- ■ シーズン前
- 前半6戦中5戦、後半5戦中4戦が有効得点である。この年はメキシコGPとベルギーGPも開催される予定ではあった。メキシコはドライバーの死によって、ベルギーの方は安全問題の浮上によって、中止の運びとなった。スパの危険性を指摘したのは、J.スチュワートであった。彼は、この年からGPドライバーズ協会の会長になっていた。彼はスパで'66年にスピンし、軽傷を負ったことがある。スチュワートは、ライバルであるイクスの地元GP(シーズン序盤に開催される)を密かに阻止した、と言えるかもしれない。
- ロータスは、また驚くようなニューマシンを開発してきた。ガスタービン・エンジン搭載と4輪駆動の56Bである。ジェットエンジンの高圧噴射ガスをタービンの回転に使うもので、無音で、マシン後方から陽炎をあげながら走った。インディ500では勝機を見出せたこともあったようだが、曲がりくねったサーキットを走るF1では8位が最高位という結果に終わった。他の追従もなかったので、"革新的新技術の第4弾"とはとても言えない。
- 昨年後半の勢いを維持できるのであれば、フェラーリはチャンピオンに最も近い存在であろう。
- ティレルは、車体製造のコンストラクターとしては新参者だが、チームとしては王者の実績を'69年に築き上げている。マシンはデレッグ・ガードナー設計。スポーツカーの形状のノーズと、エンジンの上部に取り付けられたエアボックスが、何といっても特徴的である。これは効果抜群でもあったので、シーズン中に早速、他チームにも広まった。
- マーチは若手中心のドライバー体制に変えてシーズンを戦う。ウイングが奇妙なお盆の形をしている。
ワークス・チーム |
エンジン |
ドライバー |
前年は? |
タイヤ |
ロータス |
フォードDFV(V8) |
エマーソン・フィッティパルディ レイネ・ウィセル |
残留 残留 |
FS |
フェラーリ |
フェラーリ(F12) |
ジャッキー・イクス クレイ・レガッツォーニ マリオ・アンドレッティ |
残留 残留 マーチ |
FS |
マーチ |
フォードDFV(V8) |
ロニー・ペテルソン 他多数 |
残留 |
FS |
ブラバム |
フォードDFV(V8) |
グレアム・ヒル ティム・シェンケン |
ロータスpvt 新人 |
GY |
マクラーレン |
フォードDFV(V8) |
デニス・ハルム ピーター・ゲシン |
残留 残留 |
GY |
BRM |
BRM(V12) |
ペドロ・ロドリゲス ジョセフ・シフェール 他多数 |
残留 マーチ |
FS |
マトラ |
マトラ(V12) |
クリス・エイモン J-P.ベルトワーズ |
マーチ 残留 |
GY |
サーティース |
フォードDFV(V8) |
ジョン・サーティース ロルフ・シュトメレン マイク・ヘイルウッド |
残留 ブラバム 復帰 |
FS |
ティレル |
フォードDFV(V8) |
ジャッキー・スチュワート フランソワ・セベール |
残留 マーチ |
GY |
プライベーター |
車体/エンジン |
ドライバー |
前年は? |
タイヤ |
フランク・ウィリアムズ |
マーチ・フォードDFV(V8) |
アンリ・ペスカローロ |
マトラ |
GY |
- ■ 3月6日 第1戦 南アフリカ
- マリオ・アンドレッティの初勝利である。アメリカでのレース活動の方に重点を置いていて、スケジュールが空いたときだけF1に参戦している。
- ■ 5月23日 第3戦 モナコ
- 予選後のプレスカンファレンスでのことである。2位イクスを1秒以上リードしてPPをとったスチュワートは、「明日のレースは自分が勝つ」と優勝宣言をした。彼がそんな勝気なことを言うのは稀である。当時の状況に相当に自信があったのだろう。事実そのとおり、彼の予言はスタートからゴールまで1周たりとも脅かされることがなかった。
- このレースには主役がもう一人いる。マーチで2年目のスウェーデン人、ロニー・ペテルソンである。予選中盤からスタートし、BRM勢やフェラーリといった強豪を次々と追い抜いていって2位に入り、注目を集めた。
- ■ 7月4日 第5戦 フランス
- ☆ポールリカール…食前酒メーカーの資金でつくられた。レース好きの社長の名前がそのままサーキット名となっている。路面はフラットで、コース前半は高速で後半はテクニカルとなる。フランス初のレース専用サーキットである。コマーシャル時代を迎え、公道を使う古いものから、設備の整った新しい専用サーキットが多く使用されるようになる。
- こうした動きは、ドライバーの安全性を高める意味でも、GP全体に求められた。ドライバーの安全問題に一番初めに目を向けたのは、ジャッキー・スチュワートであった。50年代、60年代に活躍した多くのドライバーは、ひたすら速く走り、レースに勝つことが最大の関心だった。スチュワートはそれだけでなく、ドライバーの立場を少しでも有利にするべく努力した。安全性に関する提言は現在まで続いている。
- ■ 7月17日 第6戦 イギリス
- 決勝の6日前のことになるが、ペドロ・ロドリゲスがドイツでのスポーツカーレース参戦中にクラッシュし、死亡した。9年前の弟リカルドと共に、F1以外のレースに借り物のマシンを走らせた上での悲劇であった。地元のドライバーが他界したことで、この年のメキシコGPは中止に追い込まれた。後にメキシコGPのサーキットは、この兄弟の名で呼ばれるようになった。
- ■ 8月15日 第8戦 オーストリア
- ロドリゲスのチームメイトであるジョセフ・シフェールが、完全勝利で通算2勝目を挙げた。イクスやペテルソンが勝たなかったことで、早くも年間王者が決定してしまった。
- フェラーリのイクスは、オランダでの勝利の後、4戦連続でリタイヤしている。次戦では前年のマシンを持ち出してきたが、またリタイヤする。工場でストライキが起きるなど、ゴタゴタが続いた一年となった。フェラーリは一年おきにチームとしての不調に襲われている。'67年、'69年も同じようにゴタゴタがあり、'73年には活動を縮小することになる。
- ■ 9月5日 第9戦 イタリア
- 実に26回もラップリーダーがかわり、最後まで数珠繋がりでフィニッシュした史上名高い白熱レースである。1位と2位の差は史上最僅差の0.01秒、しかも5位までが0.6秒差という大接戦であった。実力者が軒並みリタイヤしたので、その顔ぶれもいつもと変わっている。また、この時の優勝平均速度が242.616Km/hで史上最速を誇っている。それから、C.レガッツォーニが予選8位から1周目1位通過を果たした。これも'62年ベルギーGPのクラークと並んで、最高(最低位?)の記録である。そういう記録づくめの一戦であった。
- 優勝したピーター・ゲシンは、このレース以外は全く目立たない戦績のドライバーだ。優勝を経験したドライバーの中で、1位周回が3周というのは最も少ない。ちなみに、これに続くのは、J.マスの5周、G.バゲッティの7周、O.パニスの16周である(2006年現在)。これと対称的なのがクリス・エイモンで、183という1位周回数で未勝利である。ゲシンは最後の3周になって集団の先端に踊り出て勝った。エイモンは最初から大半をトップで走り抜けたのち後退・リタイヤ、というレースが多々あった。これもF1である。
- BRMの連勝は、G.ヒルとスチュワートが強かった'65年以来のことである。最終戦でもシフェールは2位に入り、この勢いならば翌年以降の王者への返り咲きも在り得たかもしれない。しかし、シーズン後にBRMは第2の悲劇に遭った。P.ロドリゲスの死によるメキシコGPの中止を受ける形で、イギリスで非選手権戦が催された。そこでシフェールも事故死したのである。
- ■ 10月3日 最終の第11戦 アメリカ
- ティレルのナンバーツー、フランソワ・セベールが勝った。ペテルソンもシーズン終盤、表彰台に立ち続け、この二人は年間ランキングでも上位に入った。
- ■ シーズン後
- ロータスの年間未勝利は、'60年の初勝利以来のことである。一騎打ちとなったタイヤ戦争は、グッドイヤー7勝、ファイアストン4勝となった。
- ■ サーキットを去るウィナーたち
- ジョセフ・シフェール Joseph Siffert
生年月日 1936年7月7日
没年月日 1971年10月24日
国籍 スイス
年次 | 主なチーム | 順位 | 優勝 | PP | FL | 出走 |
1962 | ロータスpvt | - | | | | 3 |
1963 | ロータスpvt | 15 | | | | 9 |
1964 | ブラバムpvt | 10 | | | | 10 |
1965 | ブラバムpvt | 11 | | | | 10 |
1966 | クーパーpvt | 14 | | | | 8 |
1967 | クーパーpvt | 11 | | | | 10 |
1968 | ロータスpvt | 7 | 1 | 1 | 3 | 12 |
1969 | ロータスpvt | 9 | | | | 11 |
1970 | マーチ | - | | | | 12 |
1971 | BRM | 4 | 1 | 1 | 1 | 11 |
計 | | | 2 | 2 | 4 | 96 |
- ペドロ・ロドリゲス Pedro Rodriguez
生年月日 1940年1月18日
没年月日 1971年7月11日
国籍 メキシコ
年次 | 主なチーム | 順位 | 優勝 | PP | FL | 出走 |
1963 | ロータス | - | | | | 2 |
1964 | フェラーリ | 19 | | | | 1 |
1965 | フェラーリ | 14 | | | | 2 |
1966 | ロータス | - | | | | 3 |
1967 | クーパー | 6 | 1 | | | 8 |
1968 | BRM | 6 | | | 1 | 12 |
1969 | BRM フェラーリ | 13 | | | | 8 |
1970 | BRM | 7 | 1 | | | 13 |
1971 | BRM | 9 | | | | 5 |
計 | | | 2 | 0 | 1 | 54 |
- ヨアキム・ボニエ Joakim Bonnier
- 1959年、BRM初優勝の立役者となったヨアキム・ボニエがF1を去った。スウェーデンからはR.ペテルソンが登場し、国の威信は彼に任せることが出来た。翌'72年のル・マンでのことである。強いポルシェやフェラーリをマシン規定で追い出し、ポンピドー大統領をフラッグ係に招き、地元のマトラが勝つという、フランス国民のために用意されたような熱狂のなか、ローラに乗るボニエは、激しいクラッシュを起こし、還らぬ人となってしまった。
生年月日 1930年1月31日
没年月日 1972年6月11日
国籍 スウェーデン
年次 | 主なチーム | 順位 | 優勝 | PP | FL | 出走 |
1956 | マセラティ | - | | | | 1 |
1957 | マセラティpvt | - | | | | 4 |
1958 | マセラティpvt BRM | 15 | | | | 9 |
1959 | BRM | 8 | 1 | 1 | | 7 |
1960 | BRM | 13 | | | | 8 |
1961 | ポルシェ | 13 | | | | 8 |
1962 | ポルシェ | 14 | | | | 7 |
1963 | クーパーpvt | 9 | | | | 10 |
1964 | クーパーpvt ブラバムPvt | 15 | | | | 9 |
1965 | ブラバムpvt | - | | | | 10 |
1966 | クーパーpvt | 17 | | | | 9 |
1967 | クーパーpvt | 14 | | | | 8 |
1968 | マクラーレンpvt ホンダpvt | 21 | | | | 8 |
1969 | ロータスpvt | - | | | | 2 |
1970 | マクラーレンpvt | - | | | | 1 |
1971 | マクラーレンpvt | - | | | | 3 |
計 | | | 1 | 1 | 0 | 104 |
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