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  F1今昔物語 1958年 ダイジェスト

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 ■ シーズン前
 11戦中6戦が有効である。この年からコンストラクターズ・チャンピオンシップが始まった。レース毎に、各コンストラクターの最高位にだけポイントを与える(コンストラクターが総得点制になるのは'79年からである)。また、レース中のドライバー交代にポイントが与えられなくなった。
 今まで主流だったアルコール燃料が禁止され、ガソリンが主流になった。
 巨星ファンジオは力を使い果たした。今季は年間契約を結ばず、レース毎に様々なチームと契約を結んで参戦することにした。年初めには、キューバで反政府組織による誘拐事件に遭ったりもした。
 マセラティの名車「250F」は、チームが撤退したあとも、プライベーターによって使用され続けた。
 ヴァンウォールとクーパーに勢いがあり、マセラティやフェラーリといった企業系はそれを迎え撃つ立場に回った。
ワークス・チーム エンジン ドライバー 前年は? タイヤ
ヴァンウォール ヴァンウォール(L4) スターリング・モス
トニー・ブルックス
S.ルイス・エバンス
残留
残留
残留
DL
フェラーリ フェラーリ(V8) マイク・ホーソーン
ピーター・コリンズ
ルイジ・ムッソ
他多数
残留
残留
残留
 
E
クーパー クライマックス(L4) ロイ・サルバドーリ
ジャック・ブラバム
残留
残留
DL
BRM BRM(L4) ジャン・ベーラ
ハリー・シェル
マセラティ
マセラティ
DL
ロータス クライマックス(L4) クリフ・アリソン
グレアム・ヒル
新人
新人
 
プライベーター 車体/エンジン ドライバー 前年は? タイヤ
スクデリア・チェントロ・スド マセラティ(L6) マステン・グレゴリー
モーリス・トランティニャン
残留
フェラーリ
 
個人参加 マセラティ(L6) ファン・マヌエル・ファンジオ 残留  
ロブ・ウォーカー・レーシング クーパー・クライマックス(L4) スターリング・モス
モーリス・トランティニャン
ヴァンウォール
フェラーリ
CT、DL


 ■ 1月19日 第1戦 アルゼンチン
 大洋を隔てたアルゼンチンGPには、イギリス勢は出場しない。この一戦では、ワークス体制で臨んでいるのはフェラーリだけだ。他にマセラティのプライベーターたち、ここまでは例年どおりの顔ぶれなのだが、ここに一台だけ奇妙なマシンが混じっていた。
 リヤエンジン搭載のクーパーである。操るのはS.モス、親友であるR.ウォーカーが購入したマシンを駆っての出場である。コベントリー・クライマックス社製のエンジンは排気量1.9リットル・175馬力で、フェラーリの2.4リッター・280馬力に、パワーではまったく敵わない。その代わり、マシンは驚くほど小型軽量であった。静止状態の写真では、車輪のついたハンモックに人が寝そべっているかのようだ。
 このクーパーは、他の大勢が予定通りのピットインを済ませたところで、レース中初めて先頭に立った。R.ウォーカー・チームも交換用のタイヤを揃える。ところが、これは他チームを欺くための罠で、軽量でタイヤ磨耗も少ないクーパーをノンストップで走り切らせようという作戦であった。
 終盤になって、事態に気がついたフェラーリがL.ムッソに追撃指令を出すが、一歩及ばず、2.7秒差でS.モス+クーパーが勝者となった。これはリヤエンジン搭載ミッドシップレイアウト車の初勝利であると共に、プライベーターの初勝利でもある。

 ■ 5月18日 第2戦 モナコ
 実は、このレースにはバーニー・エクレストンが出場している。自ら所有するコンノートでグランプリに出走したのだ。
 1930年生まれ。戦後オートバイのパーツ会社を設立した。時々F3に出場もしたが、やはり若いときから「ビジネス! ビジネス!」の毎日だったようである。昨年からS.ルイス・エバンスのマネージャーになった。エバンスの、コンノートからヴァンウォールへの移籍を決めたのも、バーニーだろう。後、ヨッヘン・リントのマネージャー、その関係でロータスF2チームの運営へと手を広げ、1972年、ブラバムを買収した。
 大チームのオーナーから、FOCA会長、FIA副会長などグランプリ運営組織の要職へと出世を遂げ、F1の興行化を推し進め、自身も莫大な財産を手にした。2003年の英国サンデー・タイムズ長者番付で3位にランクされている。

 レースは、またもR.ウォーカーのクーパーが勝った。ドライバーはM.トランティニャンで、'55年に続くモナコでの勝利である。

 ■ 5月26日 第3戦 オランダ
 今季からフル参戦を果たしたBRM。デビュー戦となった前GPではJ.ベーラがいきなり予選で2位につけ、レース序盤をリードした。ここオランダでは早くも表彰台に2台のぼった。
 1位はヴァンウォールのモスだったから、イギリス車が表彰台を独占したことになる。予選ではヴァンウォールの3人の英国人が上位を占めた。翌年には新興の勢力としてロータスが浮上してくる。コンストラクターもドライバーも、イギリスの潮がF1界を埋め尽くそうとしていた。
 2位ハリー・シェルは、ヨーロッパでは珍しいアメリカ人ドライバーである。初年度からちょくちょく参戦していて、年齢も37歳と若くなかったが、この年は当たり年だった。選手権では最終的に5位につけた。'60年にノンタイトル戦で事故死した。

 ■ 5月6月の他のレース
 インディ500にはファンジオが出場しかけたものの、母国での自動車関係の仕事に急用ができて、練習走行後に帰っていった。この時点でファンジオは別な仕事に熱中していたことになる。
 6月末にはモンツァ500マイルというレースが開かれた。名前のとおりインディ500を模範としたレースで、高速バンクを使って、200周近く回る。インディの面々が招かれ、圧勝した。けれども序盤、フェラーリのL.ムッソが先頭を走り、ティフォシを湧かせた。ファンジオはこのレースにも出場したが、いいところなく終わった。

 ■ 7月6日 第6戦 フランス
 モンツァ500の一週間後、L.ムッソはここでもハッスルした。しかし10周目、M.ホーソーンからトップを奪おうとして、コースアウト・クラッシュし、命を落とした。
 前GPで女性初のF1ドライバーとして予選を突破し、決勝完走を果たしたマリア-テレーザ・フィリップスとは恋仲であったという。彼女の心境は如何ばかりであったろうか…。
 ファンジオは一時2位につけたものの、最後は4位で終えた。ホーソーンが周回遅れにしようとする場面があったが、彼はファンジオに敬意を表して、周回遅れにするのを踏みとどまった。ファンジオは、このレースの数週間後、ついに引退を発表した。

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 ■ 7月19日 第7戦 イギリス
 ここシルバーストンでは、久しぶりにP.コリンズが本領を発揮し、快勝した。フェラーリは前年は未勝利に終わったので、2年ぶりの勝利、連勝も2年ぶりのことである。ホーソーンは3戦連続の表彰台で、ポイントでS.モスを突き放してトップの位置にいる。
 3位のロイ・サルバドーリは、名前はイタリア系だがイギリス国籍である。今季は2戦連続表彰台もあって、ランキングで4位につけた。元々はスポーツカー・レーサーで、翌'59年のル・マンの覇者となる。

 ■ 8月3日 第8戦 ドイツ
 前年より周回数が減り、決勝タイムが1時間以上短くなった。5位のC.アリソンは、周回数不足で無得点である。
 この年はレースの度に悲しい事件が続く。前GPで快勝したばかりのP.コリンズは、ここドイツでも好走を見せたが、トップ走行中、立ち木に向かってコースアウトして行き、還らぬ人となってしまった。'56年、先輩ファンジオにチャンピオンを謙譲した伊達男。フェラーリの若きエースとして、チャンピオンが期待された。26歳での死であった。
 フェラーリは、この2年の間にA.デ・ポルターゴ、E.カステロッティ、L.ムッソ、P.コリンズと4人もの鋭士を失った。スポーツカー・チームのメンバーであるP.フィル、W.フォン・トリップス伯爵、O.ジャンドビアンを呼び寄せ、ドライバー/コンストラクター双方のタイトルを目指した。
 ホーソーンは、コリンズのマシンが滅茶苦茶になるのを至近距離で目撃した。親友の死にショックを受け、ピットでリタイヤし、勝利はブルックスのものとなった。ホーソーンは、コリンズの自家用車にあるディスクブレーキを、形見として自分のマシンに取りつけた。

 ■ 8月24日 第9戦 ポルトガル
 ☆ポルト…港町の市街地コース。路面電車の線路を跨いで疾走する部分もある。安全性の問題から開催は2度だけに終わった。

 S.モスが2位に5分以上の差をつけて勝った。1位と2位のタイム差の最高記録と言われている。ファンジオが去った後、チャンピオンの期待を一身に受けたモスだったが、今季中盤にホーソーンのリードを許すことになった。この独走から巻き返しがなるか、ポイント差は残り2戦で4点である。

 ■ 9月7日 第10戦 イタリア
 3台のヴァンウォールと2台のフェラーリ、J.ベーラのBRMが熾烈なデッドヒートを繰り広げた。ところが18周目にS.モスがギヤボックス・トラブルでリタイヤし、チャンピオンシップで苦しくなった。以降、M.ホーソーンとP.ヒルがリードして、ヴァンウォールはコンストラクターでも苦しくなったかに見えた。しかし終盤になってT.ブルックスがペースをあげ、フェラーリ2台を交わして勝った。
 T.ブルックスは今季3勝目。ヴァンウォールは3連勝。3位P.ヒルは、スピンとピットインで一度大きく後退しての表彰台というから、大したものである。
 ドライバーズタイトルは、M.ホーソーンがリードしているが有効得点の関係で複雑なことになった。S.モスがタイトルを取るためには最終戦で優勝とFLの9点をあげなくてはならない(41点に)。現在40点のホーソーンは入賞数の多さから、2位以上にならないと、これ以上ポイントが加わることはない。

 ■ 10月19日 第11戦 モロッコ
 ☆アイン・ディアブ…ノンタイトル戦では何度か舞台になったもののF1では、1958年の1回きりの開催である。カサブランカ郊外に位置する。長いストレートを4つ繋いだ長方形のレイアウト。民族衣装を着た観客が応援する。

 S.モスは優勝とFLで9ポイントをあげ、ドライバーズ・タイトル獲得のために最終戦でできることは全てやった。シーズン最多の4勝目である。
 となると注目はホーソーンの順位である。ブルックスが2位に上がってホーソーンの王座を食い止めかかったが、エンジンが壊れた。フェラーリはチームオーダーを出して2位P.ヒルをペースダウンさせ、ホーソーンが1点差で新チャンピオンになった。1勝ながら、2位5回、FL5回という安定性が効いた。
 新勢力の台頭によって大いに盛り上がった1958年シーズンであったが、最終戦でも悲劇が起きた。ヴァンウォールの3人目、スチュワート・ルイス・エバンスが犠牲になった。エンジンブローからホイールロック、マシンはクラッシュして大破、彼は大火傷を負った。そして、6日後に死去というものだった。2年間でたった14戦の出走ながら、PP2回、表彰台2度と、密度の濃い成績を示した。更なる才能の開花が待ち遠しい28歳の死であった。

 ■ シーズン後
 ヴァンウォールはシーズン終盤に4連勝して、初代コンストラクターズ・チャンピオンに輝いた。トップチームの一員というより、立派な大チームである。トニー・ヴァンダーベルはこれで満足してしまったのか、以後レース活動を大幅に縮小した。健康を害していたともいうし、S.ルイス・エバンスの死も影響したのではないだろうか…。

 ■ サーキットを去るウィナーたち
マイク・ホーソーン Mike Hawthorn
 この年は3名のドライバーがレース中の事故で亡くなったが、死神はサーキットの外まで追いかけてきた。
 念願のタイトルに輝いたホーソーンは、コリンズとエバンスの死の影響もあって引退を決意した。実家の修理業を継ぎ、フィアンセと結婚もしたという。しかし、翌年の1月22日、商用でロンドンに赴く途中、偶然出会った友人のR.ウォーカーとマイカーのスピードを競い合った。結果、道路を飛び出し、立木に激突して死んでしまった。
 金髪の髪に鋭い目、いつも蝶ネクタイをつけてオシャレを決めこむ一方、黙して語らずという性格であったという。何事にも己の美学を貫く青年だったのではないだろうか。彼もまた'50年代F1に強烈な個性を示したドライバーのひとりであった。
生年月日 1929年4月10日
没年月日 1959年1月22日
国籍 イギリス
年次主なチーム順位優勝PPFL出走
1952クーパー45
1953フェラーリ418
1954フェラーリ3118
1955バンウォール
フェラーリ
-5
1956マセラティ93
1957フェラーリ46
1958フェラーリ覇者14510
34645


ピーター・コリンズ Peter Collins
生年月日 1931年11月6日
没年月日 1958年8月3日
国籍 イギリス
年次主なチーム順位優勝PPFL出走
1952HWM-4
1953HWM-4
1954バンウォール-2
1955マセラティ-2
1956フェラーリ327
1957フェラーリ86
1958フェラーリ517
30032


ルイジ・ムッソ Luigi Musso
生年月日 1924年7月28日
没年月日 1958年7月6日
国籍 イタリア
年次主なチーム順位優勝PPFL出走
1953マセラティ-1
1954マセラティ72
1955マセラティ86
1956フェラーリ914
1957フェラーリ316
1958フェラーリ75
10124


ファン・マヌエル・ファンジオ Juan Manuel Fangio
 ファンジオは引退後は名士としてつつましく幸せな余生を過ごした。前年のところで彼の栄光の軌跡を記したが、それは友人やライバルたちの絶え間ない事故死、自身の大事故など、数限りない苦難と危機とがピタリと寄り添ったものでもあった。彼は自伝をこんな言葉で書き始めているのだ。
 ―引退した今こそ、私はすべてのレース・ファンに、華々しい成功の裏面をさらけだすことができる。それには、疑惑、人知れぬ苦悶、ためらい、落胆、自己否定、窮乏、その他あらゆる不幸が隠されている。花束や、銀のカップや、"ミス・なんとか"のキスで埋め合わせのつくようなものではない。友人が壊れた人形のようになってコースわきに倒れているのを見たり、あるいは礼拝堂に安置されているのを見るとき、ドライバーは掌にじっとりと汗をかき、胸がしめつけられ、自責の念にかられる。これを償えるものは何もない。
 誇張しているのではない。ドライバーの生活はそういうものなのだ。
 スピードは生きている歓びをつくりだす。しかし、汗にぬれた枕を握りしめ、タイヤの悲鳴が耳から離れず、真夜中にひとり目を醒ましたおぼえのないドライバーがいるとしたら、そいつは他の惑星から来た宇宙人にちがいない。…
生年月日 1911年6月24日
没年月日 1995年7月17日
国籍 アルゼンチン
年次主なチーム順位優勝PPFL出走
1950アルファロメオ23436
1951アルファロメオ覇者3457
1952-
1953マセラティ21228
1954マセラティ
メルセデス
覇者6538
1955メルセデス覇者4336
1956フェラーリ覇者3647
1957マセラティ覇者4427
1958マセラティ13112
24292351

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