- ■ シーズン前
- 前半8戦中7戦、後半7戦中6戦が有効得点である。
- R.ペテルソンがロータスに移籍した。マーチはF2活動を中心に据えている。レガッツォーニもBRMに移籍した。シャドウというコンストラクターがUOP石油をスポンサーにして進出してきた。自チームをつくったG.ヒルもこのシャドウに乗って出場した。
- マクラーレンは、'77年中盤まで戦闘力を保った名車、M23を開発した。
| ワークス・チーム |
エンジン |
ドライバー |
前年は? |
タイヤ |
| ロータス |
フォードDFV(V8) |
エマーソン・フィッティパルディ ロニー・ペテルソン |
残留 マーチ |
GY |
| ティレル |
フォードDFV(V8) |
ジャッキー・スチュワート フランソワ・セベール |
残留 残留 |
GY |
| マクラーレン |
フォードDFV(V8) |
デニス・ハルム ピーター・レブソン ジョディー・シェクター |
残留 残留 新人 |
GY |
| フェラーリ |
フェラーリ(F12) |
ジャッキー・イクス アルトゥーロ・メルヅァリオ |
残留 新人 |
GY |
| サーティース |
フォードDFV(V8) |
マイク・ヘイルウッド カルロス・パーチェ |
残留 ウィリアムズ |
FS |
| マーチ |
フォードDFV(V8) |
J-P.ジャリエ 他多数 |
新人 |
GY |
| BRM |
BRM(V12) |
クレイ・レガッツォーニ J-P.ベルトワーズ ニキ・ラウダ |
フェラーリ 残留 マーチ |
FS |
| ブラバム |
フォードDFV(V8) |
カルロス・ロイテマン ウィルソン・フィッティパルディ アンドレア・デ・アダミッチ |
残留 残留 サーティース |
GY |
| イゾ・ウィリアムズ |
フォードDFV(V8) |
ハウデン・ガンリー 他多数 |
BRM |
FS |
| シャドウ |
フォードDFV(V8) |
ジャッキー・オリバー ジョージ・フォルマー |
BRM 新人 |
GY |
| プライベーター |
車体/エンジン |
ドライバー |
前年は? |
タイヤ |
| ヘスケス |
マーチ・フォードDFV(V8) |
ジェームズ・ハント |
新人 |
FS |
| エンバシー・ヒル |
シャドウ・フォードDFV(V8) |
グレアム・ヒル |
ブラバム |
GY |
- ■ 2月11日 第2戦 ブラジル
- ☆インテルラゴス…セナの故郷、サンパウロ近郊にあるバンピーな路面の中速サーキット。左回りというのが何といっても特徴的である。80年代はリオデジャネイロが使用され、ここはお休みとなった。90年代になると、レイアウトが若干短縮されて復活した。別称カルロス・パーチェ・サーキット。
- チャンピオンの座についたフィッティパルディは、サッカーのペレと並ぶ人気者となった。同郷の新人パーチェもハッスルして一時2位を走ったため、サーキットでは大変な歓声があがったという。
- ■ 3月3日 第3戦 南アフリカ
- D.ハルム初の、そして唯一のPPである。'67年の彼はPP数ゼロのチャンピオンだったのだ。
- 多重事故から火災が発生した。M.ヘイルウッドが炎のなかからC.レガッツォーニを助け出すという勇敢な行為があった。
- ■ 4月29日 第4戦 スペイン
- このレース以後、フェラーリの出場が不規則的になり、シーズン終盤にはイクスがチームを離脱してしまう。翌年、フェラーリは他のカテゴリーへの出場を止め、F1だけに専念することになる。
- 3位に入ったのは、昨年のCan−Amレースのチャンピオン、ジョージ・フォルマーである。シャドウはデビューから2戦連続の入賞を果たした。上々の滑り出しと言えよう。
- ☆Can-Amシリーズ…今は昔、Can-Amシリーズというレースイベントがあった。カナダとアメリカが舞台だった。エンジン排気量無制限でオープン2シーター(二人乗り)。5リッター6リッターなどキワモノ的マシンが数多く登場した。四つの車輪にエンジンをとりつけたものもあったという。マクラーレンがF1チームでは最初にこのレースに目を向け、発足直後の60年代後半から他を圧倒する強さを見せた。そして、1972年のフォルマーの優勝によって、ポルシェに覇権が移った。ポルシェはマクラーレンよりさらに他を圧倒する強さを見せたため、レースが面白くなくなり、観客がそっぽを向いて、イベントが消滅してしまった。
- ■ 5月20日 第5戦 ベルギー
- ☆ゾルダー…緑豊かな林に囲まれたサーキット。'73〜'84に10回開催された。その間、ドライバーを霧で苦しめることが多かった。
- ■ 6月3日 第6戦 モナコ
- 6戦を終えて、スチュワートとフィッティパルディが3勝ずつ、ポイントでも両雄が抜きん出ていた。ここまで3PPという速さを見せていたペテルソンが、本戦でやっと完走と入賞を果たした。以後しばらく、彼をはじめとした多くの若手・新人たちの活躍が続く。
- ■ 6月17日 第7戦 スウェーデン
- ☆アンデルストープ…スウェーデンの森の中に、'68年に建設されたサーキット。一部、小型飛行機の滑走路を利用している。ホームストレートとピットが1キロほど離れたところにあるのも特徴である。'78年の悲しい出来事のあと、スウェーデンGPは開催されなくなって久しい。
- 地元のヒーロー、R.ペテルソンがPPスタートから延々と先頭を走った。今シーズン何度か見た光景である。しかし、残り2周というところでベテランのD.ハルムがこれを抜いた。
- ■ 7月1日 第8戦 フランス
- ドライバーのリッキー・フォン・オペルがモーリス・ナンにマシン制作を依頼し、エンサインと名乗ってF1に参戦してきた。リッキー・フォン・オペルは、ドイツの自動車メーカー、「オペル」の御曹司である。F1ドライバーとしては大成できず、翌年引退した。チーム・エンサインの方は、マカオの実業家、テディ・イップが資本投下し、初の東洋人F1オーナーとして、しばらく戦いつづける。
- 今度は、デビュー3戦目のマクラーレンのJ.シェクターが予選2位からトップを快走した。しかし終盤に差しかかった頃、追いついたフィッティパルディと絡んで共にリタイヤとなった。替わって先頭に立ったのがペテルソン、地元で逃した初優勝を直後のフランスの地で果たした。
- ■ 7月14日 第9戦 イギリス
- 決勝2周目、注目のJ.シェクターがウッドコートで大スピンを演じ、後続の20台余が甚大な被害を受けた。本来のレース展開が余りにも大きく損なわれたので、F1史上初の赤旗中断となった。
- 再スタート後、順調に連勝街道を走るペテルソンを、今度はマクラーレンのピーター・レブソンが中盤に下して初勝利を遂げた。ファステストはプライベート・マーチのJ.ハントが記録した。N.ラウダも非力なBRMで奮闘している。カナダでは序盤にレースをリードした。C.パーチェもサーティースを駆ってファステストを連発しだす。
- なんということだろう。若き俊英たちが続々と登場してくる。ついこの前まで、E.フィッティパルディやC.レガッツォーニやF.セベールが、その意味で騒がれていたのに…。ただし、レブソンはもう、'64年に少しばかり出走していて、年齢も33歳と若くはない。
- ■ 7月29日 第10戦 オランダ
- マーチからデビューを果たしたばかりのロジャー・ウィリアムスンが、クラッシュ・炎上によって死亡した。管理人は、この事故の模様を映像を見たことがある。同じマーチのデイビッド・パーレイが、燃えさかるマシンに駆け寄って決死の救出を試みた。炎をもろともせず、ひっくり返ったマシンを元に戻そうとしたが…。このパーレイと第3戦のヘイルウッドの勇敢な行動には、後にイギリス政府からメダルが授与された。
- 亡くなったウィリアムスンは、前年のF3チャンピオン、享年25歳。助け出そうとしたパーレイにも物語がある。冷凍機器のLECの御曹司であり、プライベート・マーチに乗って前年にデビューした。'77年に大事故によって選手生命を断ち切られた。後にアクロバット飛行に転向。そして'85年、演技中の事故により死亡したのである。高層ビルの解体員や空挺部隊といった仕事も手がけるなど、「スリル」を求める性格だったらしい…。
- J.スチュワートの勝ち星が、クラークを上回る歴代最多の26勝目に達した。
- ■ 9月9日 第13戦 イタリア
- 急進的に力をつけてきたR.ペテルソンと新王者のE.フィッティパルディ。前GPでは先頭を走る2台にチームオーダーが出され、フィッティパルディは先頭の位置をチームメイトから譲り受けた。しかし終盤にマシントラブルから脱落し、結局ペテルソンが勝つという勢いの差が見られた。これで、フィッティパルディの連続王座は剣が峰に立たされた。
- 迎えた本戦ではチームオーダーが出されず、両者の真剣勝負となった。この戦いにフィッティパルディは敗れ、タイトルを逃した。スチュワートの3度目の王座が決定した。
- ■ 9月23日 第14戦 カナダ
- 雨でレースが混乱した。シェクターがまたしても他車との衝突を起こし、珍しくペースカーが出動した。その間もタイヤ交換が度重なり、各車のラップチャートが正しく記録されなかった。レース後しばらくしてからの順位の改定を経て、このレース結果に定められた。
- 前述したように、ラウダが序盤にトップを快走し、翌年のフェラーリ抜擢のきっかけをつくった。
- ■ 10月7日 最終の第15戦 アメリカ
- グランプリ100戦目となるこの最終戦を以って、J.スチュワートはドライバーとしての引退を決めていた。チームのことは、安心して後輩のF.セベールに任せることができた。セベールはスチュワートの引退の意向を前から知っていたのか、今季、彼と接近している場面で争うことをしなかった。スチュワートとセベールのワンツーフィニッシュは、3度を数えた。チームオーダーによって、そうなったのではないという。グランプリを去る偉大な先輩に対して気を遣っていたのである。世界のF1ファンは、翌年に向けて、フィッティパルディとペテルソンとセベールの'70年デビュー・トリオによるチャンピオン争いを期待することができた。
- ところが、予選も残り5分となったところで惨劇が起きた。セベールの乗ったマシンが、逆さまになってガードレールに突っ込み、ドライバーの身体を滅茶苦茶に引き裂いた。事故現場は凄惨で、ピットに戻ってきたドライバーたちは、一様に顔面蒼白になってマシンを降りた。ティレルは決勝の出場を辞退した。拮抗していたコンストラクターズ選手権は戦うことなく決着がついてしまった。
- ■ シーズン後
- ロータスは7勝してコンストラクターズタイトルを守った。ドライバーとコンストラクターでタイトルが異なるのは、'58年の選手権初年度以来のことである。
- エンジンで見ると、フォードDFVエンジンの全勝という結果になった。1969年に続いて2度目。フェラーリやBRMの調子が悪いとこうなる。表彰台とFLも全てDFV勢が占め、PPを逃したのも初戦の1回だけであった。
- 中東での紛争勃発による石油危機が世界の政治経済を襲った。モータースポーツ自粛の動きもいくつか見られたが、F1においては比較的、動揺は小さかったのではないだろうか。
- ■ サーキットを去るウィナーたち
- ジャッキー・スチュワート Jackie Stewart
生年月日 1939年6月11日
国籍 イギリス
| 年次 | 主なチーム | 順位 | 優勝 | PP | FL | 出走 |
| 1965 | BRM | 3 | 1 | | | 10 |
| 1966 | BRM | 7 | 1 | | | 8 |
| 1967 | BRM | 9 | | | | 11 |
| 1968 | マトラpvt | 2 | 3 | | 2 | 10 |
| 1969 | マトラpvt | 覇者 | 6 | 2 | 5 | 11 |
| 1970 | マーチpvt ティレル | 5 | 1 | 4 | | 13 |
| 1971 | ティレル | 覇者 | 6 | 6 | 3 | 11 |
| 1972 | ティレル | 2 | 4 | 2 | 4 | 11 |
| 1973 | ティレル | 覇者 | 5 | 3 | 1 | 14 |
| 計 | | | 27 | 17 | 15 | 99 |
- フランソワ・セベール François Cevert
生年月日 1944年2月25日
没年月日 1973年10月6日
国籍 フランス
| 年次 | 主なチーム | 順位 | 優勝 | PP | FL | 出走 |
| 1970 | マーチpvt | 22 | | | | 9 |
| 1971 | ティレル | 3 | 1 | | 1 | 11 |
| 1972 | ティレル | 6 | | | | 12 |
| 1973 | ティレル | 4 | | | 1 | 14 |
| 計 | | | 1 | 0 | 2 | 46 |
|