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  F1今昔物語 1964年 ダイジェスト

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 ■ シーズン前
 10戦中6戦が有効である。
 クーパーの首脳陣に若干の異動があった。創業者のチャールズが亡くなり、息子のジョンも事故からの療養中であった。現場の指揮はケン・ティレルという男が執ることになった。ティム・メイヤーがナンバーツーのドライバーとなるはずだったが、開幕前に事故死した。ティム・メイヤーとは、後のマクラーレン・チームのマネージャー、テディ・メイヤーの弟である。
ワークス・チーム エンジン ドライバー 前年は?
ロータス クライマックス(V8) ジム・クラーク
ピーター・アランデル
残留
新人
BRM BRM(V8) グレアム・ヒル
リッチー・ギンサー
残留
残留
ブラバム クライマックス(V8) ダン・ガーニー
ジャック・ブラバム
残留
残留
フェラーリ フェラーリ(V8) ジョン・サーティース
ロレンツォ・バンディーニ
残留
残留
クーパー クライマックス(V8) ブルース・マクラーレン
フィル・ヒル
残留
ATS
ホンダ ホンダ ロニー・バックナム 新人
プライベーター 車体/エンジン ドライバー 前年は?
パーネル・レーシング ロータス・BRM(V8) クリス・エイモン
マイク・ヘイルウッド
残留
残留
ロブ・ウォーカー クーパー・クライマックス(V8) ヨアキム・ボニエ
ジョセフ・シフェール
残留
残留
ポルシェ ポルシェ C.G.ド・ボーフォール 残留


 ■ 6月14日 第3戦 ベルギー
 予選でPPダン・ガーニーが後ろに2秒差をつけた。決勝でも独走を見せる。27周目のファステストラップは予選タイムより早いもので、1.5リッターながらコースレコード更新となった。チーム・ブラバムの初優勝か!?
 しかしレースも残り2周となったところで、どんでん返しのどんでん返しが起きた。D.ガーニーはガス欠で脱落し、代わったG.ヒルも最終ラップにガス欠で消えた。次に先頭に立ったB.マクラーレンが最終コーナーを回ってくるが、これもガス欠で惰性走行であった。それを抜いたR.ギンサーがトップでチェッカーを受けた。しかし、これは競技長の勘違いで、ついさっきまで4位走行だったクラークが真の勝者なのであった。その彼もパレード中にガス欠で止まった。
 クラークは翌年もベルギーで優勝し、4年連続優勝の偉業を為す。その彼が最も嫌いなコースとして挙げているのも、このスパだったらしい。

 ■ 6月28日 第4戦 フランス
 前GPまで2戦連続PPと勢いを見せていたブラバムが、とうとう初勝利を遂げた。D.ガーニーによって、ルーアンで初優勝というのは、一昨年前のポルシェと重なる。
 ロータスのピーター・アランデルは、デビューから2戦連続で表彰台に立っていた。予選でも上位につけていたし、このレースでもポイントをあげた。こうなると期待が高まってくるが、1週間後のF2レースでマシンから投げ出されるほどの事故に遭った。命は助かったものの、選手としての芽が死に絶えてしまった。

 ■ 7月11日 第5戦 イギリス
 ☆ブランズ・ハッチ…ケント州にあるサーキット。'64〜'82の間、シルバーストンと交互に開催された。偶数年がブランズ・ハッチである。'83、'85はヨーロッパGPとしてシルバーストンと共に、イギリスの年2戦開催の一端を担った。

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 ■ 8月2日 第6戦 ドイツ
 ホンダのデビュー戦である。この当時、ホンダは2輪車の雄であった。'50年代末のマン島レースからの成功と言ったら、プロジェクトXで紹介されたほどである。この時点で、まだ自動車を市販しているわけではない。4輪業界進出の足がかりとして、世界最高峰のレースを選んだのである。東京オリンピック直前、活気溢れる日本国民の大胆な自信の現れと言えるだろう。
 練習走行中のクラッシュによって、カレル・ゴダン・ド・ボーフォールが死亡した。オランダの伯爵であった。この後もリッチな人が何人もGPにやって来るが、それは"大企業の坊ちゃん"であることが多く、古典的な貴族としてF1を走っていたのは、彼が最後とされる。

 ■ 8月23日 第7戦 オーストリア
 ☆ツェルトベグ…元軍用飛行場。"』"の形をした、単調なレイアウトである。道か広場か見間違いそうになるほど、コース幅が広い。路面も荒く、ドライバーには不評だった。よって一度の開催で終わった。

 この曲者コースは、今季の主役である予選上位4名のマシンを1台ずつ破壊した。中盤キャリア初のトップランを果たしたフェラーリのL.バンディーニが、そのチャンスを初勝利へと結びつけた。

 ■ 10月25日 最終の第10戦 メキシコ
 北米2連戦のフェラーリは、ちょっと複雑な政治問題から紺のカラーリングになっている。
 G.ヒル39点、J.サーティース34点、J.クラーク30点、この3人にチャンプの可能性があった。もしもサーティースが2位、ヒルが3位ならば、得点も同点、内訳も同じで、チャンピオンが二人という珍事もありえた。そんなシーズン最終戦は、最終ラップで王座が入れ替わる劇的なレースになった。サーティースは、2輪でも4輪でもチャンピオンとなった、史上唯一の存在となった。
 また、コンストラクターの方でも、第5戦から6戦連続表彰台、うち3勝というフェラーリが、大逆転で王座に着いた。

 ■ サーキットを去るウィナーたち
モーリス・トランティニャン Maurice Trintignant
 F1GP初年度から参戦し続けてきたモーリス・トランティニャンが引退した。モナコで2勝というのが光る。共に、中盤で先頭に立った機会を逸せずに勝利に結びつけた。実働15年の決勝出走82戦というのは、当時は他を圧倒する大記録だった。
生年月日 1917年10月30日
没年月日 2005年2月13日
国籍 フランス
年次主なチーム順位優勝PPFL出走
1950ゴルディーニ-2
1951ゴルディーニ-4
1952ゴルディーニ145
1953ゴルディーニ108
1954フェラーリ48
1955フェラーリ416
1956バンウォール-5
1957フェラーリ113
1958クーパーpvt719
1959クーパーpvt518
1960クーパーpvt-6
1961クーパーpvt-5
1962ロータスpvt-6
1963ロータス他pvt-3
1964BRM pvt164
20182

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