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  F1今昔物語 1996年 ダイジェスト

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 ■ シーズン前
 年16戦で争われる。予選が土曜日の一回のみになった。
 この年からカーナンバーが完全に前年のコンストラクター選手権の順位通りになった。ティレルの3,4番、フェラーリの27,28番が固有の番号でなくなったので寂しい気がする。
 F1は1994年に14チームあり、のべ47人も出走したが、1996年にバブルがはじけて11チームに減り、一挙に13人が引退した。
 この年の総集編のセリフに、「F1二世対決。天国で見つめる父たちに捧げる…」とある。D.ヒルとJ.ヴィルヌーブというウィリアムズの二人が、G.ヒルとG.ヴィルヌーブという名ドライバーの二世同士ということで何かと注目を集めた。父を早くに失うという点でも二人は共通している。ジャック・ヴィルヌーヴはアメリカのインディを制した新人である。
 フェラーリはこの年からV10エンジンを用いるようになった。これでF1からV12エンジンのハイピッチなサウンドが聞くことができなくなってしまった。

チーム/マシン名 エンジン ドライバー 前年は? タイヤ
フェラーリ F310 フェラーリ(V10) 1、ミハエル・シューマッハ
2、エディー・アーバイン
ベネトン
ジョーダン
GY
ベネトン B196 ルノー(V10) 3、ジャン・アレジ
4、ゲルハルト・ベルガー
フェラーリ
フェラーリ
GY
ウィリアムズ FW18 ルノー(V10) 5、デイモン・ヒル
6、ジャック・ヴィルヌーブ
残留
新人
GY
マクラーレン MP4/11 メルセデス(V10) 7、ミカ・ハッキネン
8、デビッド・クルサード
残留
ウィリアムズ
GY
リジェ JS43 無限(V10) 9、オリビエ・パニス
10、ペドロ・ディニス
残留
新人
GY
ジョーダン 196 プジョー(V10) 11、ルーベンス・バリチェロ
12、マーティン・ブランドル
残留
リジェ
GY
ザウバー C15 フォード・ゼテックR(V10) 14、ジョニー・ハーバート
15、ハインツ・ハラルト・フレンツェン
ベネトン
残留
GY
フットワーク FA17 ハート(V8) 16、リカルド・ロセット
17、ヨス・フェルスタッペン
新人
シムテック
GY
ティレル 024 ヤマハ(V10) 18、片山右京
19、ミカ・サロ
残留
残留
GY
ミナルディ M195B フォードED(V8) 20、ペドロ・ラミー
21、ジャンカルロ・・フィジケラ他
残留
新人
GY
フォルティ FG01B フォード-ゼテックR(V8) 22、ルカ・バドエル
23、アンドレア・モンテルミニ
ミナルディ
パシフィック
GY

 ■ 3月10日 第1戦 オーストラリア
 ☆メルボルン…正式名称はアルバートパーク・サーキット。1996年にアデレードから引き継ぐ形でF1が開催され、以後現在までオーストラリアでのF1の舞台となっている。アデレードは最終戦で、こちらは開幕戦を担う。湖を囲むようなレイアウトになっている。公道となっている部分もある。16あるコーナーの名前はほとんどが過去のチャンピオンの名前である。狭い作りのため、クラッシュからセーフティーカー出動に繋がるレースが多い。波乱の開幕戦の舞台である。

 初開催のコースには、ドライバーの経験というものが結果に影響しない。一発勝負で予選が決まるわけだが、ここでPPの座に躍り出たのが新人のJ.ヴィルヌーブだった。デビューでのPPは1972年アルゼンチンGPのC.ロイテマン以来、4人目の快挙である。
 決勝スタート直後、ブランドルがクルサードに追突後、逆さまになって砂地を滑る大クラッシュが発生した。ブランドルは幸いにも無傷で済んだ。今季からコクピットのプロテクターがドライバーの頭上高く設置されるようになり、早速効果を発揮したというところだろう。
 赤旗中断後の再スタートも、ヴィルヌーブは丁寧に決めた。D.ヒル、M.シューマッハの3台が序盤で下位を離していった。10周目、アレジがアーバインを抜こうとしてサイドポンツーンを壊しリタイヤした。
 ウィリアムズ勢はワンストップ作戦。34周目、ヴィルヌーブは一瞬コースアウトし、ヒルが襲いかかる、という場面があった。同じ頃、M.シューマッハはブレーキの故障でコースアウトし、やがてピットでレースを終えた。
 次第にヒルのマシンがヴィルヌーブのマシンから漏れるオイルによって汚れていった。ヴィルヌーブは油圧系の故障を抱えているようだった。54周目、チームはヴィルヌーブにスローダウンの指示を出した。惜しくもデビュー戦初勝利を逃したジャックだったが、それに劣らぬ存在感を示した開幕戦であった。D.ヒルは連続してオーストラリアGPを制すという珍記録をなした。

 ■ 3月31日 第2戦 ブラジル
 バリチェロが予選で2位につけた。若いJ.ヴィルヌーブが話題になっているが、彼の方が年齢は下である。また、ミナルディのT.マルケスとリジェのP.ディニスがピットレーンの信号無視で失格となった。
 決勝直前に雨、のち晴れ行くという天候の中、D.ヒルが独走した。今回は2位以下の争いが熾烈だった。スタートでヴィルヌーブとアレジがバリチェロを抜いた。しばらく3台で争ったあと、M.シューマッハとフレンツェンも加わってきた。
 27周目、ヴィルヌーブが周回遅れの処理のときアレジにインを突かれ、外に膨らむと濡れたライン上でスピンし、リタイアを喫した。
 2回目のタイヤ交換が終わると、D.ヒル、アレジ、M.シューマッハ、バリチェロ、ハッキネン、サロという順番になった。3位シューマッハを追い詰めるバリチェロだったが、残り10周余りというところで、こちらもスピンからリタイヤを喫した。
 勝者D.ヒルは3位以下を周回遅れにするという圧倒ぶりだった。

 ■ 4月7日 第3戦 アルゼンチン
 J.ヴィルヌーブがスタートに失敗し、9位に転落した。D.ヒル、M.シューマッハ、アレジ、ベルガーという順番でレースが進んだ。
 ヒルはまたも独走し、今回も下位でいろんなことが起きた。25周目、フォルティのR.バドエルがスピンからマシンを転覆させ、セーフティーカーが出動した。このときに片山右京がマシントラブルでリタイヤした。リジェのディニスのマシンが、給油口からの出火で炎に包まれた。安全走行は31周目まで続いた。
 41周目、M.シューマッハがピットインするも、作業に12秒かかった。アレジがここで詰め寄ってピットインする。しかしこちらもエンジンをストールさせてしまい、前に出れない。2位でコース復帰できたM.シューマッハだったが、トラブルを抱えて満足に走れない。結局ガレージに収められることになった。
 2位を走るのはベルガーに変わった。しかし、56周目に予定外のピットインを行い、復帰後にコースアウトした。リア・サスペンションが壊れていたのである。
 結果、ヒルが独走のままチェッカーを受けた。それに続いたのはヴィルヌーブであった。アレジが2戦連続の表彰台に。またフットワーク(アロウズ)のフェルスタッペンが予選7位から決勝でも6位に飛び込んだ。ベネトン放出後、流浪が続くことになる彼だが、今回は頑張った。

 ■ 4月28日 第4戦 ヨーロッパ
 今回はD.ヒルがスタートを失敗し、J.ヴィルヌーブがレースを率いる展開になった。D.クルサードが6番グリッドから大きく好スタートを決めて2位につけ、バリチェロ、M.シューマッハ、ヒル、ハッキネンと続いた。アレジもスタートを失敗し、翌周に接触でリタイヤした。ティレルの片山右京もスタートできず、オフィシャルの押し掛けを受けた。
 ヴィルヌーブが独走する。22周目、ヒルのピットインが20秒もかかった。さらに焦ったのか、ディニスを抜こうとして大きくコースアウトしてしまう。
 中盤、M.シューマッハが新人の初優勝を阻もうとペースをあげ、ヴィルヌーブの真後ろにまで来た。しかしヴィルヌーブはつけ入る隙を与えない。終盤には数多くの周回遅れの処理に引っかかったが、一台一台、丁寧に抜いていった。
 コンマ数秒の差のまま、二人はチェッカーを受けた。ヴィルヌーブは4戦目で初優勝の快挙を成し遂げた。3位表彰台にはクルサードが立ち、ウィリアムズ以外でも走れることを示した。
 片山右京はスタートでの押し掛けが許されず、失格となった。同僚のサロも重量違反でレース後に失格となった。

 ■ 5月5日 第5戦 サンマリノ
 フェラーリの地元でM.シューマッハが期待に応えた。赤い跳ね馬がPPである。サンマリノでのフェラーリのPPは'83年以来のことである。
 決勝スタートでは、クルサードが再び好発進を見せて先頭に躍り出た。D.ヒル、M.シューマッハ、サロ、ベルガー、バリチェロがこれに続いた。J.ヴィルヌーブはアレジと接触し、ピットインして最後尾に落ちた。
 M.シューマッハはすぐにヒルを抜き、1/2のピット作業を利用してクルサードをも抜いた。ヒルは長めのステイントをとり、この間に先頭に立った。23周目、上位で健闘していたサロがエンジンブローでリタイヤした。
 31周目にヒルがピットイン、先頭の座を守った。ヒル、M.シューマッハ、クルサード、ベルガー、バリチェロ、アーバインの順番である。
 45周目、クルサードが油圧系の故障でリタイヤした。右京がポイント圏内に来たものの、翌周にこちらもマシントラブルでリタイヤした。
 ヒルは2/2のピットインも難なくこなし、そのままシーズン4勝目にたどりついた。2位にM.シューマッハ、3位にベルガーが来た。最後尾から追い上げたヴィルヌーブは、終盤にサスペンションが壊れてマシンを止めた(完走扱い)。

 ■ 5月19日 第6戦 モナコ
 路面の3/4が舗装されたモンテカルロ市街地コース、決勝前まで雨が降っていて、ほぼ全車がレインタイヤでレースに臨んだ。モナコでは珍しいウェットコンディションである。
 舗装したばかりの路面は雨で滑りやすい。唯一スリックで臨んだフェルスタッペンは数百メートル走っただけでクラッシュした。2戦連続PPのM.シューマッハは、スタートでヒルにかわされ、さらにポルティエでガードレールに激突した。他にもバリチェロをはじめ、計5人がアクシデントによりレースを0周で終えた。
 先頭はヒル。3周目、右京がクラッシュ。11周目、3位ベルガーがピットインしてガレージに消えた(ギアボックストラブル)。
 ヒルが独走し、2位にアレジ、30秒ほど後方でアーバイン、フレンツェン、クルサードが団子になって3位を争っている。パニスは10番手あたりか。フレンツェンは昨年8回入賞したが今季は未だノーポイントである。今回はチャンスなのだが、18周目、しびれを切らしてアーバインへ追突し、ピットインのため最後尾に落ちた。
 30周目前後にピット作業が行われ、多くのマシンがスリックタイヤに履き替えた。アレジはピットインのタイミングを1周のばしてしまい、ヒルとの差がまた開いてしまった。以下、アーバイン、パニス、クルサード、ハーバートという順番。以後、路面が乾いて各車ペースがあがった。ここで頻繁にファステストラップ更新の名前に読み上げられたのが、リジェのO.パニスであった。アーバインはパニスの攻めに耐え切れず、ローズヘアピンで行き場を失って立ち往生した。アーバインはこのとき思わずシートベルトを外してしまい、低速走行でピットインを強いられ、さらにエンジンストールが起き、大きく後退した。
 ヒルは順調にレースを進めていたが、41周目、トンネルの中で白煙が上がった。これで半数以上がリタイヤし、残ったのはアレジ、パニス、クルサード、ハーバート、ヴィルヌーブ、サロ、ハッキネン、フレンツェン、アーバイン、バドエルというメンバーになった。
 55周目頃、また雨が降ってきた。60周目、アレジが突然ピットインしてきた。リア・サスペンションにトラブルが起きたらしい。翌周にもう一回入ってきてガレージに収まった。これでパニスが首位に立った。
 レースからはまだ目が離せない。クルサードがパニスとの差を1秒台に詰めてきた。67周目、ヴィルヌーブが周回遅れのバドエルと激突し、両者が消えた。残り6分ほどで、また雨が強く降ってきた。アーバインがM.シューマッハと同じところで滑る路面の餌食になり、直後サロとハッキネンが追突した。2時間ルールが適用され、75周でレースが終わった。チェッカーまで走り切ったのは4台きりであった。ハーバートは荒れたレースでの強さを見せ、3位に。いったん最後尾まで落ちたフレンツェンも入賞できた。
 最終コーナーではマーシャルが粋なサムズアップで祝福した。パニスの初優勝である。ウイニングランではフランス国旗を渡され、華麗な街中を華麗な国旗が風に真っ直ぐなびいていた。奥さんもパドックに来ていて喜びの顔を見せた。無限ホンダエンジンにとっても初優勝である。
 リジェは228戦ぶりの勝利である。初優勝までのレース数を見ると、二年後のジョーダンの127戦目が最高(2009年現在)であるから、これほどに優勝と無縁のチームの勝利というのは、なかなか見ることができないだろう。また、四強以外の優勝は、'87年のデトロイトGP以来という快挙でもある。
 ちなみに、クルサードは決勝前の走行でバイザーが曇ったため、M.シューマッハのヘルメットを用いて決勝を走った。

 ■ 6月2日 第7戦 スペイン
 雨の決勝レースとなった。ヴィルヌーブがスタートを制した。アレジ、ヒル、ベルガーが続いた。M.シューマッハはスタートで若干遅れ、6位になった。最初の2周で、アーバインやクルサードら6人がスピン等のアクシデントでリタイヤした。4周目にはヒルもコースアウトする。M.シューマッハはペースをあげて先頭争いに加わった。
 11周目、ヒルがまたもやスピンしてリタイヤとなった。12周目、M.シューマッハがヘアピンでヴィルヌーブのインを突き、とうとう先頭に立った。M.サロがスペアカー使用違反で失格となった。
 M.シューマッハだけ他者と異なるペースで飛ばしていく。アレジがピット作業を利用してヴィルヌーブの前に出た。バリチェロがピットインを伸ばして上位に浮上した。44周目、M.シューマッハ、アレジ、ヴィルヌーブ、バリチェロ、ベルガー、フレンツェンの順。
 40周目、ハーバートがスピン、今回は生き残れなかった。45周目、ベルガーもスピンしてリタイヤ。翌周にはバリチェロもトランスミッションの故障でリタイヤ。5位に浮上したフェルスタッペンもスピンして消えた。
 コース上には6台が残るきりという2戦連続のサバイバルレースをM.シューマッハが圧倒的なペースで勝利した。フェラーリ移籍後の初勝利である。

 ■ 6月16日 第8戦 カナダ
 前GPで圧勝したフェラーリは波に乗れない。M.シューマッハがエンジンストールによって最後尾からのスタートを強いられた。2周目にはアーバインがサスペンションの異常でリタイヤした。
 ヒル、ヴィルヌーブ、アレジ、ハッキネン、ベルガー、ブランドルの順でレースが進む。7周目、片山右京とR.ロセットが交錯して両者リタイヤとなった。20周過ぎ、バリチェロがクラッチのトラブルからピットインを繰り返し、そのままリタイヤした。
 ウィリアムズ勢は、ヒルが2回ストップ、ヴィルヌーブが1回ストップと作戦が分かれた。40周目、M.シューマッハがピットイン、このときドライブシャフトを折ってしまい、復帰直後にリタイヤした。翌周にはベルガーがまたもやスピンで消えた。
 その後もリタイヤが続き、完走8台という3度目の過酷なレースになった。ヒルが無難に勝ち、母国GPのヴィルヌーブが続いた。

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 ■ 6月30日 第9戦 フランス
 ルノーが'97年いっぱいでのF1からの撤退を発表した。予選はM.シューマッハが制した。フェラーリF310は速さはある模様。しかし信頼性に欠け、M.シューマッハはまたもやフォーメーションラップ中にエンジンが壊れてリタイヤとなった。アーバインも6周目にギヤボックストラブルでリタイヤした。
 他の有力チームは今回は最後まで走り切ったため、ルノーエンジンが地元で1〜4位を独占するという結果になった。なお、ハーバートのマシンにレギュレーション違反があり、レース後に失格となった。

 ■ 7月14日 第10戦 イギリス
 決勝スタート後の熾烈な争いをヴィルヌーブが制し、アレジ、ハッキネンが続いた。フェラーリはM.シューマッハが3周目にギアボックストラブルで、アーバインが5周目にエンジンブローでと、3戦連続で序盤のリタイヤという情けない結果になった。
 スタートで遅れたヒルはヴィルヌーブとの差が開く一方のまま、27周目にスピンしてリタイヤした。先行逃げ切りでないと勝てないという世間の不評に、さらに勢いを加える形となった。
 レースはヴィルヌーブがそのまま逃げ切って勝った。ハッキネンが今季初の表彰台に立った。

 ■ 7月28日 第11戦 ドイツ
 昨年から参戦を続けていたフォルティ・コルセが本戦を前に撤退を表明した。D.ヒルはウィリアムズとの来季の契約がまとまらず、チーム離脱が濃厚になった。
 ベネトン勢が好スタートを決めてワンツー体制を築いた。以下、ヒル、M.シューマッハ、クルサード、ヴィルヌーブが続いた。
 1/2のピットインでM.シューマッハとヴィルヌーブが接触しそうになる場面があった。ベネトン勢は1回ストップ作戦で逃げ切ろうとする。
 ヒルはペースを上げ、2/2のピットインに向かう。アレジだけは抜くことができた。
 終盤、ヒルはベルガーを激しく攻め立てる。緊迫の攻防が続く、43周目、哀れベルガーのマシンから白煙が上がった。勝者はヒルだが、相変わらずバトルを制してつかみ取ったものではない。

 ■ 8月11日 第12戦 ハンガリー
 PPのM.シューマッハが丁寧にスタートを決め、先頭に立った。ヴィルヌーブがこれを追う。3位はアレジ。他が3回ストップ作戦なのに対し、ベネトンは2回ストップで燃料が重い。抜きにくいハンガロリンクでアレジは下位のブレーキ役になった。
 1/3のピット作業によって、ヴィルヌーブがM.シューマッハを抜いた。ヒルは30周目にアレジをパスし3位に浮上した。32周目、アーバインがギアボックストラブルでリタイヤ。5戦連続でマシントラブルによるリタイヤである。
 2/3のピット作業でも、ヴィルヌーブとM.シューマッハ、ヒルの順位は変わらない。ヒルはファステストラップを連発してM.シューマッハのすぐ後ろまで来た。
 3/3のピット作業では、ヴィルヌーブに若干のもたつきがあったが、首位を維持。ヒルがM.シューマッハを抜いた。
 65周目、ベルガーのエンジンからまた白煙があがった。71周目、M.シューマッハがコース脇にマシンを止めた。ヒルはヴィルヌーブを猛追し、最後は0.7秒差でチェッカーを受けた。
 ウィリアムズは今季5回目のワンツーフィニッシュである。残り4戦で早々とコンストラクターズタイトルをものにしてしまった。

 ■ 8月25日 第13戦 ベルギー
 スタートで多重クラッシュが発生し、パニスら3人がリタイヤに追い込まれた。オープニングラップは、ヴィルヌーブ、M.シューマッハ、クルサード、ヒル、ハッキネン、ベルガーの順で通過していった。
 12周目、フェルスタッペンが派手なクラッシュを演じて、セーフティーカーが出動した。彼はヘリで病院に搬送されるほどのダメージを負った。
 各車が一斉にピットに向かう中、ヒルがシケインを直進してピットインのタイミングを失った。18周目にレースが再開されると、ピットインしていないクルサード、ハッキネンが先頭で、M.シューマッハ、アレジ、ヴィルヌーブと順位に変動が起きた。
 マクラーレン勢はレース半ばに1回だけのピットインを行い、先頭はM.シューマッハに変わった。30周目、バリチェロとアーバインがそれぞれマシントラブルでリタイヤ。
 2/2のピット作業戦では、後攻のヴィルヌーブが大きく差を詰めるものの、先頭に立つことはかなわかった。38周目、クルサードがハンドリングの異常からクラッシュを起こした。

 ■ 9月8日 第14戦 イタリア
 ウィリアムズが来季のフレンツェンの移籍を発表した。マクラーレンはウェストとのスポンサー契約を発表した。
 フォーメーションラップでパニスがスタートできず、最後尾へ回った。スタートでは予選6位のアレジが一気呵成の勢いで先頭に立った。ヒルはヴィルヌーブと争ってシケインをカットしたりもしたが、オープニングラップの内にアレジをパスし、いつもの逃げ切りパターンに入るかと思われた。
 この年は、シケインにいつものパイロンではなくタイヤマーカーが設置された。これがいくつもの波乱を生むきっかけなった。まず、2周目にクルサードがステアリングの異常でリタイヤする。3周目、シケインのタイヤが転がりだし、ハッキネンがこれに衝突した。彼はピットインを強いられ、大きく後退した。5周目、ベルガーがマシントラブルでリタイヤ。6周目、ヒルがタイヤマーカーに後輪を接触させてスピン、そのままリタイヤとなった。この時点で、アレジ、M.シューマッハ、アーバイン、ヴィルヌーブ、ブランドル、バリチェロという順番である。
 ヴィルヌーブも何処かで接触したらしく、サスペンションを傷めてペースが上がらない。余計なピットインを行ったりして、後退していった。23周目、アーバインがタイヤマーカー接触の影響でリタイヤ。これで8戦連続リタイヤである。
 1回きりのピット作業戦でM.シューマッハがアレジを抜き、首位の座をものにした。39周目頃にタイヤマーカーにフロントタイヤを接触させたが、ダメージはなくそのまま快走を続けた。
 何とかヒルとのポイント差を詰めたいヴィルヌーブだったが、依然ペースが上がらず、7位でレースを終えた。勝者はM.シューマッハ。1988年のベルガー以来のモンツァでのフェラーリの勝利である。

 ■ 9月22日 第15戦 ポルトガル
 残り2戦で13点差と後がないヴィルヌーヴ、予選では0.09秒及ばず、ヒルの後塵を排した。
 スタートでもヒルに及ばず、ブロックを受け、アレジ、M.シューマッハにまで抜かれてしまった。
 しかしこの新人は簡単には物事をあきらめない、父親と同じように。15周目の最終コーナーでM.シューマッハを外側からオーバーテイク。22周目のアレジのピットインで2位に浮上した。
 ヴィルヌーブがヒルとの差をどんどん詰めていく。レース半ばの二人のピットイン後に3秒差、翌周に2秒台へ突入。遂にはテール・トゥ・ノーズの状態にまで持って行った。
 48周目の最後のピット作業戦で、後攻のヴィルヌーブがヒルよりも0.8秒早い作業でコースに復帰し、ヒルの前に立った。こうしてポイント差9でタイトルは最終戦で決まることとなった。

 ■ 10月13日 最終の第16戦 日本
 フォーメーションラップでクルサードがスタートできず、最後尾に回った。
 PPのヴィルヌーブがスタートを大失敗、ヒルに先行されたのはもちろんのこと、ベルガー、ハッキネン、M.シューマッハ、アーバインにまで抜かれ、6番手から前をうかがうことになった。アレジは1コーナーでスピンしてそのままリタイヤとなった。
 3周目、ベルガーが強引にヒルのインを突いて接触、ダメージを負ってピットに向かった。ヒルに影響はない模様。12周目、ヴィルヌーブがアーバインをオーバーテイク。14周目、ヴィルヌーブが給油を行う。ヒル、M.シューマッハ、ハッキネン、アーバインという順番である。
 31周目、ヴィルヌーブがピットインする。タイヤの調子が悪く、フロントウイングを調整してダウンフォースを稼ぐため、若干時間のかかる作業になった。37周目、ヴィルヌーブのタイヤが外れ、コースアウト。タイトル争いに決着がついた。
 ヒルは先行逃げ切りのいつものパターンで突っ走った。そしてタイトル獲得を自身の勝利で飾るという歓喜のときを迎えたのであった。

 ■ シーズン後
 長いF1の歴史でも親子でチャンピオンというのは、グレアムとデイモンたちのみである。そんなD.ヒルは来期のシートが決まらないままだ。当時は「バトルに弱い」「マシンのおかげ」という評価でいっぱいだったが、ウィリアムズを去ってから、別の評価を形成していくことになる。
 今季、ヒルは全戦でフロントローからスタートした。これは'93年のA.プロスト以来2度目の出来事である。

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