- ■ シーズン前
- 前半6戦中5戦、後半5戦中4戦の合計が有効得点である。
- クーパー、イーグル、ホンダが去り、フェラーリとBRM以外のトップチームがすべてフォード・コスワースDFVを採用した。ほとんどのチームが前年の改良型でシーズンを戦い抜いた。新型マシンを開発したのはマトラのみであった。J.イクスがブラバムに、J.リントがロータスに移籍した。
ワークス・チーム |
エンジン |
ドライバー |
前年は? |
タイヤ |
ロータス |
フォードDFV(V8) |
グレアム・ヒル ヨッヘン・リント |
残留 ブラバム |
FS FS |
マクラーレン |
フォードDFV(V8) |
デニス・ハルム ブルース・マクラーレン |
残留 残留 |
GY GY |
フェラーリ |
フェラーリ(V12) |
クリス・エイモン ペドロ・ロドリゲス |
残留 BRM |
FS FS |
BRM |
BRM(V12) |
ジョン・サーティース ジャッキー・オリバー |
ホンダ ロータス |
DL DL |
ブラバム |
フォードDFV(V8) |
ジャック・ブラバム ジャッキー・イクス |
残留 フェラーリ |
GY GY |
プライベーター |
車体/エンジン |
ドライバー |
前年は? |
タイヤ |
マトラ・インターナショナル |
マトラ・フォードDFV(V8) |
ジャッキー・スチュワート J-P.ベルトワーズ |
BRM マトラ |
DL DL |
ロブ・ウォーカー |
ロータス・フォードDFV(V8) |
ジョセフ・シフェール |
残留 |
FS |
フランク・ウィリアムズ |
ブラバム・フォードDFV(V8) |
ピアース・カレッジ |
スポット参戦 |
DL |
- ■ 3月1日 第1戦 南アフリカ
- ここまで5回の開催が、いずれも年末年始の時期だった南アフリカGP。今回から3月の開催が中心になる。しばらくすると、南米において1月の第1戦が開催されるようになる。
- ■ 5月4日 第2戦 スペイン
- ☆モンジュイック…バルセロナに近い丘の公園にあった。しばらくの間ハラマと1年交代で開催された。コースの起伏が激しい。'75年、ここで行われたスペインGPが非常に禍根を残すイベントとなってしまい、以降開催されなくなった。
- なかなか勝てないクリス・エイモン。本戦では40秒リードして首位独走中の56周目にエンジンが壊れた。C.エイモンの前にリントも首位独走中リタイヤを起こした。棚ボタの勝利を挙げたのはスチュワートだった。この年、J.スチュワートは全戦で首位を走行している。結局このレースでは、2位を2ラップ引き離した。
- ■ 5月18日 第3戦 モナコ
- スチュワート、初のPPである。ここまで7勝していることからすると、意外な感じがする。決勝では、マシントラブルからリタイヤとなった。
- 勝ったのは、またしてもG.ヒルであった。これで当GP5勝とし、「モナコ・マイスター」とあがめられるようになった。しかし、この年はリントの台頭に押され、ディフェンディング・チャンピオンであるにも関わらず、これまでの存在感に大きなかげりを示した。この勝利が最後の勝利なのである。
- 昨年の中盤から流行ったハイウイングは、本戦の予選中に使用禁止になった。安全が保証できないのである。ウイングが吹き飛ぶことの他、脱落時の挙動の大きな乱れも危険極まりなかった。スペインでは、ウイングの脱落によってリントが大クラッシュを演じ、このモナコを欠場する事態になっていた。
- ■ 7月6日 第5戦 フランス
- ジャック・ブラバムがテスト中に負傷し、以後シーズン中盤の3戦を欠場した。
- ■ 7月19日 第6戦 イギリス
- 序盤からスチュワートとリントが熱戦を繰り広げた。しかし62周目にロータスのリアウイングが緩んでリントは後退した。エイモンと共々、初勝利への道はなかなかに厳しい。
- ■ 8月3日 第7戦 ドイツ
- ここまで6戦で5リタイヤのエイモンがフェラーリを去った。このとき開発中のマシン、312Bが翌年、一線級の活躍を見せるのは皮肉な話しである。フェラーリは、F1だけでなくスポーツカーやヒルクライムにも参戦していて、財政の問題も抱えていた。この年の夏、フィアットの傘下に入ることが決定していた。
- F2レースにおいて、ゲルハルト・ミッターが予選中の事故で死んだ。
- この年のル・マンは、フォードGT40のイクスとポルシェ908のハンス・ヘルマンとが有名な一騎打ちを繰り広げた。これを制したイクス、ここドイツでも見事なレース展開で、スチュワートとの一騎打ちに競り勝った。
- ■ 9月7日 第8戦 イタリア
- 上位4台のタイム差が0.19秒という大接戦となった。始めから終わりまで、スリップストリーム合戦によって先頭集団の順位が頻繁に変わった。ただし、後半はずっとスチュワートが首位を守っていて、彼のドライビングの巧みさがうかがえる。北米3戦を前に早々とチャンピオンの座についた。
- ■ 10月5日 第10戦 アメリカ
- ついにリントが勝った!! "実力がありながら勝てないドライバー"と言えば、エイモンよりもリントの方がイメージが強かったかもしれない。数年前から、入賞かリタイヤかを繰り返していた。その間PPを6回記録。遅いマシンで限界以上の性能を引き起こそうと無理ばかりしていた。
- 2位は親友のピアース・カレッジである。フランク・ウィリアムズ率いる貧乏チームから参戦し、もう2度目の表彰台である。カレッジ・ビールの御曹司でもある。
- ■ シーズン後
- この年はフォードDFVエンジンの全戦全勝であった。タイヤ戦争は、グッドイヤー3勝、ダンロップ6勝、ファイアストン2勝という結果になった。またロータスやマトラから4輪駆動車が投入されたと聞くが、勝負にならなかった模様である。4輪駆動は、'83年に規則で禁止されることになる。
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