- ■ シーズン前
- 9戦中5戦が有効である。
- 新規定の対応に出遅れたイギリス勢も、一年戦ううちに準備が整った。S.モスが、開幕前の非選手権戦で瀕死の重傷を負い、引退した。この結果、BRMのG.ヒルとロータスのJ.クラークの激闘という構図が形作られていく。
- クラークが乗るロータス25は、モノコック構造を投入している。今後、ロータスはF1マシンに関する革新的なアイデアをいくつも発明していくが、その第一弾である。
ワークス・チーム |
エンジン |
ドライバー |
前年は? |
フェラーリ |
フェラーリ(V6) |
フィル・ヒル 他多数 |
残留 |
ロータス |
クライマックス(V8) |
ジム・クラーク トレバー・テイラー |
残留 新人 |
ポルシェ |
ポルシェ(F8) |
ダン・ガーニー ヨアキム・ボニエ |
残留 残留 |
クーパー |
クライマックス(V8) |
ブルース・マクラーレン トニー・マッグス |
残留 プライベーター |
BRM |
BRM(V8) |
グレアム・ヒル リッチー・ギンサー |
残留 フェラーリ |
プライベーター |
車体/エンジン |
ドライバー |
前年は? |
UDTレイストール |
ロータス・クライマックス ロータス・BRM |
イネス・アイルランド マステン・グレゴリー |
ロータス プライベーター |
レッグ・パーネル |
ローラ・クライマックス(V8) |
ジョン・サーティース ロイ・サルバドーリ |
プライベーター プライベーター |
- ■ 5月20日 第1戦 オランダ
- ローラというコンストラクターが初参戦ポールポジションを成し遂げた。決勝では8周目でリタイヤした。ローラはこの後も、車体製造に専念する形で、F1の歴史にちょくちょく登場する。
- 優勝したのはBRMのグレアム・ヒル! BRMは' 59年に初優勝したものの、以降中断に埋もれることが多かった。G.ヒルは、自動車免許取得が24歳で、モータースポーツ業界にも最初はエンジニアとして入った。このとき33歳。紳士的で精悍な顔立ちとは上手く結びつかないが、人知れぬ努力でここまでのし上がって来たに違いない。
- ■ 6月17日 第3戦 ベルギー
- 4位はリカルド・ロドリゲスである。前年、19歳の若さでフェラーリからデビューしたことは前述した。このとき予選で0.1秒差の2位を記録し、「神童」「未来のチャンピオン」と期待が高まった。19歳でF1デビューした者は現在(2006年)5名数えられるが、トップチームでデビューとなると、彼しかいないのだ。スポーツカーでもタルガ・フローリオを制するなど活躍した。
- しかし、この年の秋、地元メキシコで開催された非選手権戦において、予戦中のクラッシュによって彼は死亡した。翌年デビューする兄のペドロ・ロドリゲスもGPウィナーであり、メキシコGPの開催地は、エルマニョス(スペイン語で兄弟)・ロドリゲス・サーキットとして彼らの名を称えている。
- このレースは、序盤のロータスのテイラーとフェラーリのウィリー・メレスとの先頭争いが熾烈だったことでも知られている。両者は、ついに接触して大クラッシュを起こした。二人とも大事には至らなかった。悲しい後日談だが、ウィリー・メレスはル・マンでも大事故に遭い、その後遺症から'68年に自殺した。
- ■ 7月8日 第4戦 フランス
- ポルシェ初の、そして唯一の優勝を、これまた初優勝のダン・ガーニーがもたらした。4戦終わって、ドライバーの初優勝が三つである。しかし、ポルシェの参戦(ワークスでの)はこの年限りである。こののちスポーツカーで一時代を築くが、それは別の物語である。
- ■ 7月21日 第5戦 イギリス
- 第3戦で初優勝を決めていたJ.クラークが地元でも勝利を遂げた。ポールポジションからスタートし、1周ごとに後続との差を広げていくという、クラークの勝利の方程式なるものが、この辺りで確立した。
- ■ 8月5日 第6戦 ドイツ
- 珍しく、入賞者が異なるコンストラクターという結果になった。
- このレースから、ジャック・ブラバムは自製のマシンでGPを戦い始めた。初戦こそ予選24位の決勝リタイヤという成績だったが、終盤の2戦で入賞する。
- ■ 12月29日 最終の第9戦 南アフリカ
- ☆イースト・ロンドン…港沿いにあるコースで、コース幅は狭い。年の瀬のF1開催である。前GPから3ヶ月近くも経っている。南半球なので、この時期にしか開催できないようだ。
- レースの方は、PPから独走するクラークが、61周目にリタイヤしたところでタイトルが決定した。クラークはPP6、FL5と速さはダントツでありながら、信頼性が伴わなかった。
- ■ サーキットを去るウィナーたち
- スターリング・モス Stirling Moss
- 「無冠の帝王」と称されるスターリング・モス。若い頃から名声は高かったが、当時のイギリス車に力がなかった。'55年に名門メルセデスに移籍すると、すぐに頭角をあらわした。それからは、"巨星ファンジオに挑む若武者"という図式が数年続いた。
- ファンジオが引退すると、真っ先に次代のチャンピオン候補にあげられたが、結局一度もタイトルには届かないまま引退を迎えた。完走率が低く、連勝や連続入賞などのポイント固め打ちに乏しかった。'58年以後の4年間で、最多勝が3度、PP王とFL王が2度ずつだから、当代一のドライバーだったのは間違いない。でも、一年一年ごとのチャンピオンと比較してみると、いずれの年も完走数と入賞数に大きく劣るのである。フリーランス活動から出場チームがまばらだったことが多かった。怪我に泣いた年もあった。
- しかし、他のカテゴリーを含めると圧倒するような連勝を見せたこともあった。つまり、"F1世界選手権というイベントにおいて、今ひとつ力を出し切れなかった"ということである。このことが、余計「無冠」の印象を強めるのだろう。なんにせよ時代は進み、新しい担い手たちに道を譲ることになった。
生年月日 1929年9月17日
国籍 イギリス
年次 | 主なチーム | 順位 | 優勝 | PP | FL | 出走 |
1951 | HWM | - | | | | 1 |
1952 | ERA | - | | | | 5 |
1953 | クーパー | - | | | | 4 |
1954 | マセラティ | 10 | | | 1 | 6 |
1955 | メルセデス | 2 | 1 | 1 | 2 | 6 |
1956 | マセラティ | 2 | 2 | 1 | 3 | 7 |
1957 | マセラティ バンウォール | 2 | 3 | 2 | 3 | 6 |
1958 | クーパーpvt バンウォール | 2 | 4 | 3 | 3 | 10 |
1959 | クーパーpvt | 3 | 2 | 4 | 4 | 8 |
1960 | ロータスpvt | 3 | 2 | 4 | 2 | 5 |
1961 | ロータスpvt | 3 | 2 | 1 | 1 | 8 |
計 | | | 16 | 16 | 19 | 66 |
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