- ■ シーズン前
- 10戦中6戦が有効である。
- クーパーの首脳陣に若干の異動があった。創業者のチャールズが亡くなり、息子のジョンも事故からの療養中であった。現場の指揮はケン・ティレルという男が執ることになった。ティム・メイヤーがナンバーツーのドライバーとなるはずだったが、開幕前に事故死した。ティム・メイヤーとは、後のマクラーレン・チームのマネージャー、テディ・メイヤーの弟である。
| ワークス・チーム |
エンジン |
ドライバー |
前年は? |
| ロータス |
クライマックス(V8) |
ジム・クラーク ピーター・アランデル |
残留 新人 |
| BRM |
BRM(V8) |
グレアム・ヒル リッチー・ギンサー |
残留 残留 |
| ブラバム |
クライマックス(V8) |
ダン・ガーニー ジャック・ブラバム |
残留 残留 |
| フェラーリ |
フェラーリ(V8) |
ジョン・サーティース ロレンツォ・バンディーニ |
残留 残留 |
| クーパー |
クライマックス(V8) |
ブルース・マクラーレン フィル・ヒル |
残留 ATS |
| ホンダ |
ホンダ |
ロニー・バックナム |
新人 |
| プライベーター |
車体/エンジン |
ドライバー |
前年は? |
| パーネル・レーシング |
ロータス・BRM(V8) |
クリス・エイモン マイク・ヘイルウッド |
残留 残留 |
| ロブ・ウォーカー |
クーパー・クライマックス(V8) |
ヨアキム・ボニエ ジョセフ・シフェール |
残留 残留 |
| ポルシェ |
ポルシェ |
C.G.ド・ボーフォール |
残留 |
- ■ 6月14日 第3戦 ベルギー
- 予選でPPダン・ガーニーが後ろに2秒差をつけた。決勝でも独走を見せる。27周目のファステストラップは予選タイムより早いもので、1.5リッターながらコースレコード更新となった。チーム・ブラバムの初優勝か!?
- しかしレースも残り2周となったところで、どんでん返しのどんでん返しが起きた。D.ガーニーはガス欠で脱落し、代わったG.ヒルも最終ラップにガス欠で消えた。次に先頭に立ったB.マクラーレンが最終コーナーを回ってくるが、これもガス欠で惰性走行であった。それを抜いたR.ギンサーがトップでチェッカーを受けた。しかし、これは競技長の勘違いで、ついさっきまで4位走行だったクラークが真の勝者なのであった。その彼もパレード中にガス欠で止まった。
- クラークは翌年もベルギーで優勝し、4年連続優勝の偉業を為す。その彼が最も嫌いなコースとして挙げているのも、このスパだったらしい。
- ■ 6月28日 第4戦 フランス
- 前GPまで2戦連続PPと勢いを見せていたブラバムが、とうとう初勝利を遂げた。D.ガーニーによって、ルーアンで初優勝というのは、一昨年前のポルシェと重なる。
- ロータスのピーター・アランデルは、デビューから2戦連続で表彰台に立っていた。予選でも上位につけていたし、このレースでもポイントをあげた。こうなると期待が高まってくるが、1週間後のF2レースでマシンから投げ出されるほどの事故に遭った。命は助かったものの、選手としての芽が死に絶えてしまった。
- ■ 7月11日 第5戦 イギリス
- ☆ブランズ・ハッチ…ケント州にあるサーキット。'64〜'82の間、シルバーストンと交互に開催された。偶数年がブランズ・ハッチである。'83、'85はヨーロッパGPとしてシルバーストンと共に、イギリスの年2戦開催の一端を担った。
- ■ 8月2日 第6戦 ドイツ
- ホンダのデビュー戦である。この当時、ホンダは2輪車の雄であった。'50年代末のマン島レースからの成功と言ったら、プロジェクトXで紹介されたほどである。この時点で、まだ自動車を市販しているわけではない。4輪業界進出の足がかりとして、世界最高峰のレースを選んだのである。東京オリンピック直前、活気溢れる日本国民の大胆な自信の現れと言えるだろう。
- 練習走行中のクラッシュによって、カレル・ゴダン・ド・ボーフォールが死亡した。オランダの伯爵であった。この後もリッチな人が何人もGPにやって来るが、それは"大企業の坊ちゃん"であることが多く、古典的な貴族としてF1を走っていたのは、彼が最後とされる。
- ■ 8月23日 第7戦 オーストリア
- ☆ツェルトベグ…元軍用飛行場。"』"の形をした、単調なレイアウトである。道か広場か見間違いそうになるほど、コース幅が広い。路面も荒く、ドライバーには不評だった。よって一度の開催で終わった。
- この曲者コースは、今季の主役である予選上位4名のマシンを1台ずつ破壊した。中盤キャリア初のトップランを果たしたフェラーリのL.バンディーニが、そのチャンスを初勝利へと結びつけた。
- ■ 10月25日 最終の第10戦 メキシコ
- 北米2連戦のフェラーリは、ちょっと複雑な政治問題から紺のカラーリングになっている。
- G.ヒル39点、J.サーティース34点、J.クラーク30点、この3人にチャンプの可能性があった。もしもサーティースが2位、ヒルが3位ならば、得点も同点、内訳も同じで、チャンピオンが二人という珍事もありえた。そんなシーズン最終戦は、最終ラップで王座が入れ替わる劇的なレースになった。サーティースは、2輪でも4輪でもチャンピオンとなった、史上唯一の存在となった。
- また、コンストラクターの方でも、第5戦から6戦連続表彰台、うち3勝というフェラーリが、大逆転で王座に着いた。
- ■ サーキットを去るウィナーたち
- モーリス・トランティニャン Maurice Trintignant
- F1GP初年度から参戦し続けてきたモーリス・トランティニャンが引退した。モナコで2勝というのが光る。共に、中盤で先頭に立った機会を逸せずに勝利に結びつけた。実働15年の決勝出走82戦というのは、当時は他を圧倒する大記録だった。
生年月日 1917年10月30日
没年月日 2005年2月13日
国籍 フランス
| 年次 | 主なチーム | 順位 | 優勝 | PP | FL | 出走 |
| 1950 | ゴルディーニ | - | | | | 2 |
| 1951 | ゴルディーニ | - | | | | 4 |
| 1952 | ゴルディーニ | 14 | | | | 5 |
| 1953 | ゴルディーニ | 10 | | | | 8 |
| 1954 | フェラーリ | 4 | | | | 8 |
| 1955 | フェラーリ | 4 | 1 | | | 6 |
| 1956 | バンウォール | - | | | | 5 |
| 1957 | フェラーリ | 11 | | | | 3 |
| 1958 | クーパーpvt | 7 | 1 | | | 9 |
| 1959 | クーパーpvt | 5 | | | 1 | 8 |
| 1960 | クーパーpvt | - | | | | 6 |
| 1961 | クーパーpvt | - | | | | 5 |
| 1962 | ロータスpvt | - | | | | 6 |
| 1963 | ロータス他pvt | - | | | | 3 |
| 1964 | BRM pvt | 16 | | | | 4 |
| 計 | | | 2 | 0 | 1 | 82 |
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