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  F1今昔物語 1974年 ダイジェスト

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 ■ シーズン前
 昨年秋のオイルショックを受けてのシーズンである。前半8戦中7戦、後半7戦中6戦が有効得点である。
 この年は選手の大きな移籍が相次いだ。ラウダがフェラーリに抜擢され、E.フィッティパルディがマクラーレンへ。空いたロータスの席にはイクスが座った。ティレルはシェクターとドゥパイエの若手を揃えた。
 ヘスケスが自製マシンを用意して参戦してきた。ドライバーはハントで変わらず。後にペンスキー、パーネリやエイモンといったチームも参戦してくる。この年、F1にエントリーしたコンストラクターは実に20を数えた。'61年のエンジン改定以降、大体10チーム前後で推移していたものが、いきなり倍近くになった。
 マクラーレンがマルボロカラーになった。ここ数年、惨めな戦績が続いたフェラーリは、他のカテゴリーへの出場を止め、F1だけに専念することにした。新たなディレクターにルカ・ディ・モンテゼモロが就いた。

ワークス・チーム エンジン ドライバー 前年は? タイヤ
ロータス フォードDFV(V8) ロニー・ペテルソン
ジャッキー・イクス
残留
フェラーリ
GY
ティレル フォードDFV(V8) ジョディー・シェクター
パトリック・ドゥパイエ
マクラーレン
新人
GY
マクラーレン フォードDFV(V8) エマーソン・フィッティパルディ
デニス・ハルム
マイク・ヘイルウッド
ロータス
残留
サーティース
GY
ブラバム フォードDFV(V8) カルロス・ロイテマン
カルロス・パーチェ
残留
サーティース
GY
マーチ フォードDFV(V8) ハンス・ヨアヒム・シュトゥック
ヴィットリオ・ブランビラ
新人
新人
GY
フェラーリ フェラーリ(F12) クレイ・レガッツォーニ
ニキ・ラウダ
BRM
BRM
GY
BRM BRM(V12) J-P.ベルトワーズ
アンリ・ペスカローロ
フランソワ・ミゴール
残留
復帰
新人
FS
シャドウ フォードDFV(V8) ピーター・レブソン
J-P.ジャリエ
トム・プライス
マクラーレン
マーチ
新人
GY
サーティース フォードDFV(V8) カルロス・パーチェ
ヨッヘン・マス
残留
新人
FS
ヘスケス フォードDFV(V8) ジェームズ・ハント 残留 FS
ウィリアムズ フォードDFV(V8) アルトゥーロ・メルヅァリオ
ジャック・ラフィー
フェラーリ
新人
FS
プライベーター 車体/エンジン ドライバー 前年は? タイヤ
エンバシー・ヒル ローラ・フォードDFV(V8) グレアム・ヒル
他多数
残留
 
FS
ゴルディ・ヘクサゴン ブラバム・フォードDFV(V8) ジョン・ワトソン 新人 FS


 ■ 1月13日 第1戦 アルゼンチン
 地元の若手であるロイテマンがレースの大半をリードしたが、残り2周というところでマシントラブルに襲われ、後退した。その後、老練のハルムが勝利を収めた。…という事態だけ見ると、昨年のスウェーデンと似ている。

 ■ 3月30日 第3戦 南アフリカ
 前年2勝したP.レブソンは、今季はシャドウに迎え入れられた。新興チームの初勝利の期待が懸かっていたと思われる。しかし、この決勝の1週間前のテストで事故死してしまった。シャドウのカーナンバー16は、B.レッドマンがしばらくドライブしたのち、T.プライスが引き継ぐことになる…。
 ロイテマンは、地元での終了直前に逃した初優勝のチャンスを、すぐさま自分のものにした。これも昨年のペテルソンと同様のことである。ブラバムの勝利は、'70年開幕戦以来のことである。

 ■ 4月28日 第4戦 スペイン
 天候の変化を上手く読んで、フェラーリがワンツーフィニッシュを遂げた。3位以下はラップ遅れであった。一昨年ドイツ以来23戦ぶりの勝利であり、その間の揉めごとを考えると、爽快な復活と言っていいだろう。ピットクルーは大はしゃぎでラウダを肩車し、シャンパンが派手に抜かれた。
 これでラウダはフェラーリのドライバーとしての存在感を濃くし、デビュー前に自身で大っぴらに予想したように、F1界でその地歩を固めていった。この頃になると、誰もラウダのことを口先だけのドライバーとは思わなくなっていた。

 ■ 5月12日 第5戦 ベルギー
 ラウダはここでも勝利に迫る勢いを見せたが、E.フィッティパルディが0.35秒差で振り切った。まっすぐに左手をあげてチェッカーを受ける勝者の写真が残っている。

 ■ 6月9日 第7戦 スウェーデン
 これまで5、3、2と順位を上げてきていたシェクターが初優勝を遂げた。初優勝は、ロイテマン、ラウダに続いて今季3人目である。2位にはドゥパイエが入ってワンツーフィニッシュとなった。シェクターは第11戦まで連続入賞を続け、チャンピオン争いでの存在感を大きくしていく。スチュワートやセベールが去っても、ティレルはまだまだ有力チームであった。

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 ■ 7月7日 第9戦 フランス
 ☆ディジョン…ワインの産地ブルゴーニュに位置する。クレルモン・フェランに替わって、'84年までポールリカールと交互に開催された。3.8Kmを80回ほど回るので、かなりの短距離多周回サーキットである。

 ■ 7月20日 第10戦 イギリス
 上位を走っていたラウダが、残り2周というところでタイヤの不調から緊急ピットインを強いられた。このときピットロードにレースの終わりを間近で見届けようとする観客が押し寄せていて、ラウダはコースに戻れなくなってしまった。そして、そのままレースが終わった。フェラーリから物言いがつき、2ヵ月後にラウダの「架空の1周」が認められた。順位が9位から5位に繰り上がった。
 審議の間のレースで、ラウダはPPを獲り続けながらも、決勝はリタイヤしまくった。本戦の時点で、チャンピオン争いはラウダをはじめとする4者が拮抗していたが、ラウダはこの事件の影響からか、完全に勢いを失ってしまった。

 ■ 8月4日 第11戦 ドイツ
 ここまで11戦で9回入賞していたレガッツォーニが、今季初優勝を達成して、ランキング・トップに踊り出た。
 また、イギリスとここドイツには、日本のチーム「マキ」がエントリーした。予選でドライバーのH.ガンリーがクラッシュして、足を折ってしまい、決勝出走は適わなかった。

 ■ 9月8日 第13戦 イタリア
 プライベート・ブラバムを駆るJ.ワトソンの予選4位が光る。チャンピオン争いの4人の間に、ブラバムの3人が割って入る形になった。
 しかし決勝はペテルソンが制した。今季3勝目。しかし新車の76が不調で、夏に5年ものの72に換えるなど、いまひとつ波に乗り切れなかった。

 ■ 10月6日 最終の第15戦 アメリカ
 オーストリアの若手、ヘルムート・コイニクのマシンがブレーキ(もしくはスロットル)の破損によってコントロールを失い、ガードレールをくぐり抜けた。彼は首を切断して死んだ。昨年に引き続いて、ワトキンズ・グレンでの悲惨な死亡事故となった。
 最終戦は、ブラバムがワンツーフィニッシュを決めて、復活を確かなものとした。ワンツーフィニッシュは今季3チーム目である。
 チャンピオン争いは、E.フィッティパルディとレガッツォーニ、シェクターの3人に可能性があった。第10戦終了時点で4者がほぼ横並びの状態であった。このなかで最もポイントを伸ばしたのがフィッティパルディで、最終戦でも手堅く4位に入り、2度目の王座に輝いた。
 F1のドライバーズタイトルは、'68年からコリン・チャップマンのロータスのメンバーと、ケン・ティレルのメンバー(つまりジャッキー・スチュワート)とが1年交代で3回ずつ分け合った。その間、力をつけていたのがマクラーレンで、今季はダブルで初タイトルとなった。

 ■ シーズン後
 2年連続で、ダントツで最多PPを誇る若手が、信頼性の欠如に涙を呑んだチャンピオンシップであった。
 混戦模様となった今季はまた、唯一(2006年現在で)連勝した者がいないシーズンとなった。E.フィッティパルディの55点という得点は、開催数や得点制度の関係で判りづらいが、5本の指に入るくらい低いものである。ドライバーの全得点((9+6+4+…+1)×15)におけるシェアを見ると14.7%で、これは、'82、'81、'70年に次いで、低いものである。
 有力チームが全てグッドイヤーを用いた結果、タイヤ戦争は終局を迎えた。グッドイヤーの全勝で、翌年からグッドイヤーのワンメイク時代がはじまる。有り余るエンジンパワーを上手く路面に伝えるために、タイヤと空力の面でイノベーションが進んだのが、これまでの3リッター時代であった。そして、タイヤの面ではいったん競争が収まり、技術者の目が空力の方へ集中的に向けられていくのが今後の傾向である。すなわち、ダウンフォースを最大限に得るために、これまでよりもいっそう様々な工夫が施されていくのである。

 ■ サーキットを去るウィナーたち
デニス・ハルム Denis Hulme
 '67年チャンピオンのD.ハルムが引退した。F1引退後も生涯レーサーであり続けた。彼の最期は次のようなものである。1992年、オーストラリアでのバサースト1000において、当に走行中に彼は心臓発作に襲われた。慌てずにコースアウトして草地にゆっくりとマシンを止めると、マーシャルが駆けつけたときには、既に息絶えていたのだという。庶民的なムードで穏やかな性格のハルムは、他のチャンピオンにあるようなコワモテの一面を見受けにくかった。しかし、レース前にコースを見て回っているときや、ピットに寝転がって神経の昂揚を静めているときなどは、鋭く引き締った表情になったという。
生年月日 1936年6月18日
没年月日 1992年10月4日
国籍 ニュージーランド
年次主なチーム順位優勝PPFL出走
1965ブラバム116
1966ブラバム419
1967ブラバム覇者2211
1968マクラーレン3212
1969マクラーレン6111
1970マクラーレン411
1971マクラーレン9110
1972マクラーレン31112
1973マクラーレン611315
1974マクラーレン71115
819112


ジャン・ピエール・ベルトワーズ Jean-Pierre Beltoise
生年月日 1936年4月26日
国籍 フランス
年次主なチーム順位優勝PPFL出走
1967マトラ-2
1968マトラ9212
1969マトラ5111
1970マトラ913
1971マトラ227
1972BRM111111
1973BRM1015
1974BRM1314
10484


ピーター・ゲシン Peter Gethin
生年月日 1940年2月21日
国籍 イギリス
年次主なチーム順位優勝PPFL出走
1970マクラーレン227
1971マクラーレン
BRM
9111
1972BRM2010
1973BRM-1
1974ローラ-1
10030


ピーター・レブソン Peter Revson
 南アGP前のテストで死んだレブソンは、'64年に少しだけF1を走っている。このときは、レブロン化粧品社長の子息として、「お坊ちゃま」的な見方しかされなかったようだ。'69年からインディ500にも参戦し、'71年には2位になったこともある。昨年のF1は大活躍で2勝をあげた。化粧品会社の御曹司という肩書きも、このときに打ち負かしたと言っていいだろう。兄のダグラスもレーサーで、'67年に事故死している。
生年月日 1939年2月27日
没年月日 1974年3月22日
国籍 アメリカ
年次主なチーム順位優勝PPFL出走
1964ロータスpvt-4
1971ティレル-1
1972マクラーレン519
1973マクラーレン5214
1974シャドウ-2
21030

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