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  F1今昔物語 1988年 ダイジェスト

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 ■ シーズン前
 全16戦中、11戦が有効。
 ターボエンジンへの規制はさらに強まった。ブースト圧が2.5バールにまで引き下げられ、ターボ搭載車の燃料タンクの容量が195リットルから150リットルに減らされた。有力なターボエンジン勢は、マクラーレン、フェラーリ、ロータス、アロウズらだけになった。実は、燃料搭載量の変化は、2年前のコンストラクター会議でホンダがけしかけたものであった。ここまでブースト圧が引き下げられると、各社のターボエンジンに差がなくなると判断した桜井総監督は、燃費のよいホンダエンジンの特性を活かすべく、このような対抗案を巧みに提案したのであった。こうして、マクラーレン・ホンダが史上空前の成績を残していくシナリオが始まった。
 ホンダエンジンがマクラーレンに供給されることは、前年のうちに発表されていた。マクラーレンには、ロータスからA.セナが加入した。
 ウィリアムズからは、チャンピオンであるN.ピケとホンダ・エンジンが去っていった。フェラーリでは、90歳を迎えたエンツォ・フェラーリ御大の健康が不安視されていた。"お家騒動"の悪い予感が漂っていた。
 新チームが4つ、フル参戦に挑戦してきた。コローニ、リアル、ユーロブルン、スクーデリア・イタリアである。コローニは昨年後半に2戦だけ走った。リアルは元ATSのG.シュミットが率いるチームである。ユーロブルンはスイスの実業家の、スクーデリア・イタリアはイタリアの実業家がジャンパオロ・ダラーラにシャシー制作を依頼したチームである。

チーム/マシン名 エンジン ドライバー 前年は? タイヤ
ロータス 100T ホンダ(V6ターボ) 1、ネルソン・ピケ
2、中嶋 悟
ウィリアムズ
残留
GY
ティレル 017 フォードDFZ(V8) 3、ジョナサン・パーマー
4、ジュリアン・ベイリー
残留
新人
GY
ウィリアムズ FW12 ジャッド(V8) 5、ナイジェル・マンセル
6、リカルド・パトレーゼ
残留
ブラバム
GY
ザクスピード ZK881 ザクスピード(L4ターボ) 8、ピエルカルロ・ギンザーニ
9、ベルント・シュナイダー
リジェ
新人
GY
マクラーレン MP4/4 ホンダ(V6ターボ) 11、アラン・プロスト
12、アイルトン・セナ
残留
ロータス
GY
AGS JH23 フォードDFZ(V8) 14、フィリップ・ストレイフ ティレル GY
マーチ 881 ジャッドV8 15、マウリシオ・グージェルミン
16、イヴァン・カペリ
新人
残留
GY
アロウズ A10B メガトロン(L4ターボ) 17、デレック・ワーウィック
18、エディー・チーバー
残留
残留
GY
ベネトン B188 フォードDFR(V8) 19、アレッサンドロ・ナニーニ
20、ティエリー・ブーツェン
ミナルディ
残留
GY
オゼッラ FA1L オゼッラ(V8ターボ) 21、ニコラ・ラリーニ コローニ GY
リアル ARC1 フォードDFZ(V8) 22、アンドレア・デ・チェザリス ブラバム GY
ミナルディ M188 フォードDFZ(V8) 23、アドリアン・カンポス
24、ルイス-ペレス・サラ
残留
新人
GY
リジェ JS31 ジャッド(V8) 25、ルネ・アルヌー
26、ステファン・ヨハンソン
残留
マクラーレン
GY
フェラーリ F187/88C フェラーリ(V6ターボ) 27、ミケーレ・アルボレート
28、ゲルハルト・ベルガー
残留
残留
GY
ラルース-ローラ LC88 フォードDFZ(V8) 29、ヤニック・ダルマス
30、フィリップ・アリオー
残留
残留
GY
コローニ FC188 フォードDFZ(V8) 31、ガブリエル・タルキーニ オゼッラ GY
ユーロブルン ER188 フォードDFZ(V8) 32、オスカール・ララウリ
33、ステファノ・モデナ
新人
新人
GY
スクーデリア・イタリア-ダラーラ F188 フォードDFZ(V8) 36、アレックス・カフィ オゼッラ GY
 ■ 4月3日 第1戦 ブラジル
 N.マンセルは髭を剃り落としてシーズンに臨んだ。彼は予選2位で、NAエンジン勢にも勝機があるかと思われた。
 スタートでセナのマシンにトラブルが発生し、やり直しとなった。セナはスペアカーに交換し、ピットスタートの最後尾から2位まで、20周たらずで追い上げた。しかし、エンジンストールが起きた。6位で復帰する。31周目、今度は黒旗失格の裁定が下った。グリーンシグナルが灯ってからマシンを交換してはならなかったのである。
 中嶋悟が幸先よく入賞を果たした。が、今季のロータスは車体がいまいちだったようで、入賞はこの一回に終わった。しかし予選の成績が違った。市街地が不得手なのは相変わらずだったが、シングルグリッドを獲得することが増えた。

 ■ 5月15日 第3戦 モナコ
 川井一仁氏が、ピットリポーターとして初めて日本のお茶の間に登場した。
 第2戦で初勝利をあげたセナが、初日から好タイムを連発し、ポールポジションの座についた。2位プロストには1.4秒の差をつけた。そのプロストも3位以下を1秒以上引き離している。
 セナは決勝でもグングンと下位を引き離していき、レース後半、1分近くの差になった。ところが67周目、ポルティエで単独クラッシュを起こし、レースを終えた。首位独走中の運転ミス…、この失敗からセナは、冷静に周囲や自分の操作を意識で理解しながらマシンを走らせることを学んだ。それまでは、常人には想像もつかないような精神状態で、"ただガムシャラに速く"走っていたのだという。

 ■ 6月12日 第5戦 カナダ
 スタートでプロストが先行したものの、19周目、セナがプロストを追い抜いた。両者の"抜きつ抜かれつ"の戦いが、今季はじめて発生した。レースはそのままセナの勝利となった。セナの快進撃が始まった。

 ■ 6月19日 第6戦 アメリカ東
 セナが6連続PP。'74年のN.ラウダ、'59〜'60年のS.モス(インディ500を含めず)に並んだ。速さでは当代一だったのが、史上最高の領域に達しようとしていた。同時に、レースでの勝負強さも身についてきたようで、北米ラウンドを連勝した。
 NAエンジン勢ベネトンのT.ブーツェンが2戦連続で3位表彰台にあがった。
 ミナルディは調子の悪いA.カンポスを解雇し、3年前のデビュー・シーズンに起用したP.マルティニという男を呼び戻した。彼は復帰初戦でミナルディに初ポイントを献上した。今後マルティニは、ミナルディをそこそこ有望な中堅どころまで押し上げ、"Mr.ミナルディ"と称されることになる。
 そのミナルディ時代にリタイヤの山を築いたA.デ・チェザリスは、以後もリタイヤが目立つのものの、新興のリアルに初ポイントをもたらした。入賞が一回きりなのは、昨年と同じである。

 ■ 7月3日 第7戦 フランス
 P.ギンザーニが予選でウェイト・チェックを無視したとして失格となった。
 レースは、このところセナに押され気味だったプロストが燃えた。ピット作業ミスでの後退をものともせず、終盤にセナを追い抜き、地元ファンの声援に応えた。ここまで、マクラーレン・ホンダ勢以外のラップリーダーが現れていない。

 ■ 7月10日 第8戦 イギリス
 マクラーレンのマシンにいつもの調子が見られない。トラブル続出の結果、フェラーリ勢がフロントローに並んだ。また、マーチが5位6位につけた。
 決勝は雨。序盤を先導したベルガーは、14周目にセナに屈した。そのままセナが勝った。
 プロストは、セナに周回遅れにされたあと、25周目にレースを捨てるようにリタイヤした。マンセルはこれまで全戦リタイヤと苦しんでいた。しかし、ここ地元ではファステストラップを記録する走りで、2位のチェッカーを受けた。ベネトンはA.ナニーニも表彰台にあがった。

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 ■ 7月24日 第9戦 ドイツ
 2戦連続の雨のレース。セナは、完璧なレース運びで全周回を1位のままゴールした。PPもセナ、FLもセナで完全勝利達成かというと、そうでもない。ナニーニが40周目に殊勲のファステストラップを記録して、待ったをかけたのだった。

 ■ 8月7日 第10戦 ハンガリー
 フェラーリの創始者、E.フェラーリの容態が悪化した。
 プロストがスペアカーで予選に臨み、7番手に沈んだ。PPはセナだが、ベネトンやウィリアムズなどのNAエンジン勢も速かった。マーチのI.カペリが4位につけた。
 決勝レースでは、プロストがジリジリと追い上げ、中盤にはセナの後ろに達した。今季何度見たかわからない光景である。そして49周目、抜きつ抜かれつのバトルが勃発した。ホームストレートでプロストが詰め、1コーナー、セナは無理にブロックしなかった。プロストが一時先頭に立ったものの、続くコーナーでアウトに膨らみ、セナが抜き返した。そのまま0.5秒差でセナが勝った。
 マンセルが体調不良という理由でレースをストップした。
 レースから一週間後の8月14日、E.フェラーリが死去した。ボスの不在でチームはバラバラになり、スタッフの離脱が相次いだ。

 ■ 8月28日 第11戦 ベルギー
 マンセルは、子供の水疱瘡が伝染して、しばらく休養を取ることになった。ウィリアムズは、M.ブランドルを代役に起用した。次戦での大きなドラマの伏線である。
 セナは危なげないレース展開で、4連勝を遂げた。イギリスでベルガーが序盤をリードした以外は、ラップリーダーもずっと彼だ。シーズンのPP数と勝ち星が、それまでの最多記録に並んだ。プロストもしぶとく2位につけたが、ポイントランキングでの順位も入れ替わった。
 そんなこともあって、マクラーレン・ホンダが早々とコンストラクターズタイトルを決めた。過去最高のポイントを更新した。この2台は無敵だ。G.ベルガーは予選の日が誕生日、インタビューで、欲しいプレゼントを「1台のマクラーレン・ホンダ」と答えた。
 なお、ベネトンの二人が3位4位につけたが、燃料違反が発覚した。12月になって順位が取り消され、以下が繰上げとなった。

 ■ 9月11日 第12戦 イタリア
 成人の水疱瘡は重症になることが多く、マンセルはまだ出場できない。ウィリアムズはジャン・ルイ・シュレッサーというラリー参戦者を代役に起用した。
 レースはセナの独走が続く。追いすがるプロストにはエンジントラブルが発生し、34周目にリタイヤした。ホンダエンジンのトラブルは今季はじめてで、プロストのリタイヤは2回目だ。
 セナのずっと後ろに、ベルガーとアルボレートのフェラーリ勢が走っていた。アルボレートはFLを記録するペースで、ベルガーをけしかけた。でもティフォシは何の期待も抱けない。"何てったって前はマクラーレン・ホンダだし、'79年を最後に、フェラーリは我々地元ファンにぜんぜん勝利をもたらしてくれないのだ…"
 残り2周というところで、セナは周回遅れのJ-L.シュレッサーを追い抜くことになった。慣れないフォーミュラにてこずるシュレッサーは、シケイン進入でミスした。慌てて戻ろうとしたところを、セナが突進、両者接触でリタイヤとなった!
 無敵のマクラーレン・ホンダが消え、ベルガーとアルボレートのフェラーリ2台に、ワンツーフィニッシュの機会が唐突に訪れた。スタンドは歓喜に包まれた。
 J-L.シュレッサーは40歳で、F1はこの1戦のみの参戦で、ほんの助っ人に過ぎない。彼は、20年前、ホンダの不埒な作戦の果てに火災で命を落とした、ジョー・シュレッサーの甥であった。無敵のホンダとマクラーレンは残りも全勝するので、後から見ると、この一戦だけポッカリ穴が開いたように見える。E.フェラーリの死と、シュレッサーの血、阻まれたホンダの全勝、劇的なフェラーリのワンツーフィニッシュ…、これらに何の因縁も見ないというファンはいない。

 ■ 9月25日 第13戦 ポルトガル
 予選で、プロストがセナのタイムを上回った。カペリがとうとう3位に、つまり無敵の連中以外で最速の位置につけた。
 決勝スタート、プロストはセナのラインを封じるべく、マシンを動かした。セナは負けじとアウト(芝生側)から抜いていった。1周目はセナが先頭だった。
 2周目、プロストがセナの背後にピタリとつけた。セナはプロストのラインを封じるべく、イン側(ピットウォール側)へプロストを追い詰めた。これは仕返しにしては危険すぎた。ドライバー同士だけでなく、壁の向こう側の人たちにとっても、惨事の可能性があった。いわゆる"幅寄せ事件"である。
 プロストは辛くも窮地を抜け出し、先頭に立った。彼がラップリーダーとなるのは、3ヶ月近く前のフランスGP以来だ。そのままプロストがレースを制した。カペリが2位。セナは苦戦して6位に終わった。
 それにつけても、この幅寄せは二人の温和な関係に入った、最初のヒビとなった。シーズン前は笑顔で抱負を語り合っていたのが、このときには抑えきれぬ執念で表情もこわばり始めていた。それほどまでに、F1のタイトルとは手にするに厳しいものなのだろうか…。

 ■ 10月2日 第14戦 スペイン
 「イベリア半島シリーズ」と呼ばれる欧州ラウンドの最終戦が、間髪を入れずに行われた。プロストが危なげない展開で勝った。セナはまたもや苦戦し、4位でレースを終えた。4連勝以後、いまいち波に乗り切れない。プロストは連勝して再びポイントリーダーとなった。
 有効得点制が絡んで、タイトルへの計算が複雑になっている。プロストは6勝(54点)・2位6回(36点)で、2位1回分が削られ、84点。セナは7勝(63点)・2位2回(12点)・4位(3点)・6位(1点)で、ストレートに79点。おそらく、2位の回数が同じ数え方をされ、どちらが8勝するか7勝以下に留まるかで、勝負が決するのではないか、と考えられた。

 ■ 10月30日 第15戦 日本
 ラルース-ローラのY.ダルマスが耳の病気で欠場し、日本の鈴木亜久里がスポット参戦でデビューした。中嶋悟が予選6位につけた。が、この日、母親が亡くなるという不幸に遭った。セナ・プロストの順にフロントローで、決戦の舞台が整った。
 ところが、スタート直後、セナのマシンがエンジンストールを起こし、コースの傾斜のおかげで運良く吹き返すというトラブルが起こった。中嶋悟もトラブルで後退した。セナは中団に沈んだ。
 セナは執念で追い上げ、1周目8位、4周目4位、11周目にベルガーを抜いて3位、20周目にカペリを抜いて、チャンピオンへの最後の牙城へレース前半でたどり着いた。その間、NAエンジン勢のカペリが、プロストを追い抜いて1周だけトップランを果たすという、驚きの場面があった。
 小雨が降ってきた。セナはペースを乱さず、プロストとの差を詰めていく。27周目のホームストレートで眼前まで追いつき、翌周の1コーナーでプロストが周回遅れの処理にもたつく間に、これを抜き去った。その順位のままチェッカーが振られた。
 セナが、シーズン8勝目で世界一となった! F1参戦5年目、新チームへ移籍1年目で、二度のタイトルを持つ強者を破っての、初のチャンピオンだった。鈴鹿での日本GPはこのとき2回目で、日本にはまだF1のことをよく知らない人が大勢いたことだろう。鈴鹿がタイトル決定の場となったことで、彼らの目に、新鮮な姿のチャンピオンが焼きつくこととなった。真っ赤なスーツに青い帽子、赤白のマシンに黄色と緑のヘルメット。そのマシンのエンジンは自国のもの…。セナとマクラーレンとホンダは、今後もこの姿で、鈴鹿で様々なドラマ(喜ばしいものも失望させるものも)を演じることとなる。新王者誕生のこの日は、日本でのF1人気がいよいよ大きく燃え上がった瞬間でもあった。
 悲運の中嶋悟も、下位から猛烈な追い上げを見せ、入賞目前の7位でレースを終えた。

 ■ 11月13日 最終の第16戦 オーストラリア
 白熱の予選をセナが制し、レースはプロストが無難に制した。マクラーレン・ホンダは16戦15勝という途方もない記録を達成した。セナのシーズン13PPは、これまでの記録である9回を大きく上回った。プロストは、7勝・2位7回で総得点が105という、異常な安定感を見せた。

 ■ シーズン後
 この年のマクラーレン勢が残した成績で、未だ破られていないものは次のようになる。
     
  •  16戦で15PPおよび15勝、シーズンPP率および勝率が93.75%
  •  16戦でリーダーラップ率97.5%
  •  フロントロー12回
  •  ワンツー・フィニッシュ10回などなど。
 
 このような一強皆弱状態は、'50年代にアルファロメオ、フェラーリ、メルセデス、それから1984年のマクラーレン、1992年のウィリアムズ、2002年・2004年のフェラーリなどがある。しかし、今季のケースは、両ドライバーが熾烈なタイトル争いを繰り広げつつ、つまり本気で走ってマシントラブルが極力起こらずに、これほどの成績を挙げたという点で、他のシーズンとまるで異なる。
 最多得点の者が有効得点制によって敗れるのは、1964年に続いて2度目である。しかし、11点差も覆されるとなると、少し問題かもしれない。
 フジテレビが、3時間を超える総集編を年末に放送しだした。最盛期には4時間を超えることもあったこの番組は、名作家による名文句、名ナレーションが散りばめられていて、何とも言えない魅力をたたえていた。現在でも放送が続いていて、日本のF1人気の屋台骨の一つとなっている。

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