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  F1今昔物語 1962年 ダイジェスト

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 ■ シーズン前
 9戦中5戦が有効である。
 新規定の対応に出遅れたイギリス勢も、一年戦ううちに準備が整った。S.モスが、開幕前の非選手権戦で瀕死の重傷を負い、引退した。この結果、BRMのG.ヒルとロータスのJ.クラークの激闘という構図が形作られていく。
 クラークが乗るロータス25は、モノコック構造を投入している。今後、ロータスはF1マシンに関する革新的なアイデアをいくつも発明していくが、その第一弾である。
ワークス・チーム エンジン ドライバー 前年は?
フェラーリ フェラーリ(V6) フィル・ヒル
他多数
残留
 
ロータス クライマックス(V8) ジム・クラーク
トレバー・テイラー
残留
新人
ポルシェ ポルシェ(F8) ダン・ガーニー
ヨアキム・ボニエ
残留
残留
クーパー クライマックス(V8) ブルース・マクラーレン
トニー・マッグス
残留
プライベーター
BRM BRM(V8) グレアム・ヒル
リッチー・ギンサー
残留
フェラーリ
プライベーター 車体/エンジン ドライバー 前年は?
UDTレイストール ロータス・クライマックス
ロータス・BRM
イネス・アイルランド
マステン・グレゴリー
ロータス
プライベーター
レッグ・パーネル ローラ・クライマックス(V8) ジョン・サーティース
ロイ・サルバドーリ
プライベーター
プライベーター


 ■ 5月20日 第1戦 オランダ
 ローラというコンストラクターが初参戦ポールポジションを成し遂げた。決勝では8周目でリタイヤした。ローラはこの後も、車体製造に専念する形で、F1の歴史にちょくちょく登場する。
 優勝したのはBRMのグレアム・ヒル! BRMは' 59年に初優勝したものの、以降中断に埋もれることが多かった。G.ヒルは、自動車免許取得が24歳で、モータースポーツ業界にも最初はエンジニアとして入った。このとき33歳。紳士的で精悍な顔立ちとは上手く結びつかないが、人知れぬ努力でここまでのし上がって来たに違いない。

 ■ 6月17日 第3戦 ベルギー
 4位はリカルド・ロドリゲスである。前年、19歳の若さでフェラーリからデビューしたことは前述した。このとき予選で0.1秒差の2位を記録し、「神童」「未来のチャンピオン」と期待が高まった。19歳でF1デビューした者は現在(2006年)5名数えられるが、トップチームでデビューとなると、彼しかいないのだ。スポーツカーでもタルガ・フローリオを制するなど活躍した。
 しかし、この年の秋、地元メキシコで開催された非選手権戦において、予戦中のクラッシュによって彼は死亡した。翌年デビューする兄のペドロ・ロドリゲスもGPウィナーであり、メキシコGPの開催地は、エルマニョス(スペイン語で兄弟)・ロドリゲス・サーキットとして彼らの名を称えている。
 このレースは、序盤のロータスのテイラーとフェラーリのウィリー・メレスとの先頭争いが熾烈だったことでも知られている。両者は、ついに接触して大クラッシュを起こした。二人とも大事には至らなかった。悲しい後日談だが、ウィリー・メレスはル・マンでも大事故に遭い、その後遺症から'68年に自殺した。

 ■ 7月8日 第4戦 フランス
 ポルシェ初の、そして唯一の優勝を、これまた初優勝のダン・ガーニーがもたらした。4戦終わって、ドライバーの初優勝が三つである。しかし、ポルシェの参戦(ワークスでの)はこの年限りである。こののちスポーツカーで一時代を築くが、それは別の物語である。

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 ■ 7月21日 第5戦 イギリス
 第3戦で初優勝を決めていたJ.クラークが地元でも勝利を遂げた。ポールポジションからスタートし、1周ごとに後続との差を広げていくという、クラークの勝利の方程式なるものが、この辺りで確立した。

 ■ 8月5日 第6戦 ドイツ
 珍しく、入賞者が異なるコンストラクターという結果になった。
 このレースから、ジャック・ブラバムは自製のマシンでGPを戦い始めた。初戦こそ予選24位の決勝リタイヤという成績だったが、終盤の2戦で入賞する。

 ■ 12月29日 最終の第9戦 南アフリカ
 ☆イースト・ロンドン…港沿いにあるコースで、コース幅は狭い。年の瀬のF1開催である。前GPから3ヶ月近くも経っている。南半球なので、この時期にしか開催できないようだ。

 レースの方は、PPから独走するクラークが、61周目にリタイヤしたところでタイトルが決定した。クラークはPP6、FL5と速さはダントツでありながら、信頼性が伴わなかった。

 ■ サーキットを去るウィナーたち
スターリング・モス Stirling Moss
 「無冠の帝王」と称されるスターリング・モス。若い頃から名声は高かったが、当時のイギリス車に力がなかった。'55年に名門メルセデスに移籍すると、すぐに頭角をあらわした。それからは、"巨星ファンジオに挑む若武者"という図式が数年続いた。
 ファンジオが引退すると、真っ先に次代のチャンピオン候補にあげられたが、結局一度もタイトルには届かないまま引退を迎えた。完走率が低く、連勝や連続入賞などのポイント固め打ちに乏しかった。'58年以後の4年間で、最多勝が3度、PP王とFL王が2度ずつだから、当代一のドライバーだったのは間違いない。でも、一年一年ごとのチャンピオンと比較してみると、いずれの年も完走数と入賞数に大きく劣るのである。フリーランス活動から出場チームがまばらだったことが多かった。怪我に泣いた年もあった。
 しかし、他のカテゴリーを含めると圧倒するような連勝を見せたこともあった。つまり、"F1世界選手権というイベントにおいて、今ひとつ力を出し切れなかった"ということである。このことが、余計「無冠」の印象を強めるのだろう。なんにせよ時代は進み、新しい担い手たちに道を譲ることになった。
生年月日 1929年9月17日
国籍 イギリス
年次主なチーム順位優勝PPFL出走
1951HWM-1
1952ERA-5
1953クーパー-4
1954マセラティ1016
1955メルセデス21126
1956マセラティ22137
1957マセラティ
バンウォール
23236
1958クーパーpvt
バンウォール
243310
1959クーパーpvt32448
1960ロータスpvt32425
1961ロータスpvt32118
16161966

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