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  F1今昔物語 1963年 ダイジェスト

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 ■ シーズン前
 10戦中6戦が有効である。
 この年は、多くの新参チームがあった。ブラバム、ATS、BRP、シロッコ、ステブロ…。このうちブラバムは前年に既に登場している。BRPとは、プライベーターのUDTレイストール・レーシングが、自製シャシーで挑んできたものである。ポルシェの名前が見えるが、C.G.ド・ボーフォール伯爵の個人所有のものである。
 ATSとは、元フェラーリのカルロ・キティとロモロ・タボーニらが設立したものである。フェラーリ内での人間関係が上手くいかずに、分離独立したものである。正式名称を Automobili Tourismo e Sport という。'80年代のATSとは無関係である。ドライバーも、P.ヒルとG.バゲッティの元フェラーリ勢が選ばれた。自製V8エンジンを開発し、ロードレースを含めたプログラムだったが…。
ワークス・チーム エンジン ドライバー 前年は?
BRM BRM(V8) グレアム・ヒル
リッチー・ギンサー
残留
残留
ロータス クライマックス(V8) ジム・クラーク
トレバー・テイラー
残留
残留
クーパー クライマックス(V8) ブルース・マクラーレン
トニー・マッグス
残留
残留
フェラーリ フェラーリ(V6) ジョン・サーティース
他多数
ローラ
 
ブラバム クライマックス(V8) ジャック・ブラバム
ダン・ガーニー
残留
ポルシェ
ATS ATS(V8) フィル・ヒル
ジャンカルロ・バゲッティ
フェラーリ
フェラーリ
BRP BRM(V8) イネス・アイルランド プライベーター
プライベーター 車体/エンジン ドライバー 前年は?
ロブ・ウォーカー クーパー・クライマックス(V8) ヨアキム・ボニエ ポルシェ
ポルシェ ポルシェ(F4) C.G.ド・ボーフォール
ゲルハルト・ミッター
残留
新人


 ■ 6月9日 第2戦 ベルギー
 予選8位のジム・クラークは、オープニングラップ中に先頭に立つと、そのまま嵐のサーキットを勝利の方程式で駆け抜けていった。結果、後続との差が5分にもなった。この5分という差も驚きだが、予選8位から1周で先頭へというのも凄まじい。下位グリッドからのオープニングラップ1位通過の記録になっている。

 ■ 6月30日 第4戦 フランス
 押し掛けスタートにより、3位G.ヒルのポイントが剥奪されている。
 クラークは2戦連続で完全優勝を果たした。2戦連続でとなると、'52年のアスカリ以来である。実際、かの9連勝に匹敵するような強さで、王座に突き進んでいく。前GPでは全車を周回遅れにした。

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 ■ 8月4日 第6戦 ドイツ
 予選で常に上位を維持し、今回初めて2位からスタートしたジョン・サーティースが、ついに初勝利を遂げた。5周目でクラークを振り切ると、後続の追随を許さなかった。
 ポールポジションからチェッカーまでをトップのまま独走して勝つ、でなければリタイヤする、というクラークの走りには、それを裏付けるデータがある。2位でゴールしたことが一度しかないのだ。それがこの一戦でのことである。

 ■ 10月6日 第8戦 アメリカ
 J.クラークの3位は、スタート時のマシントラブルで周回遅れとなった状態からの結果であり、驚異的である。クラークという鬼の居ぬ間に、G.ヒルとJ.サーティースが激しく争い、BRMがワンツーフィニッシュを決めた。

 ■ 10月20日 第9戦 メキシコ
 ☆メキシコ・シティ…メキシコの首都は海抜約2200mに位置する。富士山ならば5合目という高地は空気が薄く、気圧が低下する。エンジンの燃料混合比の調整が難しい。1.2キロの直線もあれば、1速まで落とすヘアピンカーブもある。路面も舗装が十分でなかった。マシンにもドライバーにも、メカニックにも厳しいサーキットである。後にエルマニョス・ロドリゲス・サーキットと呼ばれるようになる。

 ■ シーズン後
 10戦で7勝…。J.クラークは有効得点で考えられる最大の得点を記録したばかりか、その上に1勝を積み重ねた。クラークの総得点は全選手の得点の30%近くになる(73÷246×100=29.7)。これは、得点制度が若干異なるが、J-M.ファンジオやA.アスカリの独走に匹敵するものである。時代を代表するドライバーがここに誕生した、と言っていいだろう。

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