- ■ シーズン前
- 有効得点は、前半の6戦中5戦と後半の5戦中4戦の合計となっている。G.ヒルがロータスに移籍した。
ワークス・チーム |
エンジン |
ドライバー |
前年は? |
タイヤ |
ブラバム |
レプコ(V8) |
ジャック・ブラバム デニス・ハルム |
残留 残留 |
GY GY |
フェラーリ |
フェラーリ(V12) |
ロレンツォ・バンディーニ クリス・エイモン |
残留 クーパー |
FS FS |
クーパー |
マセラティ(V12) |
ヨッヘン・リント ペドロ・ロドリゲス |
残留 ロータス |
FS FS |
BRM |
BRM(H16) |
ジャッキー・スチュワート マイク・スペンス |
残留 プライベーター |
DL、FS、GY DL、FS |
ロータス |
BRM(H16) フォードDFV(V8) |
ジム・クラーク グレアム・ヒル |
残留 BRM |
FS FS |
イーグル |
ウェスレイク(V12) |
ダン・ガーニー |
残留 |
GY |
ホンダ |
ホンダ(V12) |
ジョン・サーティース |
クーパー |
FS |
マクラーレン |
BRM(V12) |
ブルース・マクラーレン |
残留 |
GY |
プライベーター |
車体/エンジン |
ドライバー |
前年は? |
タイヤ |
ロブ・ウォーカー |
クーパー・マセラティ(V12) |
ジョセフ・シフェール |
残留 |
FS |
- ■ 1月2日 第1戦 南アフリカ
- ☆キャラミ…イーストロンドンに代わる南ア第2のサーキット。海抜1500mに位置する。'67〜'85の間、毎年開催されたが、国が抱える政治問題によって以後の開催を断たれた。
- クーパーが勝った。1.5リッター転向以後、戦績が悪くなる一方で、今や光明の見えない下位集団の常連となっていたので、意外な雄姿であり、実際、最後の勝利でもある。弟リカルドの遺志を継いだペドロ・ロドリゲスも初勝利を遂げた。
- 2位のジョン・ラブは、旧ローデシア(現ジンバブエ)出身のレーサーで、プライベーターとしての地元GPへのスポット参戦である。こういったドライバーが表彰台に立つのは珍しい。2005年死去。
- 5位のボブ・アンダーソンもプライベーターである。この年の8月、シルバーストンでのテスト中、事故を起こして死亡した。
- ■ 5月7日 第2戦 モナコ
- 前年、フェラーリのエースの座についたL.バンディーニが、独走するデニス・ハルムを追っている最中にクラッシュした。マシンは炎上し、バンディーニは3日後に死亡した。一旦鎮火した火が、近づいてきたヘリコプターの風によって再び燃え盛ったと言われている。救護の不備が重なっての不幸であった。イタリアのマスコミはバンディーニの死を苛烈に取り上げた。エンツォは以後フェラーリにイタリア人を乗せることを止めた。
- ■ 6月4日 第3戦 オランダ
- フォード‐コスワースDFVというエンジンがグランプリに登場し、デビュー戦でポールポジション、優勝という戦果を挙げた。
- ☆フォード‐コスワースDFVエンジン…開発:コスワース社、資金提供:フォード社のエンジンである。両者の仲介にC.チャップマンが一役買っている。初年度はロータスのみに供給され、翌年から他チームへの供給に踏み切った。これから3リッターF1が20年近く続くが、この期間を代表するエンジンになっていく。何しろ、フェラーリやルノーといった自製エンジンを積むチーム以外のほとんど全てが、このDFVエンジンを使用するのだ。「DFVにあらずんば、3リッター時代にあらず」である。
-
- この当時のエンジンのおおまかな出力を順にならべてみると、ホンダ(V12)420馬力、BRM(H16)418馬力、ウェスレイク(V12)415馬力、フォードDFV(V8)400馬力、フェラーリ(V12)400馬力、レプコ(V8)330馬力というものであった。フォードDFVが8気筒ながら12気筒に匹敵するパワーを持っていることがわかる。加えて、軽量でメンテナンスも行いやすいという利点も備えていた。
- ■ 6月18日 第4戦 ベルギー
- 予選で上位に顔を見せはじめていたD.ガーニーが、とうとう自身のチームに初優勝をもたらした。ガーニーがチームに初優勝をもたらすのは、ポルシェ、ブラバムに続いて3例目である。1週間前にル・マンも制しており、二重の喜びとなった。
- しかし、イーグルは後にマシンの開発に行き詰まり、'69年から地元アメリカGPのみのスポット参戦に移る。
- 本戦ではまた、フェラーリのマイク・パークスが重傷を負った。このことでL.スカルフィオッティも戦意を喪失したらしく、以後の出場が途絶えた。こうして開幕前は充実した体制を組んでいたフェラーリのドライバーは、若手のクリス・エイモン一人になってしまった。
- ■ 7月2日 第5戦 フランス
- ☆ブガッティ…ル・マン24時間耐久レースが行われるサルテ・サーキットを一部分を利用して、この年だけ開催された。
- ここまで5戦で5人の勝者が現れた。これは全史においても3度しかないことである。
- ■ 8月6日 第7戦 ドイツ
- 唯一の6位入賞を果たしたのは、のちに名門チームを結成することになるギ・リジェである。
- このレースはF2との混走で行われた。その中で、非力な1.6リッターエンジンにも関わらず、J.クラークとD.ハルムに次ぐ予選タイムを記録し、決勝でもリタイヤする14周目まで、総合4位を走った男がいた。ジャッキー・イクスというベルギー人である。彼はこの年のイタリア戦でF1に乗って(クーパー)入賞を果たし、翌年はフェラーリ搭乗というスピード出世を遂げた。
- 脅威の新人と言えば2年前のスチュワートがそうだが、彼は今季、表彰台2回に留まっている。それ以外は全戦リタイヤとなった。BRMはH16という迷エンジンにこだわりすぎて、まったく調子を掴めないでいた。
- ■ 8月27日 第8戦 カナダ
- ☆モスポート・パーク…オンタリオ湖畔の森の丘に位置した。開催は10年間あまり。安全性の問題が指摘されると、カナダGPの舞台はモントリオールに移った。
- ■ 9月10日 第9戦 イタリア
- クラークの鬼神の如き追い上げと最終ラップの攻防とによって、伝説になっている名レース。
- クラークはタイヤ交換によって一旦、周回遅れの15位まで脱落しながら、名エンジンに鞭を打って一途に追い上げ、終了間際に首位に返り咲いた。そのまま勝っていたら、'57年ニュルブルクリンクのJ-M.ファンジオと並んで語り伝えられることになったろう。しかし、最終ラップ直前にガス欠症状を起こしてペースダウンした。ここから、J.ブラバムとJ.サーティースの死闘が始まり、これがこの一戦を更なる名戦に仕立て上げた。
- シーズンを通して重いマシンに苦しんでいたホンダは、軽量化された新マシンを突貫工事でレースの10日前に開発した。サーティースは序盤、"テスト走行のように"気を配りながらレースせざるを得なかった。しかし今日のマシンの調子がわかると、猛然とペースをあげ、2位で最終ラップを迎えた。ブラバムとの戦いは最後まで決着がつかず、最終コーナーでは、「リタイヤ車が蒔いたオイル」と「互いの重量と加速」まで勘定に入れてラインを取った。そして、最後の直線の加速勝負を制して、0.2秒差でサーティースが勝った。
- ホンダは2勝目。サーティースにとってはこれが最後の勝利となる。
- ■ シーズン後
- 子分であるハルムが、あれよあれよという間にチャンピオンになってしまった。年間でポールポジション数ゼロのチャンピオンは、これまで唯一である。通算でも一度しかポールを獲得していない。
- タイヤ戦争は、ファイアストン6勝、グッドイヤー5勝という結果になった。ほんの数年前まで覇を独り占めしていたダンロップは、とうとう1勝も出来なくなってしまった。
- 今季、PPでもFLでも他を圧倒して最速の名を欲しいままにしたロータスは、信頼性の欠如によってブラバムに屈した。同じ4勝だが、ポイントでは差が開いた。技術面もドライバー面でも、ロータスに比べると華のないブラバムは、連覇をしても"一時代を築いた"イメージは抱きにくく、ロータス・フォードDFVの時代を来季に期待した人が多かったようだ。
- ■ サーキットを去るウィナーたち
- ロレンツォ・バンディーニ Lorenzo Bandini
生年月日 1935年12月21日
没年月日 1967年5月10日
国籍 イタリア
年次 | 主なチーム | 順位 | 優勝 | PP | FL | 出走 |
1961 | クーパーpvt | - | | | | 4 |
1962 | フェラーリ | 12 | | | | 3 |
1963 | BRM pvt フェラーリ | 9 | | | | 7 |
1964 | フェラーリ | 4 | 1 | | | 10 |
1965 | フェラーリ | 6 | | | | 10 |
1966 | フェラーリ | 8 | | 1 | 2 | 7 |
1967 | フェラーリ | - | | | | 1 |
計 | | | 1 | 1 | 2 | 42 |
- リッチー・ギンサー Richie Ginther
生年月日 1930年8月5日
没年月日 1989年9月20日
国籍 アメリカ
年次 | 主なチーム | 順位 | 優勝 | PP | FL | 出走 |
1961 | フェラーリ | 5 | | | 2 | 7 |
1962 | BRM | 8 | | | | 9 |
1963 | BRM | 2 | | | | 10 |
1964 | BRM | 4 | | | | 10 |
1965 | ホンダ | 7 | 1 | | | 8 |
1966 | クーパー ホンダ | 11 | | | 1 | 5 |
1967 | イーグル | - | | | | - |
計 | | | 1 | 0 | 3 | 52 |
- ジャンカルロ・バゲッティ Giancarlo Baghetti
生年月日 1934年12月25日
没年月日 1995年11月27日
国籍 イタリア
年次 | 主なチーム | 順位 | 優勝 | PP | FL | 出走 |
1961 | フェラーリ | 9 | 1 | | 1 | 3 |
1962 | フェラーリ | 11 | | | | 4 |
1963 | ATS | - | | | | 5 |
1964 | BRM pvt | - | | | | 6 |
1965 | ブラバム | - | | | | 1 |
1966 | フェラーリpvt | - | | | | 1 |
1967 | ロータス | - | | | | 1 |
計 | | | 1 | 0 | 1 | 21 |
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