもFLもなく表彰台は4回のみである。最後の勝利から、134戦を勝利に恵まれないまま走った。この数字はチャンピオンの中ではダントツの長さである。ウィナーの中でも、M.アルボレートの147戦に次ぐものである。
生年月日 1971年4月9日
国籍 カナダ
年次主なチーム順位優勝PPFL出走
1996ウィリアムズ243616
1997ウィリアムズ覇者710317
1998ウィリアムズ516
1999BAR-16
2000BAR717
2001BAR717
2002BAR1217
2003BAR1614
2004ルノー-3
2005ザウバー1418
2006BMW1412
11139163

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