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  F1今昔物語 1993年 ダイジェスト

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 ■ シーズン前
 リアタイヤの幅が18インチから15インチに縮小された。
 ここ数年著しかったハイテク化の傾向は、この年ピークに達した。その筆頭であるウィリアムズは、アクティブサスペンション、ラウンチコントロール、トラクション・コントロール(TCS)の三種の神器のほか、アンチロック・ブレーキ(ABS)、電子制御スロットル…と、様々な機能を搭載し、ラジコンカーとまで言われた。
 いろいろ試された結果、マクラーレンのエンジンは、フォードHBのシリーズ7に決まった。これはベネトンのシリーズ8の型落ちで、カスタマーエンジンというものであった。フェラーリのエンジンは、ホンダから技術の提供を受けていて、大きな話題になった。
 ウィリアムズのシート争いは昨シーズン中に大きく揉めたが、復帰したA.プロストと、テストドライバーだったD.ヒルに決まった。R.パトレーゼのベネトン移籍、G.ベルガーのフェラーリ移籍など、他にも有名ドライバーの移籍が目立った。前年のチャンピオンが不在のため、ウィリアムズのカーナンバーは「0」「2」となる。プロストはフランス語で無能を意味する「0」を嫌い、D.ヒルがF1では珍しいカーナンバーをつけることになった。
 セナは、最速のウィリアムズに乗れない不満から、休養を申し出たりインディに転向する意向を示したりと、マクラーレンを揺さぶりまくった。結局、セナはマクラーレンと一戦ごとの契約で参戦することに決めた。開幕一週間前のことであった。
 新興チームとしてザウバーが登場した。メルセデスとの関係が深く、テストでも好タイムを連発、まさに鳴り物入りの登場であった。
 スクーデリア・イタリアが、シャシーの依頼先を、お馴染みだったダラーラからローラに変えた。リジェのオーナーが、ギ・リジェからシリル・ド・ルーブルに変わった。そして、リジェは珍しくドライバーラインナップからフランス人を外した。

チーム/マシン名 エンジン ドライバー 前年は? タイヤ
ウィリアムズ FW15C ルノー(V10) 0、デイモン・ヒル
2、アラン・プロスト
ブラバム
復帰
GY
ティレル 020C、021 ヤマハ(V10) 3、片山右京
4、アンドレア・デ・チェザリス
ベンチュリ-ラルース
残留
GY
ベネトン B193A、B193B フォードHB(V8) 5、ミハエル・シューマッハ
6、リカルド・パトレーゼ
残留
ウィリアムズ
GY
マクラーレン MP4/8 フォードHB(V8) 7、マイケル・アンドレッティ
7、ミカ・ハッキネン
8、アイルトン・セナ
新人
ロータス
残留
GY
フットワーク FA14 無限(V10) 9、デレック・ワーウィック
10、鈴木 亜久里
復帰
残留
GY
ロータス 107B フォードHB(V8) 11、アレッサンドロ・ザナルディ他
12、ジョニー・ハーバート
新人
残留
GY
ジョーダン 193 ハート(V10) 14、ルーベンス・バリチェロ
15、I.カペリ
15、ティエリー・ブーツェン他
新人
フェラーリ
リジェ
GY
ラルース LH93 ランボルギーニ(V12) 19、フィリップ・アリオー他
20、エリック・コマス
復帰
リジェ
GY
スクーデリア・イタリア-ローラ T93/30 フェラーリ(V12) 21、ミケーレ・アルボレート
22、ルカ・バドエル
フットワーク
新人
GY
ミナルディ M193 フォードHB(V8) 23、クリスチャン・フィッティパルディ
24、ファブリツィオ・バルバッツァ
24、ピエルルイジ・マルティニ
残留
復帰
スクーデリア・イタリア-ダラーラ
GY
リジェ JS39 ルノー(V10) 25、マーティン・ブランドル
26、マーク・ブランデル
ジョーダン
復帰
GY
フェラーリ F93A フェラーリ(V12) 27、ジャン・アレジ
28、ゲルハルト・ベルガー
残留
マクラーレン
GY
ザウバー C12 イルモア(V10) 29、カール・ベンドリンガー
30、J-J.レート
マーチ
スクーデリア・イタリア-ダラーラ
GY


 ■ 3月14日 第1戦 南アフリカ
 実は、マーチはこの年のエントリーリストに名を連ね、スタッフやドライバーがサーキットに現れもした。しかし、マシンが届かず、そのまま活動を終えた。
 駆け足でF1に参戦したセナが予選で2位につけ、スタートでも勢いよく飛び出した。M.シューマッハが2位。プロストは少し出遅れ3位。
 13周目にプロストはM.シューマッハを攻略し、久し振りのセナ・プロバトルが始まった。見応えある攻防の後、24周目にプロストが先頭に立った。プロストは独走を開始し、今度はセナとM.シューマッハが僅差で争った。40周目、M.シューマッハはセナに思い切って仕掛けたが、スピンしてリタイヤとなった。
 ゴール直前、雷鳴がとどろくほどの大雨になった。'90年以来参戦のD.ワーウィックがここでスピンしてしまい、入賞を逃した。完走8台で大荒れの開幕戦であった。勝者はプロスト。リジェのM.ブランデルが3位表彰台に立った。リジェの表彰台は7年ぶりのことである。ミナルディのC.フィッティパルディは序盤にスピンで後退しながらの4位、初陣のザウバーはマシンの修理で大幅に遅れながら5位入賞、6位G.ベルガーには終盤にオイルに乗ってコースアウトする場面があった。

 ■ 3月28日 第2戦 ブラジル
 レース前、プロストとFISAの間に一悶着があった。
 決勝スタート直後、アンドレッティとベルガーが大クラッシュを起こした。セナが再び好スタートを決めて、プロストとD.ヒルの間に割って入った。11周目にD.ヒルがセナを抜き返した。しばらくすると、セナに黄旗区間追い越しのペナルティが課された。プロスト、D.ヒル、M.シューマッハ、セナの順位になった。
 ここで雨が降ってきた。セナはいち早くレインタイヤに交換した。ウィリアムズは交信を誤り、D.ヒルが先にタイヤ交換した。雨足が強まる中、プロストはスリックタイヤでの走行を強いられた。亜久里、右京が続けてクラッシュした。さらにC.フィッティパルディもストップし、そこにプロストが接触! 瞬く間のうちに不運が重なり、プロストはリタイヤを喫した。30周目、レースはセーフティーカーが先導することになった。

☆セーフティーカー…通常の走行が危険なときに、レースを先導する。他のカテゴリーでは、ペースカーとも呼ばれる。1973年カナダGPで一度だけ登場した。後、1993年から頻繁に導入された。当初は、各サーキットによって車がまちまちだった。1996年からメルセデスの専用車両が用いられている。

 37周目にレースが再開された。D.ヒルが先頭でセナが2位。39周目、セナは素早い決断でスリックタイヤに交換した。翌周D.ヒルも同じ行動に出た。41周目、タイヤの温まりきっていないD.ヒルをセナがパスした。
 カラリと空が晴れ上がった。終盤、M.シューマッハとJ.ハーバートに好ファイトがあった。レースは、そのままセナが地元での二度目の勝利をものにした。A.ザナルディが唯一の入賞を果たした。ウイニングランの途中、セナにメイン・スポンサーのライバルの旗が渡される、という珍事があった。
 ジョーダンのI.カペリは本戦で予選落ちを喫した。彼は解雇され、F1でのキャリアを終えた。昨年までフェラーリドライバーだったのに、まっ逆さまの転落であった。しかし、彼がラップリーダーとなった場面('88日本、'90フランス)は印象深かったため、今でも彼のことを覚えているファンは多い。

 ■ 4月11日 第3戦 ヨーロッパ
 ☆ドニントン…正式にはドニントンパーク・サーキット。本当は、大分県中津江村のオートポリスでアジアGPが行なわれる予定だったが、オートポリスが破産したことによって、代替GPとして一度だけ開催された。一度きりの開催だが、後述のレース展開によって、多くの人にその名を知られている。F1以外の大きなレースも頻繁に行なわれている。ピットロードが最終コーナーの手前から内側に伸びていて、完全に近道を通る形になっている。そのため、奇妙なファステストラップが記録された。

 ベネトンの新車B193Bが登場した。レースはまたしても小雨のなか行なわれた。
 雨のオープニングラップでセナが異次元の走りを見せた。この伝説的な1ラップは、今やたくさんの動画で確かめることができる。スタートで、K.ベンドリンガーに抜かれ、M.シューマッハの幅寄せでアウトいっぱいに膨らむ。この時点で5位。1コーナーの進入で鋭くインを突き、2、3、4コーナーまでに、M.シューマッハとベンドリンガーをパス。この当たりのライン取りは芸術的である。間髪いれずD.ヒルに襲い掛かり、7コーナーでこれを下す。続いてストレート区間を経て、シケインで一気にプロストとの差を詰め、二つのヘアピンでプロストを抜いて置き去りにしていった。このあたりのスピードの違いが圧巻である。ウィリアムズですら下位を置き去りにしていたのに、そのウィリアムズ勢を置き去りにしたのだった。
 アンドレッティはセナの走ったラインを追走した。しかしコントロールを失ってベンドリンガーと衝突、共に0周リタイヤとなった。アンドレッティは3戦で4周しか走っていない。また、ジョーダンの新人R.バリチェロも、8台抜きを見せていきなり4位まで浮上した。
 レースは雨が降ったり止んだりして混乱した。セナは5回ピットインした。作業ミスが発生し、一時プロストが先頭に立った。しかしプロストは7回もピットインした。結局、セナが3位以下を周回遅れにして勝った。2位のD.ヒルにでさえ、1周分くらいの差をつけている。
 セナのファステストラップは、57周目、タイヤ交換のためにピットロードに進入、が、タイヤが用意されていなかったため直進したことで記録された。現在のように、ピットレーンの速度制限は定められていない。
 ミナルディのF.バルバッツァが初入賞を果たした。バリチェロは、71周目まで表彰台圏内を維持し、注目を集めた(燃圧低下でリタイヤ完走扱い)。

 ■ 4月25日 第4戦 サンマリノ
 金曜日、一戦ごとの契約のセナがサーキットに現れたのは、セッション開始の15分前であった。
 決勝はまたしてものまたしても雨模様のなか始まった。これで4連続ウェットレースである。偶数列が好スタートを決め、D.ヒルが先頭、セナとプロストが僅差のにらみ合い状態で続く。7周目、プロストがセナを追い抜く。雨が止んできて各車タイヤ交換を済ませると、プロストはD.ヒルとセナの真後ろに回った。12周目のトサ・コーナー、一瞬の攻防で、プロスト、セナ、D.ヒルの順番に変わった。プロストが2台抜きを見せたのだった。
 21周目、D.ヒルがザナルディを抜こうとして、コースアウトを喫し、リタイヤ。43周目、セナもまた油圧系トラブルでリタイヤに追い込まれた。53周目、ザナルディが火を噴きタイヤを転がしながら、最終コーナーからタンブレロまでを走りぬいた。
 M.ブランドルがリジェでも表彰台に立った。'90年以来参戦のP.アリオーが5位入賞を果たした。バルバッツァは予選25位(グリッド最下位)からの6位入賞を果たした。

 ■ 5月9日 第5戦 スペイン
 古館伊知郎が、実況ではなく物静かな解説を勤めた。途中、実況をしたがる場面も見られた。
 再び、スタートをD.ヒルが制した。しかし11周目にプロストが抜き返す。結局、D.ヒルは41周目にエンジンブローでレースを終えた。終盤、セナとM.シューマッハの接近戦が勃発した。ここでまたザナルディの出番がきた。彼のマシンのエンジンが壊れ、オイルを撒き散らす。そのオイルに乗ってM.シューマッハがコースアウト。セナが難なく2位を守った。
 M.アンドレッティが初完走・入賞を遂げた。フェラーリの未勝利はこれで39戦目、1985〜1987年の不振を上回り、歴代最長になった。

 ■ 5月23日 第6戦 モナコ
 決勝スタートにて、プロストがフライングを犯し、10秒ストップのペナルティが科された。アレジもフライング気味のスタートだったが、罰を受けたのはプロストのみであった。ところが、プロストはエンストを起こし、レース復帰に2回も手間取った。「プロストに降り注ぐコートダジュールの冷たい陽光ー!!」と声があがった。
 さらに、セナが「どけてくれ」と手を上げながら、プロストを周回遅れにする場面もあった。しかし、プロストはあきらめずに追い上げ、52周目にはファステストラップを記録し、最後は4位まで順位をあげた。レースは先頭M.シューマッハのサスペンションが壊れ、セナが勝った。セナは金曜日の事故で指を傷めながら、5年連続・6回目のモナコ制覇を成し遂げた。2位D.ヒルは「父(モナコ5回制覇のG.ヒル)が生きていたら、真っ先にセナを祝福しただろう」とコメントを残した。
 6戦を終わって、セナとプロストが3勝ずつ。ポイントリーダーは意外にもセナである。が、予選ではプロストに1〜2秒差をつけられており、速さの違いは歴然としていた。

 ■ 6月13日 第7戦 カナダ
 セナが予選で苦しみ8位に沈んだ。彼の4列目スタートは、ロータス時代以来のこととなる。また、予選終了後にスクーデリア・イタリア以外のチームに、アクティブサスペンションとTCSのことで、レギュレーション違反が通達された。これらのチーム22台は以後、暫定出場となった。
 ところがセナがまた見せた。1コーナーで5位まで上がり、アレジに襲い掛かる。ヘアピンでアレジがインをとるのを見るや、すかさずアウトに移り、立ち上がりからの高速S字コーナーを併走した。このとき、両者のタイヤが触れ合うどころか、すれ違いながら縦に4つに並びそうなほどの接近戦を演じた。2周目にはベルガーをも攻略し、ウィリアムズ勢に続く3位に浮上した。しかし63周目、マシントラブルでリタイヤとなった(18位完走扱い)。記録には残らないが、記憶に残る走りと言える。
 ザウバーのベンドリンガーがようやく初ポイントをあげた。39歳パトレーゼは、足がつったためにリタイヤ(体調不良)した。

 ■ 7月4日 第8戦 フランス
 7月1日、フェラーリ監督にJ.トッドが就任した。プジョーでコ・ドライバーおよび監督として名を馳せたフランス人である。また、セナはチームと正式に契約を結んだ。
 地元では好調になるリジェが、予選で3位4位につけた。結果、ルノーエンジン勢の予選1〜4位独占となった。リジェの2列目スタートは、'86年以来のことである。PPは、ついにD.ヒルのものになった。
 予選の順位でレースが進む。21周目、ブランデルが周回遅れ処理に失敗、リタイヤを喫した。27周目、タイヤ交換でプロストが先頭に立った。
 中盤、セナがタイヤ無交換作戦でウィリアムズ勢に継ぐ3位に浮上した。しかし、M.シューマッハが迫ってきて、64周目に順位が変わった。

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 ■ 7月11日 第9戦 イギリス
 マクラーレンがフォードの最新型エンジンを装備しはじめた。
 予選でD.ヒルとプロストが激しく争った。残り15分のところで、2台同時アタックを続けて行い、共に先攻のD.ヒルがリードして、後攻のプロストが覆すという攻防だった。結局、互いの地元GPでPPを奪い合う形になった。二人は3位M.シューマッハに1秒以上の差をつけた。そのM.シューマッハ(ベネトン)に1.5秒も差をつけられたのが、A.セナ(マクラーレン)であった。
 レースは、セナが好スタートを見せ、D.ヒル、セナ、プロスト、M.シューマッハの順になる。D.ヒルが差を広げはじめ、現在の通算最多勝の上位3者による、貴重で熾烈な2位争いが繰り広げられた。見ごたえある攻防のあと、10周目頃にセナが4位に落ちた。M.シューマッハは3戦続けてセナをオーバーテイクした(カナダGPはマシントラブル絡み)ことになる。
 独走するD.ヒルは、41周目に昨年のマンセルを上回るファステストラップを記録。しかし翌周にエンジントラブルで無念のリタイヤを喫した。セナも最終周にガス欠を喫した。この影響でR.パトレーゼがやっと表彰台に立った。フットワークも今季初入賞を果たした。J.ハーバートが今季3回目の4位。

 ■ 7月25日 第10戦 ドイツ
 カナダGPから、形の上では暫定出場を続けているハイテク・マシン。FISAとチーム側で話し合いが行なわれ、「今季のハイテク・マシンの出場を認める代わりに、翌年からのハイテクを禁止する」という取引が為された。
 スタート直後、プロストとセナがシケイン進入を争った。セナがスピンし、最後尾に落ちた。翌周、プロストと亜久里がシケインをショートカットし、ペナルティによってこちらも後退した。
 セナもプロストも心のシリンダーには火が灯ったまま、素早い追い上げに転じる。セナは8周目には10位まであがった。ベルガーとブランデルも好ファイトを見せた。
 セナの追い上げは止まらず、14周目には7位に、その後タイヤ交換を利用して、ベルガーとパトレーゼを抜いた。いつも予選上位から上位を走るセナが、後方から一途に追い上げたことで、普段目にしない面々とのバトルが見られたレースであった。
 優勝争いは、残り3周という土壇場、独走するD.ヒルのタイヤがバーストした。ピットまでたどり着こうとするが、やがてスピン、またもや優勝目前でリタイヤとなった。結果、プロストが4連勝を果たした。

 ■ 8月15日 第11戦 ハンガリー
 この年、ここハンガリーやモナコのような低速サーキットにおいて、メゾネット(多段)ウイングが流行った。
 インタビューで、「ここはモナコと同じようにスタートが大事なんだ」と語っていたプロスト、ところがフォーメーションラップでエンストを起こした。最後尾から20周ほどで4位まで追い上げるが、今度は流行のリアウイングが故障した。さらにピットで作業中、D.ヒルがタイヤ交換にやってきて、除け者にされた。これで7周遅れになった。それでも最後にFLを記録して気を吐いた。
 序盤でマクラーレン勢が相次いでスロットル・トラブルでリタイヤし、M.シューマッハも燃料ポンプのトラブルで消えた。D.ヒルが三たび独走する。ライバルは全くいない。今度こその今度こそで初勝利の栄冠をものにした。

 ■ 8月29日 第12戦 ベルギー
 金曜フリー走行のオールージュで、A.ザナルディが大クラッシュを演じた。彼は失神して病院に搬送された。フットワーク勢がアクティブサスの向上で躍進し、鈴木亜久里が予選6位、ワーウィックも同7位につけた。
 決勝レースの10周目頃、セナとM.シューマッハが3位を争っていた。ベネトンはM.シューマッハを早めにタイヤ交換させた。翌周、セナもタイヤ交換するが、まだタイヤが温まっていないピットアウト直後に、M.シューマッハがセナを追い抜いていった。このような、ピット作業を利用しての追い抜き、現代風のオーバーテイクが見られたのも、この1993年頃からであった。
 レース終盤、M.シューマッハは、白煙をあがるほどのブレーキ勝負を制してプロストを抜き去り、2位に浮上した。勝者はD.ヒルであった。鈴木亜久里は14周目に油圧系トラブルでリタイヤに終わった。
 ウィリアムズのコンストラクターズ・タイトルが決定した。予選でバリチェロに離され続けたT.ブーツェンは、この地元での一戦を最後にF1を去ることになった。

 ■ 9月12日 第13戦 イタリア
 惨めな状況が続くフェラーリ、ここモンツァではアレジが予選3位につけた。
 決勝スタートから1コーナーにかけて、隊列の至る所で接触が起きた。セナはD.ヒルに乗り上げて後退した。ブーツェンの代わりにジョーダンのシートを得たM.アピチェラというドライバーは、1コーナーにたどり着く前にレースが終わってしまった。彼はこの一戦のみの参戦に終わる、、、つまり彼のF1キャリアは、この数百メートルだけである。
 9周目、セナがブレーキ操作を誤り、ブランドルに追突し、両者リタイヤとなった。さらに49周目、タイトル目前でプロストがエンジンブローを起こした。しかし圧巻は、C.フィッティパルディが最終ストレートで同僚マルティニと接触し、一回転の宙返りをしながらゴールする場面であった。
 ヒルが3連勝を遂げた。ウィリアムズは7連勝である。アレジは今季最高位の2位でレースを終えた。
 3位はマクラーレンのマイケル・アンドレッティである。'78年の王者、マリオ・アンドレッティの息子で、インディでの成績から活躍を期待された。しかし開幕から連続してスタート直後にクラッシュするなど、不振を極めた。またピットに連れ添う奥さんの言動がチームの不興を買ったともいう。このように、彼はF1の世界になじめないまま、この表彰台を最後にF1を去ることになった。名門チームの有名な二世は、完全に明暗が別れた形になった。

 ■ 9月26日 第14戦 ポルトガル
 プロストが今季限りでの引退を発表した。マクラーレンにM.ハッキネンが登場し、予選でセナを上回る3位につけた。
 フォーメーションラップでD.ヒルが動けず、最後尾に回った。スタートでアレジが一気呵成の勢いで先頭に立った。フェラーリの首位走行は1年ぶりのことである。セナはハッキネンを交わし2位に浮上する。
 19周目、セナがエンジンブローで消えた。ハッキネンはアレジと好ファイトを演じる。が、32周目にクラッシュして、こちらもレースを終えた。タイヤ交換が終わってみると、M.シューマッハが先頭に立っていた。
 61周目、ザナルディの代役でロータスから出場しているP.ラミーがスピンしてレースを終えた。日本の中継では、彼の話をしている最中だった。古館伊知郎は「言ったそばからラミー!!」と叫んだが、この言い方がウケた。
 プロストは2位でタイトルを決めた。D.ヒルは結局3位まで復位してレースを終えた。去りゆくチャンピオンを新時代の二人が称える表彰台であった。

 ■ 10月24日 第15戦 日本
 前GPから4週間後のF1である。この間、セナの翌年のウィリアムズ加入が決まった。バリチェロではない方のジョーダンのシートはころころ変わり、レンタカー状態であった。今回搭乗するのはE.アーバインという北部アイルランドの青年である。また日本の鈴木利男もラルースからデビューした。
 予選はこれまでと異なり、一日目も二日目ベルガーが主導権を握った。彼のタイムを上回るべく、各車が熾烈な争いを繰り広げた。ハッキネンはここでもセナに迫るタイムで3位につけ、才能の片鱗を見せた。
 決勝レースは、またもやセナの好ダッシュでセナ、プロストの順位になり、もう見納めも近い両雄対決となった。一時プロストが先頭に立つ場面もあったが、14周頃、サーキットに雨が降ってきた。こうなると俄然セナの力が増す。20周目のスプーン・コーナーでセナが先頭の座を奪い返した。
 26周目、J-M.グーノンが前代未聞のチームオーダーによるリタイヤを実行した。資金難のミナルディが、雨でマシンを壊されたくないためにリタイヤさせたのである。レース終盤、雨が止んでくると、セナはスリックタイヤに履き替えた。そしてレインタイヤのままのアーバインを周回遅れにしようとした。が、アーバインはこれを拒むような動きを何度も見せた。
 レースはそのままセナが制した。マクラーレンはこれが通算103勝目で、フェラーリの記録に並んだ。
 ジョーダンが、今季の初入賞をバリチェロ5位、アーバイン6位という形で達成した。レース後、アーバインは執拗なブロックのことで、セナにきつい文句を言われた。不敵な態度で返答し、セナに殴られたとも寸前で周囲が止めに入ったとも言われている。後に、独特な個性でパドックにたくさんの話題を振り撒くアーバインの、彼らしいデビュー戦であった。

 ■ 11月7日 最終の第16戦 オーストラリア
 セナが今季初のPPを決めた。片山右京とアーバインが上手くスタートできず、2台を最後尾に回して、それぞれスタートをやり直した。
 レースは、最後のセナプロ対決となった。セナがピット戦略でプロストを追い抜くと、プロストは少し力を緩め、そのままの順位でレースが終わった。マクラーレンは104勝目をあげた。足踏みしているうちに、フェラーリは通算最多勝の座を奪われてしまった。アデレードのチェッカーおじさんは、「セナの最後の勝利のチェッカーを振れたのが誇りだ」と後にコメントした。
 レース後の車両保管所にて、ロン・デニスがセナに促した、「さ、二人で仲良くナ!」。表彰台にて、セナとプロストはガッチリと握手をし、スクラムを組んで、シャンパンをかけ合った。時代は移ろう。かつてのF1を湧かせた大物が少しずつ去っていく。若手が台頭してきた。ルールや戦略にも変化が生じてきた。それでも、いろいろあった主役の二人がこういう結果にたどり着いたのだから、F1の未来は明るい、、、と思える感動的な一幕であった…。

 ■ シーズン後
 この年、'76年チャンピオンのJ.ハントが若くしてこの世を去った。ティレルが初のノーポイントに終わった。
 スクーデリア・イタリアがミナルディへの吸収合併の道を選んだ。'89年、'91年と3位表彰台に立ったこともあり、長年、中堅チームとして踏ん張ってきたが、ハイテク化の波にもまれてしまった。

 ■ サーキットを去るウィナーたち
アラン・プロスト Alain Prost
 1987年から14年ほど通算最多勝の保持者であった。日本では「プロフェッサー(教授)」というあだ名で有名である。、勝つために必要なことを知っていて、きちんと守る走り方が、理知的に見えるためであろう。しかし、雨が降ると上手くいかなくなることが多かった。A.セナとの戦いは、1988年から4回あった。同一ドライバーが4回もタイトル争いをするのは、彼ら二人以外に例が無い。自身の地元とライバルの敵地で強かった。セナとタイトル争いをしているときのブラジル・フランスGPは、8戦で6勝2位1回である。引退後、しばらくはルノーやマクラーレンのアドバイザーを務めた。次に、オーナーとして1997〜2001年にチーム・プロストを率いた。それ以降は、大きな話は無い。
生年月日 1955年2月24日
国籍 フランス
年次主なチーム順位優勝PPFL出走
1980マクラーレン1511
1981ルノー532115
1982ルノー425416
1983ルノー243315
1984マクラーレン273316
1985マクラーレン覇者52516
1986マクラーレン覇者41216
1987マクラーレン43216
1988マクラーレン272716
1989マクラーレン覇者42516
1990フェラーリ25216
1991フェラーリ5115
1993ウィリアムズ覇者713616
513341200


リカルド・パトレーゼ Riccardo Patrese
 実働17年で256戦出走というのは、長らくF1界の記録であった。前述したように、'60年代に活躍したジャッキー・イクスと同じGPを戦い、21世紀に君臨した皇帝ミハエル・シューマッハのチームメイトにもなると考えると、そのキャリアの長さが窺い知れるというものである。しかも、老いてますます盛んであった。99戦のブランク後の勝利(1990年サンマリノGP)という記録を持っている。趣味が鉄道模型集めというお茶目なところも相まって、日本では人気が高い。1994年もシートを探していたものの、サンマリノGPの事故を見て、引退を決意した。
生年月日 1954年4月17日
国籍 イタリア
年次主なチーム順位優勝PPFL出走
1977シャドウ199
1978アロウズ1114
1979アロウズ1914
1980アロウズ9114
1981アロウズ11115
1982ブラバム101215
1983ブラバム911115
1984アルファロメオ1316
1985アルファロメオ-16
1986ブラバム1516
1987ブラバム他1316
1988ウィリアムズ1116
1989ウィリアムズ31116
1990ウィリアムズ71416
1991ウィリアムズ324216
1992ウィリアムズ211316
1993ベネトン516
6814256


ティエリー・ブーツェン Thierry Boutsen
 ベネトンからウィリアムズに移籍した頃、地味ながら堅実に上位を走るスタイルから、「振り向けばブーツェン」と言われた。前述したように、最遅優勝・PP・FLの三冠保持者だった時期があった。ウィリアムズから放出されたあとは入賞1回に留まり、晩節を汚した形になった。引退後は、ビジネスに専念する傍ら、'98年、'99年とルマンに参戦したりもした。
生年月日 1957年7月13日
国籍 ベルギー
年次主なチーム順位優勝PPFL出走
1983アロウズ-10
1984アロウズ1415
1985アロウズ1116
1986アロウズ-16
1987ベネトン816
1988ベネトン416
1989ウィリアムズ5216
1990ウィリアムズ611116
1991リジェ-16
1992リジェ1416
1993ジョーダン-10
311163

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